捨てられたもの同士、婚約するのはありですか?

5 ルミルア地方

 翌日から不思議な事が起き始めた。
 アルフォンソ様が午前中、うちに来るようになった。理由はもちろん私に会いにだ。
 何をするわけでもない、ただ一時間ほど話をして帰っていく。
 付き合う、というものがどういうことなのか理解していない私は、相手が伯爵家のご令息、ということもありむげにもできずお相手をしていた。
 話題の中心は、演劇や音楽、本のことだった。

「図書館で働いていたと聞きましたけど」

「あ、はい。そうです。あの……結婚するのでやめたんですよね」

 あはは、と笑いながら言うと、彼の目がすっと細くなる。
 ちょっとその目、怖いんですけど?
 でもすぐに笑顔になり、彼は言った。

「そうだったんですね。それで『猫探偵ルミィシリーズ』はご存知ですか?」

「は、はい、知っています。私も読んでいます」

「人気ですよね。猫が探偵、という設定が珍しくて」

 『猫探偵ルミィシリーズ』は、探偵が飼っている猫と犬が主人公の小説で、今人気があがっている作品だ。
 確か五巻まで出ているはず。

「お読みになられているんですか?」

 内心驚きながら尋ねると、彼はにこっと笑い頷く。

「えぇ。何せ二週間の休みをいただいますからね。先週から今週の終わりまでは休みなんですよ。それで基礎訓練が終われば暇だから毎日本を読んでいて。図書館にも毎日行っているんです」

「基礎訓練……ですか?」

「えぇ、走ったり腕立てをしたり、そういう基礎訓練ですよ。その間は何も考えなくて済むので」

 う……互いになんか触れずらい話あるわよね。当たり前なんだけど。
 どんな顔をしていいのかわからずにいると、彼は笑顔で話を続けた。

「ルミィシリーズは図書館の方のおすすめで読み始めました。貴方もご存知で嬉しいです」

 それは私も嬉しい。共通の話題があるってことだし。
 私は図書館で働いていたくらい本が好きだ。
 子供の頃から絵本や本をたくさん読んできた。物語を書くのは無理だけど、本に囲まれて生きることはできるから私は図書館で働いていたのよね。
 両親には働かなくていい、って言われたけど自分で稼いで自分で本を買いたかったのよね。
 だから学校を卒業してすぐ私は図書館に就職した。一年ちょっとで辞めちゃったけど。今度働くときはどうしようかなぁ。

「パトリシア」

「あ、はい、なんでしょうか?」

「今後はどうする予定なんですか?」

「今後……」

 そんなのちゃんと考えていない。

「そうですねぇ……遊ぶのに飽きたらとりあえずまた働こうかなと。ほら、パーティーに行っても皆、好奇心から噂話ばかりしていて全然いい出会いないですし」

 苦笑して言うと、ピキーン、と空気が張りつめる感じがした。
 な、何今の。
 目を見開いてアルフォンソ様を見るけど、彼は微笑んでこちらを見ている。でも……目は笑っていない。

「そうですね。いい出会いがなかったのならよかったです」

 よかったのかな……? それってどういう意味だろう……
 とりあえず私は苦笑いを浮かべてクッキーをひたすら食べた。
 一時間ほどすればアルフォンソ様が帰る時間になる。
 彼は、応接室にある置時計で時間を確認すると、立ち上がりながら言った。

「では、俺はこれで帰りますね。また明日……」

「あ、あの、アルフォンソ様」

 声をかけると中腰で止まり、彼は私を見つめる。

「なんでしょう?」

「私、明日からしばらくこちらを留守にするんです」

 そう告げると、彼はすっと背を伸ばして首を傾げて言った。

「どちらに行かれるんですか?」

「ルミルア地方の温泉宿に一か月ほど滞在しようかと……ほら、こちらにいても皆私に好奇の目を向けてくるし。パーティーに行くのも疲れたから温泉でゆっくりしようと思って宿を押さえているんです」

 言いながら私も立ち上がる。

「なのでしばらくお会いできなくなります」

「そうなんですか。わかりました。次にお会いできるのを楽しみにしています」

 彼は満面の笑みを浮かべて頭を下げた。

 
 王都の北部、汽車で三時間ほどかかる場所に温泉地で有名なルミルア地方がある。
 どこかの貴族の領地らしいけれど私は詳しく知らない。
 山地にあるから夏場には避暑地として利用する人が多いし、湯治場としても利用されているから長期滞在向けの宿もある。
 私は汽車を下り目の前に広がる山を見つめる。
 九月ということもあり、山の木々は色を変えオレンジや赤に染まっている。
 予定より少し早いけれど私はこの山で一カ月の休養をとろうと宿を押さえた。
 荷物を引きずり駅を出ると、迎えの馬車が来ていた。
 なぜわかったかと言うと、私の名前が書かれた紙をかざしていたからだ。

「歓迎! チュルカ様!」

 なんて書いてある。ちょっと恥ずかしい。
 声をかけると、御者のおじいさんはにこにことして言った。

「おお! お待ちしておりました、チュルカ様。本日、御者を務めさせていただきますフランコ=エルミと申します。よろしくお願いいたします」

 と言い、頭を下げた。

「パトリシア=チュルカです。よろしくお願いいたします」

 私も慌てて頭を下げる。
 フランコさんは私の持つ荷物に視線を向けて言った。

「重かったでしょう。荷物、積みますよ」

 そして私の方に手を差し出してくる。

「あぁ、お願いいたします」

 フランコさんに私は大きなトランクを預ける。するとフランコさんは馬車の客車のドアを開けて荷物をよっこらしょ、と積み込む。そして振り返るとにこにこと笑い、私に手を差し出した。

「ではお嬢様、参りますのでお手をどうぞ」

「ありがとうございます」

 私は礼を言い、彼の手に私の手を添えた。

 二頭立ての馬車は、ゆっくりと通りをゆく。
 駅の前には私と同じような旅行者らしき人たちの姿があった。着いたもの、帰るもの。この町はたくさんの人を受け入れてたくさんの人を見送ってきているんだろうな。
 だから私みたいな若い女性がひとりで訪れたとしても悪目立ちはしないだろう。
 場所によっては女のひとり旅って警戒されるっていうからな……
 自殺とか駆け落ちとかあるらしいし……
 そんな考えが頭をよぎり、私は首を横に振ってその考えを打ち消そうとする。
 私はそういう町のあれこれから逃げてきたのよ。
 せっかくもらった慰謝料を使って、私はここで温泉入って本読んで過ごすんだからね。 
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