私の海賊さん。~異世界で海賊を拾ったら私のものになりました~
遠慮がちなノックの音を聞いて、奏澄は枕に埋めていた顔を上げた。こんな時間に尋ねてくる人物に、心当たりは一人しかいない。
重い気持ちで細くドアを開けると、やはりそこにはメイズがいた。
「……なに」
「少し、いいか」
「明日じゃ、ダメ?」
「頼む。少しでいい」
僅かに沈黙して、奏澄は渋々といった様子で扉を開けた。そしてぎょっとした。
「えっなにその顔!?」
「ああ……ちょっとな」
「ちょっとってレベルじゃないじゃん!? やだ、すぐ冷やさなきゃ」
「いいから」
手を掴まれて、奏澄は戸惑った。すぐにでも手当てをしたい。けれど、話が済むまでは大人しく手当されてくれそうにない。これは、先に話を済ませてしまった方がいいだろう。
「わかった。聞くから。終わったら、ちゃんと手当てさせてね」
「ああ」
部屋に招き入れるや否や、メイズは深く頭を下げた。
「さっきは悪かった」
謝りに来たのだろう、とは思ったが、奏澄は複雑な心境でその頭を見下ろした。
「それは、何に対して?」
「……いつ、と聞いただろう。あれは、決して、お前のことを疑ったつもりはなかった」
ああ、と奏澄は納得した。やはり、あれはそういう意味合いの発言だったのだろうと。そして今、顔を腫らしている理由も、なんとなく察せられた。自分で気づいてくれたわけではないのだ。
「どういうつもりだったのか、聞いても?」
メイズはやや逡巡したが、ごまかすと余計に疑心を煽ると判断したのだろう。正直に告げた。
「もしかしたら。フランツと、何かあったんじゃないかと」
何か。何かって、今は妊娠の話をしているのだから、つまり。
「はぁ!?」
時刻も問わず、奏澄は思わず大きな声を上げた。すぐには結びつかなかった。それくらい、奏澄にとっては明後日の答えだった。
「なん、なにそれ。あの状況下で、私が、敵の悪魔と? そういうことをしてたんじゃないかって? どういう思考回路で」
「待て、多分勘違いしている。そういう意味じゃなくてだな」
「は? じゃどういう意味」
「あれは、人の嫌がることを好んでする。俺への嫌がらせで、お前が……言えないような酷い目に、遭わされたんじゃないかって」
奏澄は息を呑んだ。奏澄はマリアを通してフランツを見ていたから、すっかりその印象で上書きされてしまっていた。マリアを愛していたフランツなら、決してそんなことはしない。
けれど、事前にメイズから聞いていた話では。母親に焼いた子どもを喰わせようとするような男だ。団を抜けたかつての副船長への報復に、相手の恋人を犯してみせるくらいのことは平気でやるだろう。そう、思ったはずだ。
あの日、メイズがコバルト号に駆けつけた時、奏澄は既に船にいなかった。姿を探しても見つからず、やっと戻ってきた時にはフランツの首を抱えていた。奏澄は泣くばかりで、何も語らなかった。メイズが最悪を想像するのも、無理からぬことだ。
自分のことに手いっぱいで。彼のケアを怠った。これは奏澄の落ち度だ。
「……ごめん。私が何も言わないから、余計な心配、させたよね。それは、本当に、ごめんなさい。私が悪かった」
落ち込んだ表情で謝る奏澄に、メイズは戸惑っていた。
「言わないって、約束なの。でも、メイズが心配してるようなことは何もないよ。大丈夫」
「……その約束ってのは、フランツとしたのか」
「うん」
「お前が納得してした、約束なのか」
「……うん」
一方的に交わされたけれど。言うわけにはいかない、ということは、奏澄も納得している。
最初の反応、そして奏澄に悲壮感が無いことから、メイズも特別の被害が無かったことだけは納得した様子だった。それでも、複雑な感情は隠せない。
「……いつか。言える時がきたら、話してくれ」
「うん。その時は、必ず」
もし。マリアとフランツの約束が果たされる時がくれば。その時は、話してもいいだろう。そんな日が訪れるようにとの期待を込めて、奏澄は笑顔で答えた。
「それじゃ、私冷やすもの持ってくるね。座ってて」
「あ……ああ」
まだ何か言いたかったようだが、ひとまず一番の懸念は解消されただろうと、奏澄は部屋を出た。濡らしたタオルと、手当ての道具を持って部屋に戻る。
大人しく椅子に座っていたメイズの顔にタオルを当て、そのまましばらく押さえているように伝える。
「カスミ」
「うん?」
「子どもの、ことだが」
奏澄は目を瞬かせた。謝罪を受けたことで、すっかり気が済んでしまっていた。そうだ、そもそも子どもをどうするか、の答えがまだだった。時間をくれ、と言われていたから、その答えはまだ待っても良かったのだが。メイズの中では、答えが出たのだろう。奏澄はメイズを向き合った。
「俺は、家族というものが、よくわからない。多分、いい父親には、なれないと思う」
「……うん」
「それでも、努力は、してみる。お前が一緒なら。だから、俺が父親でいられるように、ずっと傍で支えてほしい」
「……それは、プロポーズと、受け取っても……?」
メイズは目を丸くした。そういうつもりはなかったようで、言葉を探して口を開閉させている。
その様子がおかしくて、奏澄は笑った。
「私も、母親になれる自信はないよ。でも、メイズと一緒なら、頑張れるから。私と、結婚してください」
「…………待て。やり直させろ」
「えぇ、勇気出して言ったんだから返事ちょうだいよ」
「今のはさすがに情けない」
「意外とそういうの気にするんだ?」
くすくすと笑って、赤い顔を手で隠すメイズをからかう。
この先ずっと、この人と生きていく。その幸せを、噛みしめて。
時が止まればいいと、思った。
重い気持ちで細くドアを開けると、やはりそこにはメイズがいた。
「……なに」
「少し、いいか」
「明日じゃ、ダメ?」
「頼む。少しでいい」
僅かに沈黙して、奏澄は渋々といった様子で扉を開けた。そしてぎょっとした。
「えっなにその顔!?」
「ああ……ちょっとな」
「ちょっとってレベルじゃないじゃん!? やだ、すぐ冷やさなきゃ」
「いいから」
手を掴まれて、奏澄は戸惑った。すぐにでも手当てをしたい。けれど、話が済むまでは大人しく手当されてくれそうにない。これは、先に話を済ませてしまった方がいいだろう。
「わかった。聞くから。終わったら、ちゃんと手当てさせてね」
「ああ」
部屋に招き入れるや否や、メイズは深く頭を下げた。
「さっきは悪かった」
謝りに来たのだろう、とは思ったが、奏澄は複雑な心境でその頭を見下ろした。
「それは、何に対して?」
「……いつ、と聞いただろう。あれは、決して、お前のことを疑ったつもりはなかった」
ああ、と奏澄は納得した。やはり、あれはそういう意味合いの発言だったのだろうと。そして今、顔を腫らしている理由も、なんとなく察せられた。自分で気づいてくれたわけではないのだ。
「どういうつもりだったのか、聞いても?」
メイズはやや逡巡したが、ごまかすと余計に疑心を煽ると判断したのだろう。正直に告げた。
「もしかしたら。フランツと、何かあったんじゃないかと」
何か。何かって、今は妊娠の話をしているのだから、つまり。
「はぁ!?」
時刻も問わず、奏澄は思わず大きな声を上げた。すぐには結びつかなかった。それくらい、奏澄にとっては明後日の答えだった。
「なん、なにそれ。あの状況下で、私が、敵の悪魔と? そういうことをしてたんじゃないかって? どういう思考回路で」
「待て、多分勘違いしている。そういう意味じゃなくてだな」
「は? じゃどういう意味」
「あれは、人の嫌がることを好んでする。俺への嫌がらせで、お前が……言えないような酷い目に、遭わされたんじゃないかって」
奏澄は息を呑んだ。奏澄はマリアを通してフランツを見ていたから、すっかりその印象で上書きされてしまっていた。マリアを愛していたフランツなら、決してそんなことはしない。
けれど、事前にメイズから聞いていた話では。母親に焼いた子どもを喰わせようとするような男だ。団を抜けたかつての副船長への報復に、相手の恋人を犯してみせるくらいのことは平気でやるだろう。そう、思ったはずだ。
あの日、メイズがコバルト号に駆けつけた時、奏澄は既に船にいなかった。姿を探しても見つからず、やっと戻ってきた時にはフランツの首を抱えていた。奏澄は泣くばかりで、何も語らなかった。メイズが最悪を想像するのも、無理からぬことだ。
自分のことに手いっぱいで。彼のケアを怠った。これは奏澄の落ち度だ。
「……ごめん。私が何も言わないから、余計な心配、させたよね。それは、本当に、ごめんなさい。私が悪かった」
落ち込んだ表情で謝る奏澄に、メイズは戸惑っていた。
「言わないって、約束なの。でも、メイズが心配してるようなことは何もないよ。大丈夫」
「……その約束ってのは、フランツとしたのか」
「うん」
「お前が納得してした、約束なのか」
「……うん」
一方的に交わされたけれど。言うわけにはいかない、ということは、奏澄も納得している。
最初の反応、そして奏澄に悲壮感が無いことから、メイズも特別の被害が無かったことだけは納得した様子だった。それでも、複雑な感情は隠せない。
「……いつか。言える時がきたら、話してくれ」
「うん。その時は、必ず」
もし。マリアとフランツの約束が果たされる時がくれば。その時は、話してもいいだろう。そんな日が訪れるようにとの期待を込めて、奏澄は笑顔で答えた。
「それじゃ、私冷やすもの持ってくるね。座ってて」
「あ……ああ」
まだ何か言いたかったようだが、ひとまず一番の懸念は解消されただろうと、奏澄は部屋を出た。濡らしたタオルと、手当ての道具を持って部屋に戻る。
大人しく椅子に座っていたメイズの顔にタオルを当て、そのまましばらく押さえているように伝える。
「カスミ」
「うん?」
「子どもの、ことだが」
奏澄は目を瞬かせた。謝罪を受けたことで、すっかり気が済んでしまっていた。そうだ、そもそも子どもをどうするか、の答えがまだだった。時間をくれ、と言われていたから、その答えはまだ待っても良かったのだが。メイズの中では、答えが出たのだろう。奏澄はメイズを向き合った。
「俺は、家族というものが、よくわからない。多分、いい父親には、なれないと思う」
「……うん」
「それでも、努力は、してみる。お前が一緒なら。だから、俺が父親でいられるように、ずっと傍で支えてほしい」
「……それは、プロポーズと、受け取っても……?」
メイズは目を丸くした。そういうつもりはなかったようで、言葉を探して口を開閉させている。
その様子がおかしくて、奏澄は笑った。
「私も、母親になれる自信はないよ。でも、メイズと一緒なら、頑張れるから。私と、結婚してください」
「…………待て。やり直させろ」
「えぇ、勇気出して言ったんだから返事ちょうだいよ」
「今のはさすがに情けない」
「意外とそういうの気にするんだ?」
くすくすと笑って、赤い顔を手で隠すメイズをからかう。
この先ずっと、この人と生きていく。その幸せを、噛みしめて。
時が止まればいいと、思った。