私の海賊さん。~異世界で海賊を拾ったら私のものになりました~
はやく。はやく。はやく。
心に体が追いつかずに、足がもつれる。それでも、奏澄は止まることなく走った。
レオナルドの言葉を聞くと同時に、反射的に体が動いていた。
何の説明も聞かなかった。何が起こっているのかもわからない。ただレオナルドは『今すぐ』と言った。急がなければならない理由があるのだ。
それだけで、充分だ。呼びに来てくれて良かった。
――レオナルドが、私を呼ぶことをためらわない人で、良かった。
息を切らせて上甲板へ飛び出ると、真っ先に目に入ったのは眼前に剣を突きつけられたメイズの姿だった。
「メイズ!!」
青い顔で叫ぶと、目を瞠ったメイズが声の方へ顔を向けようとした。
しかし寸前に剣を突きつけている相手に何かを言われ、動きを止めた。
メイズに釘付けになりそうな視線を何とか動かして、奏澄は甲板の様子を観察した。
玄武海賊団の巨大な主船、ブルー・ノーツ号がコバルト号に横付けされており、玄武の乗組員がこちらの船に乗り込んできていた。
当然全員ではないだろう、だが人数差は圧倒的で、ラコットたち戦闘員は玄武の乗組員に囲まれ身動きが取れないようだった。その内、ラコットだけは拘束されている。よほどうるさくしたのか、口まで塞がれていた。
メイズの状況と合わせて考えると、おそらく戦闘はメイズが止めたのだろうと思われる。仲間がなるべく傷つかない方法をとってくれたのだ。
ラコットはそれが納得いかずに暴れ、拘束されたのだろう。だが拘束に留まり、大きな負傷をしていないところを見ると、マリーの言った『人道的』という言葉はあながち外れてはいないのかもしれない。白旗は、最低限の役割だけは果たしたようだ。
メイズと対峙している男は、鮮やかな水色の髪をしていた。四大海賊という言葉から連想される年齢よりは若く見えるが、貫禄がある。四十そこそこといったところか。背丈はメイズとそう変わらないが、体格はやや細身だ。しかし筋力はあるのだろう、彼の手にしている剣はカトラスではなく、ヴィーキング・ソードだ。重量のあるそれを、全く剣先をぶれさせることもなく片手でメイズに突きつけている。
服装には飾りが多く、格好だけなら軟派な印象を受ける。しかし今は身が竦むほどの威圧感を発しており、一目で強者だとわかった。おそらく、彼が玄武の船長、キッドだ。
彼の左横には、一回り大きな体格の男が並び立っていた。片目に眼帯をしたその男は、憎しみを込めた隻眼でメイズを睨みつけていた。
「嬢ちゃん」
よく通る声で呼ばれて、心臓を跳ねさせた奏澄は、恐る恐る声の主を見た。
「アンタが、この船の船長だったよな」
メイズから視線を外さずに問いかけるキッドに、奏澄は固唾を呑んだ。
覚悟を決め、自分を鼓舞するように強く声を発する。
「そうです。私が、たんぽぽ海賊団船長の奏澄です」
言いながら、慎重にキッドの元へ歩を進める。
自分から団名を名乗ったのは初めてかもしれない。今奏澄は、海賊としてこの男と向き合わねばならない。
「カスミ、来るな」
「おっと、喋っていいとは言ってねぇぜ」
奏澄を止めようとしたメイズは、キッドに黙らされた。
止められても行くつもりだった奏澄は、歩調を緩めることもなく真っすぐ進み、メイズの右隣に並び立った。
キッドを睨み上げるようにすると、瞳孔の開いた豹のような目と視線がかち合い、ぞくりと寒気が走る。
「アンタが、今の飼い主か」
「その言い方は不愉快です。メイズはこの船の副船長で、私の護衛です」
明確な敵意を向けた言葉に、メイズは驚き、キッドは口笛を吹いた。
温厚な性格の奏澄は、他人に敵意を向けられることも、向けることも苦手としている。
しかし、自分の大切なものが危険に晒されているとなれば話は別だ。人道的かどうかは関係が無い。
仲間への気持ちがあるからこそ。奏澄はこの世界に来て初めて、相手を『敵』と認識し、争う姿勢を見せている。
「へぇ、そんなナリでも海賊の女だな。気が強い」
「話をする気があるのなら、まずは武器を収めてもらえませんか」
「そいつは無理な相談だ。コイツの早撃ちを知ってるか? 抜かれたら困るんだよ」
抜く気があるのなら、もっと早くにそうしているだろう。
今こうしている時点で、メイズは戦意が無いことを示しているだろうに。
そうは思ったが、奏澄が出てきたことで予定は狂っているのだろう。奏澄に危害が加えられる可能性がある今、メイズがどう動くかわからない。
奏澄は剣先が触れないように気をつけつつ、メイズの右腕にしっかりと抱きついた。
その行動に、キッドは虚をつかれたようだった。
「だったら、私はこのままメイズから離れません。利き腕が使えないガンマンなんて、玄武の船長にとっては恐れるに足りないでしょう」
キッドは睨みつける奏澄を面白そうに眺めて、
「ソイツ両利きだから利き腕あんま関係無いけどな」
「!」
言われて、奏澄は咄嗟に顔が赤くなった。そうだった、メイズは二丁使いだった。でも普段の生活では右利きのようにしていたから、てっきり右利きなのだと思い込んでいた。
「か、片腕封じただけでもハンデでしょう!」
「ま、絵面が面白いから良しとするかぁ」
顔だけは笑いながら、キッドは剣を下ろした。しかし、鞘に収めることはせず、いつでも振れるようにしている。依然として厳しい目に、奏澄は抱きつく力を強めた。
「それで、あなたは何の用でうちの船に来たんですか」
「黒弦のメイズが移籍したって聞いてな。新しい海賊団がどんなか様子見と、ついでにメイズに落とし前つけてもらおうかと」
「落とし前?」
「コイツの目の、な」
そう言ってキッドが指し示したのは、隣に立つ隻眼の男だった。
「……彼の目を、メイズが?」
「そうだ。殺されてるヤツもいるから、目だけで済ますか、命を取るかを審議中ってところだ」
奏澄は息を呑んだ。
殺した。メイズが。この人の、仲間を。
薄々、わかってはいた。人の命を奪える人だということは。
それでもこうして、被害者がいざ目の前に出てきてしまうと、足が竦む。
恨まれて当然だ。正当な理由も無いかもしれない。正義は向こうにあるかもしれない。
それでも。
「メイズは、この船の要です。彼が死ねば、私も死にます。容認できません」
わかってしまった。自分が、存外善良な人間ではなかった、ということが。
殺された人は気の毒に思う。でも、海賊同士の戦闘だ。命のやりとりがあることは織り込み済みだろう。
無暗に乗組員に危害を加えていないこの状況を見れば、玄武の側は道理を弁えている。わざわざ報復行為に来たということは、黒弦の側に非があったことは想像に難くない。単なる戦闘以上のことがあったのかもしれない。奪わなくて済む命も、あったかもしれない。
だがそれらは過去のことだ。今更、取り戻すことはできない。黒弦という集団に問題があったのなら、メイズ一人が責を負うことでもない。玄武もそれがわかっているからこその『審議中』なのだろうが。
できる範囲の行動で謝罪を示せるなら協力もするが、メイズの命を捧げても、被害者の気が済む、以上の償いにはならない。
そんなことのために、メイズは渡さない。
奏澄の優先順位は、はっきりしていた。
世界中を敵に回しても。どんな理由があっても。誰から非難されたとしても。
奏澄にとっては、自分の世界を守ることが、何よりも優先される。
誰もが納得できる結末が用意できないのなら、他者を傷つけてでも、自分の主張を押し通すしかないのだ。
奏澄は自分自身の熱に驚いていた。かつて自分が傷つけられて、ここまで怒りを感じたことはなかった。やむなく誰かと争えば、敗者となるのは仕方のないことだと諦めていた。
だが大切な人を失うかもしれないとなった時。自分が間違っていたとしても手段を選ばないものだと、初めて知った。
絶対に退けない。負けられない。この命をかけてでも。
心に体が追いつかずに、足がもつれる。それでも、奏澄は止まることなく走った。
レオナルドの言葉を聞くと同時に、反射的に体が動いていた。
何の説明も聞かなかった。何が起こっているのかもわからない。ただレオナルドは『今すぐ』と言った。急がなければならない理由があるのだ。
それだけで、充分だ。呼びに来てくれて良かった。
――レオナルドが、私を呼ぶことをためらわない人で、良かった。
息を切らせて上甲板へ飛び出ると、真っ先に目に入ったのは眼前に剣を突きつけられたメイズの姿だった。
「メイズ!!」
青い顔で叫ぶと、目を瞠ったメイズが声の方へ顔を向けようとした。
しかし寸前に剣を突きつけている相手に何かを言われ、動きを止めた。
メイズに釘付けになりそうな視線を何とか動かして、奏澄は甲板の様子を観察した。
玄武海賊団の巨大な主船、ブルー・ノーツ号がコバルト号に横付けされており、玄武の乗組員がこちらの船に乗り込んできていた。
当然全員ではないだろう、だが人数差は圧倒的で、ラコットたち戦闘員は玄武の乗組員に囲まれ身動きが取れないようだった。その内、ラコットだけは拘束されている。よほどうるさくしたのか、口まで塞がれていた。
メイズの状況と合わせて考えると、おそらく戦闘はメイズが止めたのだろうと思われる。仲間がなるべく傷つかない方法をとってくれたのだ。
ラコットはそれが納得いかずに暴れ、拘束されたのだろう。だが拘束に留まり、大きな負傷をしていないところを見ると、マリーの言った『人道的』という言葉はあながち外れてはいないのかもしれない。白旗は、最低限の役割だけは果たしたようだ。
メイズと対峙している男は、鮮やかな水色の髪をしていた。四大海賊という言葉から連想される年齢よりは若く見えるが、貫禄がある。四十そこそこといったところか。背丈はメイズとそう変わらないが、体格はやや細身だ。しかし筋力はあるのだろう、彼の手にしている剣はカトラスではなく、ヴィーキング・ソードだ。重量のあるそれを、全く剣先をぶれさせることもなく片手でメイズに突きつけている。
服装には飾りが多く、格好だけなら軟派な印象を受ける。しかし今は身が竦むほどの威圧感を発しており、一目で強者だとわかった。おそらく、彼が玄武の船長、キッドだ。
彼の左横には、一回り大きな体格の男が並び立っていた。片目に眼帯をしたその男は、憎しみを込めた隻眼でメイズを睨みつけていた。
「嬢ちゃん」
よく通る声で呼ばれて、心臓を跳ねさせた奏澄は、恐る恐る声の主を見た。
「アンタが、この船の船長だったよな」
メイズから視線を外さずに問いかけるキッドに、奏澄は固唾を呑んだ。
覚悟を決め、自分を鼓舞するように強く声を発する。
「そうです。私が、たんぽぽ海賊団船長の奏澄です」
言いながら、慎重にキッドの元へ歩を進める。
自分から団名を名乗ったのは初めてかもしれない。今奏澄は、海賊としてこの男と向き合わねばならない。
「カスミ、来るな」
「おっと、喋っていいとは言ってねぇぜ」
奏澄を止めようとしたメイズは、キッドに黙らされた。
止められても行くつもりだった奏澄は、歩調を緩めることもなく真っすぐ進み、メイズの右隣に並び立った。
キッドを睨み上げるようにすると、瞳孔の開いた豹のような目と視線がかち合い、ぞくりと寒気が走る。
「アンタが、今の飼い主か」
「その言い方は不愉快です。メイズはこの船の副船長で、私の護衛です」
明確な敵意を向けた言葉に、メイズは驚き、キッドは口笛を吹いた。
温厚な性格の奏澄は、他人に敵意を向けられることも、向けることも苦手としている。
しかし、自分の大切なものが危険に晒されているとなれば話は別だ。人道的かどうかは関係が無い。
仲間への気持ちがあるからこそ。奏澄はこの世界に来て初めて、相手を『敵』と認識し、争う姿勢を見せている。
「へぇ、そんなナリでも海賊の女だな。気が強い」
「話をする気があるのなら、まずは武器を収めてもらえませんか」
「そいつは無理な相談だ。コイツの早撃ちを知ってるか? 抜かれたら困るんだよ」
抜く気があるのなら、もっと早くにそうしているだろう。
今こうしている時点で、メイズは戦意が無いことを示しているだろうに。
そうは思ったが、奏澄が出てきたことで予定は狂っているのだろう。奏澄に危害が加えられる可能性がある今、メイズがどう動くかわからない。
奏澄は剣先が触れないように気をつけつつ、メイズの右腕にしっかりと抱きついた。
その行動に、キッドは虚をつかれたようだった。
「だったら、私はこのままメイズから離れません。利き腕が使えないガンマンなんて、玄武の船長にとっては恐れるに足りないでしょう」
キッドは睨みつける奏澄を面白そうに眺めて、
「ソイツ両利きだから利き腕あんま関係無いけどな」
「!」
言われて、奏澄は咄嗟に顔が赤くなった。そうだった、メイズは二丁使いだった。でも普段の生活では右利きのようにしていたから、てっきり右利きなのだと思い込んでいた。
「か、片腕封じただけでもハンデでしょう!」
「ま、絵面が面白いから良しとするかぁ」
顔だけは笑いながら、キッドは剣を下ろした。しかし、鞘に収めることはせず、いつでも振れるようにしている。依然として厳しい目に、奏澄は抱きつく力を強めた。
「それで、あなたは何の用でうちの船に来たんですか」
「黒弦のメイズが移籍したって聞いてな。新しい海賊団がどんなか様子見と、ついでにメイズに落とし前つけてもらおうかと」
「落とし前?」
「コイツの目の、な」
そう言ってキッドが指し示したのは、隣に立つ隻眼の男だった。
「……彼の目を、メイズが?」
「そうだ。殺されてるヤツもいるから、目だけで済ますか、命を取るかを審議中ってところだ」
奏澄は息を呑んだ。
殺した。メイズが。この人の、仲間を。
薄々、わかってはいた。人の命を奪える人だということは。
それでもこうして、被害者がいざ目の前に出てきてしまうと、足が竦む。
恨まれて当然だ。正当な理由も無いかもしれない。正義は向こうにあるかもしれない。
それでも。
「メイズは、この船の要です。彼が死ねば、私も死にます。容認できません」
わかってしまった。自分が、存外善良な人間ではなかった、ということが。
殺された人は気の毒に思う。でも、海賊同士の戦闘だ。命のやりとりがあることは織り込み済みだろう。
無暗に乗組員に危害を加えていないこの状況を見れば、玄武の側は道理を弁えている。わざわざ報復行為に来たということは、黒弦の側に非があったことは想像に難くない。単なる戦闘以上のことがあったのかもしれない。奪わなくて済む命も、あったかもしれない。
だがそれらは過去のことだ。今更、取り戻すことはできない。黒弦という集団に問題があったのなら、メイズ一人が責を負うことでもない。玄武もそれがわかっているからこその『審議中』なのだろうが。
できる範囲の行動で謝罪を示せるなら協力もするが、メイズの命を捧げても、被害者の気が済む、以上の償いにはならない。
そんなことのために、メイズは渡さない。
奏澄の優先順位は、はっきりしていた。
世界中を敵に回しても。どんな理由があっても。誰から非難されたとしても。
奏澄にとっては、自分の世界を守ることが、何よりも優先される。
誰もが納得できる結末が用意できないのなら、他者を傷つけてでも、自分の主張を押し通すしかないのだ。
奏澄は自分自身の熱に驚いていた。かつて自分が傷つけられて、ここまで怒りを感じたことはなかった。やむなく誰かと争えば、敗者となるのは仕方のないことだと諦めていた。
だが大切な人を失うかもしれないとなった時。自分が間違っていたとしても手段を選ばないものだと、初めて知った。
絶対に退けない。負けられない。この命をかけてでも。