私の海賊さん。~異世界で海賊を拾ったら私のものになりました~
「お? 嬢ちゃんオチたか?」
メイズに凭れかかる奏澄を見て、キッドはそう零した。
その言葉に、メイズが呆れたように返す。
「あんたが飲ませるからだろう」
「もうちょい話聞きたかったんだがなぁ」
「話を聞くつもりの相手に酒を飲ませるな」
「悪い悪い、ムキになる嬢ちゃんが面白くてつい」
悪気無く笑うキッドを、メイズは睨んだ。
「嬢ちゃんずっとツンツンしてたなぁ。普段からあんなか?」
「いや。俺はこいつが人に敵意を向けるのを初めて見た」
「マジか。嫌われたもんだな」
言いながらも、大してダメージは受けていなさそうだ。
「それに比べて、オマエの信頼されてること。見ろこの安心しきった顔」
「見るな」
「なんだよ随分入れ込んでるじゃねぇか。惚れてんのか?」
「違う」
からかうキッドとメイズのやり取りに、ロバートが重い口を開いた。
「どうやって誑かした」
キッドとは違う、悪意すら感じるその言葉に、メイズは隻眼と視線を合わせる。
「そんな純朴そうな女がお前に懐くなんてな。いったい何をした」
「……俺は、何もしていない」
視線をずらして、メイズは奏澄を見た。穏やかな寝顔に、自然と目が細くなる。
「こいつが、俺を救った」
奏澄の顔にかかった髪を、羽毛に触れるような手つきで払う。
「残りの命はこいつのために使うと決めた。俺には、こいつを救うことなんてできやしないが……それでも、せめて一人にしないと。ずっと傍にいると、誓った」
言って、メイズは決意を秘めた目で、二人を見た。
「だからお前らに殺されてやるわけにはいかない」
それを受けて、キッドは肩をすくめ、ロバートは重く息を吐いた。その溜め息に言葉を乗せるようにして続ける。
「……彼女に、血生臭いものを見せるなよ」
「わかってる。こいつが嫌がることはしない」
「ちゃんと配慮しているのか。お前の基準は狂っているぞ」
「日々、教えてもらっている。普通の人間が、どういうことを怖がるのか。嫌がるのか。何をされたら嬉しいのか。喜ぶのか。ガキからやり直してる気分だ」
メイズは思い返すように目を伏せた。
一つ一つを、試している。本で読んだこと。街で見たこと。女に言われたこと。流すだけだったそれらを、初めて、実感として。その一つ一つを、受け止めてくれる。
彼女の慈愛は、いつか鼻で笑ってあしらった聖母の御伽噺のようだ。自らが触れるまではそんなものは存在しないと思っていたのに、在ると知ってしまえば、欲しくて欲しくてたまらない。
純粋で、穢れなく。柔らかで、温かい。その腕の中にだけ、安寧がある。生涯縁の無いものだと、諦めていたものが、そこにある。
それでいて、潰されそうなほどの信頼を。ひたむきに、ぶつけてくる。眩しくて目を逸らしそうになるのに、彼女がそれを許さない。
曇り硝子の向こう側の景色に放り込まれて。手探りで頼りなく歩く自分を導く、ただ一つの光。
「……メイズ。一個、忠告しとくぞ」
メイズの様子を見て何を思ったのか、真剣な声色でキッドが告げる。
「嬢ちゃんは、ただの女だからな。多くを求めるなよ」
それを聞いて、メイズは眉を寄せた。奏澄は海賊でもなんでもない、ただの女だ。そんなことは誰よりわかっている。だから、自分がついている。何者にも傷つけられないように。放っておけばすぐに壊れてしまう小さくて弱い生き物を、外敵から守るのが自分の役目だ。
「俺はこいつに何かを求めるつもりは無い」
メイズは奏澄のものだが、奏澄はメイズのものではない。
何も求めることなど。そもそも、求めずとも充分に与えられている。
「それはそれでどうかと思うが……まぁ、あんま神聖視すんなよってことだ」
意味がわからず、メイズは更に眉間の皺を深くした。
「一つに執着しすぎると、人は盲目になる。忘れんなよ。今日、オマエを守ろうとしたのは、嬢ちゃんだけじゃなかったはずだ」
「……ああ」
それには、メイズ自身も驚いていた。
仲間はついでに過ぎなかった。彼女と海を渡るための。彼女が大事にしろと言うから、壊さないようにはした。そのくらいだ。それが、いつの間にか。
何かをした覚えはない。人に好かれる性質ではない。それなのに、何故。
「人間一年目、みたいな顔すんじゃねぇよ。やりにくいな」
舌打ちしかねない顔でキッドが吐き出す。
自分の表情に自覚の無いメイズは口をへの字に曲げた。
凭れかかった奏澄が、少しだけずり落ちた。絡めた腕は起こさないようにそのままにしているので、肩を抱いて支えることはできない。一応条件でもあったわけだが、重しが役目を果たしていないので、もうそれは無視していいだろう。
「嬢ちゃん暫く起きそうにねぇし、オレはちょっとレオと話してくるかな」
「待て、その前に一つ聞いておきたいことがある」
席を立とうとしたキッドを呼び止め、メイズは少しだけ間を置いて問いを口にした。
「無の海域への行き方を知っているか」
「あん? 無の海域ぃ? オマエでもそんなオカルトを気にすんのか」
聞かれたキッドは、片眉を上げた。四大海賊であれば或いは、と考えたが、当ては外れたようだ。
「俺たちは無の海域にある『はぐれものの島』を目指している」
「はぁ? なんでまた」
「込み入った事情がある」
情報を得ようとする以上、船団の目的は話すが、奏澄個人のことまで詳細に伝える必要は無いだろう。下手に興味を持たれても困る、とメイズは濁した。
「ふぅん……。何にせよ、オレは知らねぇな。そういうのに詳しいとしたら、エドアルドだろ」
「……白虎か」
「あのオッサン古株だしな。セントラルのきな臭い話にも敏感だし、実在するなら行き方くらい知ってそうなもんだが」
自分で口にした言葉に、キッドは一瞬考え込んだ。
「……いや待て。セントラル?」
それにキッドは訝しんで、急にはっと思い出したように声を上げた。
「あっもしかして、嬢ちゃんが指名手配されてるのって、それでか!?」
勘のいい男だ、とメイズは舌打ちした。余計な情報を与えてしまったようだ。
「オカルトっつったらセントラルの十八番だもんな。セントラルの禁忌に触れたんだな!?」
楽しそうなキッドに、メイズは答えなかった。しかし、キッドはその様子を肯定と捉えたようだ。
「オマエはともかく、なんで嬢ちゃんが指名手配されてんのかは不思議だったんだ。だから船長を引っ張り出したかったんだが……いやー、その甲斐あったわ。やっぱ嬢ちゃん面白ぇな!」
キッドの興味を惹いてしまったことは、メイズにとっては面白くないが、奏澄の立場を思えば良い方へ働くだろう。四大海賊の一角が好意的ということは、この先協力を得られる可能性があるということだ。
「ま、オレの方でもなんかわかったら教えてやるよ」
そう言い残して、キッドはロバートを伴い、レオナルドの方へ向かった。
残されたメイズは、ずり落ちてくる奏澄を支えて、少し考えてから膝に寝かせた。
肩に凭れさせたままではバランスが悪く、またずり落ちてくるだろう。
コバルト号に寝かせに戻ってもいいが、他の仲間が全員ブルー・ノーツ号にいる状況で自分が姿を消すのは、余計な誤解を与えかねない。
膝に乗せた奏澄の寝顔を見て、メイズは手持無沙汰に髪を弄んだ。
――いつかと逆だな。
メイズと奏澄が初めて出会った日。彼女は、熱にうなされるメイズを膝に乗せ、ずっと汗を拭っていた。あの手の温もりを、忘れたことは無い。
あの時の恩義に、報いるために。
それだけの、ために。
離れた場所から二人の姿を見ていたキッドとロバートは、何とも言えない顔で会話を交わした。
「でろっでろじゃねぇか」
「あれに目を潰されたと思うと、かなり腹が立つ」
「同感だ。やっぱ殺しとけば良かったかな」
「キッドは女に甘い」
「あんだけ泣かれちゃなぁ」
奏澄の剣幕を思い返して、キッドは頭をかいた。
奏澄に危害を加えるつもりはなかった。しかし、メイズのことは本当に殺しても構わないと思っていた。それを思い止まったのは、彼女の存在があったからだ。
「しかし、ありゃちょっと危ねぇな」
「あの女船長に何かあったら、多分黒弦時代に逆戻りだろう」
「うーん……。嬢ちゃんの手腕に期待するしかねぇなぁ」
知らぬところで勝手に期待をかけられているなど、知る由も無く。
彼女は穏やかに寝息を立てる。そこが、世界で一番安全な場所だというかのように。
メイズに凭れかかる奏澄を見て、キッドはそう零した。
その言葉に、メイズが呆れたように返す。
「あんたが飲ませるからだろう」
「もうちょい話聞きたかったんだがなぁ」
「話を聞くつもりの相手に酒を飲ませるな」
「悪い悪い、ムキになる嬢ちゃんが面白くてつい」
悪気無く笑うキッドを、メイズは睨んだ。
「嬢ちゃんずっとツンツンしてたなぁ。普段からあんなか?」
「いや。俺はこいつが人に敵意を向けるのを初めて見た」
「マジか。嫌われたもんだな」
言いながらも、大してダメージは受けていなさそうだ。
「それに比べて、オマエの信頼されてること。見ろこの安心しきった顔」
「見るな」
「なんだよ随分入れ込んでるじゃねぇか。惚れてんのか?」
「違う」
からかうキッドとメイズのやり取りに、ロバートが重い口を開いた。
「どうやって誑かした」
キッドとは違う、悪意すら感じるその言葉に、メイズは隻眼と視線を合わせる。
「そんな純朴そうな女がお前に懐くなんてな。いったい何をした」
「……俺は、何もしていない」
視線をずらして、メイズは奏澄を見た。穏やかな寝顔に、自然と目が細くなる。
「こいつが、俺を救った」
奏澄の顔にかかった髪を、羽毛に触れるような手つきで払う。
「残りの命はこいつのために使うと決めた。俺には、こいつを救うことなんてできやしないが……それでも、せめて一人にしないと。ずっと傍にいると、誓った」
言って、メイズは決意を秘めた目で、二人を見た。
「だからお前らに殺されてやるわけにはいかない」
それを受けて、キッドは肩をすくめ、ロバートは重く息を吐いた。その溜め息に言葉を乗せるようにして続ける。
「……彼女に、血生臭いものを見せるなよ」
「わかってる。こいつが嫌がることはしない」
「ちゃんと配慮しているのか。お前の基準は狂っているぞ」
「日々、教えてもらっている。普通の人間が、どういうことを怖がるのか。嫌がるのか。何をされたら嬉しいのか。喜ぶのか。ガキからやり直してる気分だ」
メイズは思い返すように目を伏せた。
一つ一つを、試している。本で読んだこと。街で見たこと。女に言われたこと。流すだけだったそれらを、初めて、実感として。その一つ一つを、受け止めてくれる。
彼女の慈愛は、いつか鼻で笑ってあしらった聖母の御伽噺のようだ。自らが触れるまではそんなものは存在しないと思っていたのに、在ると知ってしまえば、欲しくて欲しくてたまらない。
純粋で、穢れなく。柔らかで、温かい。その腕の中にだけ、安寧がある。生涯縁の無いものだと、諦めていたものが、そこにある。
それでいて、潰されそうなほどの信頼を。ひたむきに、ぶつけてくる。眩しくて目を逸らしそうになるのに、彼女がそれを許さない。
曇り硝子の向こう側の景色に放り込まれて。手探りで頼りなく歩く自分を導く、ただ一つの光。
「……メイズ。一個、忠告しとくぞ」
メイズの様子を見て何を思ったのか、真剣な声色でキッドが告げる。
「嬢ちゃんは、ただの女だからな。多くを求めるなよ」
それを聞いて、メイズは眉を寄せた。奏澄は海賊でもなんでもない、ただの女だ。そんなことは誰よりわかっている。だから、自分がついている。何者にも傷つけられないように。放っておけばすぐに壊れてしまう小さくて弱い生き物を、外敵から守るのが自分の役目だ。
「俺はこいつに何かを求めるつもりは無い」
メイズは奏澄のものだが、奏澄はメイズのものではない。
何も求めることなど。そもそも、求めずとも充分に与えられている。
「それはそれでどうかと思うが……まぁ、あんま神聖視すんなよってことだ」
意味がわからず、メイズは更に眉間の皺を深くした。
「一つに執着しすぎると、人は盲目になる。忘れんなよ。今日、オマエを守ろうとしたのは、嬢ちゃんだけじゃなかったはずだ」
「……ああ」
それには、メイズ自身も驚いていた。
仲間はついでに過ぎなかった。彼女と海を渡るための。彼女が大事にしろと言うから、壊さないようにはした。そのくらいだ。それが、いつの間にか。
何かをした覚えはない。人に好かれる性質ではない。それなのに、何故。
「人間一年目、みたいな顔すんじゃねぇよ。やりにくいな」
舌打ちしかねない顔でキッドが吐き出す。
自分の表情に自覚の無いメイズは口をへの字に曲げた。
凭れかかった奏澄が、少しだけずり落ちた。絡めた腕は起こさないようにそのままにしているので、肩を抱いて支えることはできない。一応条件でもあったわけだが、重しが役目を果たしていないので、もうそれは無視していいだろう。
「嬢ちゃん暫く起きそうにねぇし、オレはちょっとレオと話してくるかな」
「待て、その前に一つ聞いておきたいことがある」
席を立とうとしたキッドを呼び止め、メイズは少しだけ間を置いて問いを口にした。
「無の海域への行き方を知っているか」
「あん? 無の海域ぃ? オマエでもそんなオカルトを気にすんのか」
聞かれたキッドは、片眉を上げた。四大海賊であれば或いは、と考えたが、当ては外れたようだ。
「俺たちは無の海域にある『はぐれものの島』を目指している」
「はぁ? なんでまた」
「込み入った事情がある」
情報を得ようとする以上、船団の目的は話すが、奏澄個人のことまで詳細に伝える必要は無いだろう。下手に興味を持たれても困る、とメイズは濁した。
「ふぅん……。何にせよ、オレは知らねぇな。そういうのに詳しいとしたら、エドアルドだろ」
「……白虎か」
「あのオッサン古株だしな。セントラルのきな臭い話にも敏感だし、実在するなら行き方くらい知ってそうなもんだが」
自分で口にした言葉に、キッドは一瞬考え込んだ。
「……いや待て。セントラル?」
それにキッドは訝しんで、急にはっと思い出したように声を上げた。
「あっもしかして、嬢ちゃんが指名手配されてるのって、それでか!?」
勘のいい男だ、とメイズは舌打ちした。余計な情報を与えてしまったようだ。
「オカルトっつったらセントラルの十八番だもんな。セントラルの禁忌に触れたんだな!?」
楽しそうなキッドに、メイズは答えなかった。しかし、キッドはその様子を肯定と捉えたようだ。
「オマエはともかく、なんで嬢ちゃんが指名手配されてんのかは不思議だったんだ。だから船長を引っ張り出したかったんだが……いやー、その甲斐あったわ。やっぱ嬢ちゃん面白ぇな!」
キッドの興味を惹いてしまったことは、メイズにとっては面白くないが、奏澄の立場を思えば良い方へ働くだろう。四大海賊の一角が好意的ということは、この先協力を得られる可能性があるということだ。
「ま、オレの方でもなんかわかったら教えてやるよ」
そう言い残して、キッドはロバートを伴い、レオナルドの方へ向かった。
残されたメイズは、ずり落ちてくる奏澄を支えて、少し考えてから膝に寝かせた。
肩に凭れさせたままではバランスが悪く、またずり落ちてくるだろう。
コバルト号に寝かせに戻ってもいいが、他の仲間が全員ブルー・ノーツ号にいる状況で自分が姿を消すのは、余計な誤解を与えかねない。
膝に乗せた奏澄の寝顔を見て、メイズは手持無沙汰に髪を弄んだ。
――いつかと逆だな。
メイズと奏澄が初めて出会った日。彼女は、熱にうなされるメイズを膝に乗せ、ずっと汗を拭っていた。あの手の温もりを、忘れたことは無い。
あの時の恩義に、報いるために。
それだけの、ために。
離れた場所から二人の姿を見ていたキッドとロバートは、何とも言えない顔で会話を交わした。
「でろっでろじゃねぇか」
「あれに目を潰されたと思うと、かなり腹が立つ」
「同感だ。やっぱ殺しとけば良かったかな」
「キッドは女に甘い」
「あんだけ泣かれちゃなぁ」
奏澄の剣幕を思い返して、キッドは頭をかいた。
奏澄に危害を加えるつもりはなかった。しかし、メイズのことは本当に殺しても構わないと思っていた。それを思い止まったのは、彼女の存在があったからだ。
「しかし、ありゃちょっと危ねぇな」
「あの女船長に何かあったら、多分黒弦時代に逆戻りだろう」
「うーん……。嬢ちゃんの手腕に期待するしかねぇなぁ」
知らぬところで勝手に期待をかけられているなど、知る由も無く。
彼女は穏やかに寝息を立てる。そこが、世界で一番安全な場所だというかのように。