私の海賊さん。~異世界で海賊を拾ったら私のものになりました~
第二章 開幕
そして再び幕が開く
たすけて。
あのひとを、たすけて。
だれか。
「カスミ。カスミ」
自分を呼ぶ声に、奏澄はゆっくりと瞼を開けた。目元が濡れて冷たい。それを温かい指が拭った。
「どうした。怖い夢でも見たか?」
夢。長い夢を、見ていた気がする。とても悲しい夢を。
最後に聞いた女性の声が、耳から離れない。
たすけて。
夢の中では何もできないのに。何をしてほしかったのだろう。何を望んでいたのだろう。自分に、何かができたのだろうか。
寂しい。悲しい。どうしようもない辛さで胸が埋め尽くされていた。
ぼんやりとしたまま、頬を撫でる手の主に視線を向ける。メイズが、心配そうな顔で奏澄を見ていた。
愛しい人がそこにいる。甘えるようにすり寄って、キスを求める仕草をした。相手はためらいもなく、それに応じてくれる。
ほっとする体温に、胸に詰まった氷が溶けていく。安心して、体の力が抜けた。そのまま身を委ねていれば、優しい手が触れてくれる。
「ん……」
キスが深くなって、服の裾から手が入ってくる。指が背中を撫でて、そこでやっと奏澄の意識が覚醒した。
「待った!」
自分で思ったよりも大きな声が出て、奏澄は一瞬息を呑んだ。今の時刻はわからないが、寝ていたのだから夜だろう。騒ぐわけにはいかない。
「なんだ」
見るからに不満です、と書かれた顔だが、一応聞く気はあるらしい。
「ごめん、間違えた」
「あ?」
言った瞬間、濁点がついていそうな低い声で返された。しまった、これは言葉を間違えた。
「いや、ちが、ごめん。間違えたって、誰かとってことじゃなくて、行動の選択を間違えたなって」
「俺は構わない」
「いやいやいや」
言いながら行為を続行しようとするメイズを、手で押して抵抗する。
「しない、しないから」
「そっちから誘ってきたんだろう」
「だからごめんって。そういうつもりは無かったの。最初に決めたでしょ、船ではしないって」
はぐれものの島にて想いを通わせ、無事恋人となった奏澄とメイズ。
二人は島に残っていた船医のハリソンと共に、たんぽぽ海賊団の船、コバルト号で再び航海に出ていた。
今は最初の仲間、マリーたちドロール商会のメンバーと、航海士ライアーに会うため、アルメイシャ島を目指している。
窓を潜って赤の海域に出たコバルト号だったが、アルメイシャまでは距離のある場所だった。そのため、最も近い島で水夫を雇い、今は彼らが一時乗組員として同乗している。
恋人として航海に出るにあたり、奏澄はメイズと一つルールを決めた。それは『船でセックスはしない』ということだ。
船の上では共同生活だ。期限付きだった最初の航海とは違って、今後はほとんどの時間を船の上で過ごすことになる。こうなってくると、公私を明確に線引きするのは難しい。船長だから、副船長だからと言って、プライベートを排除してしまうと、二人で過ごす時間が限られてしまうからだ。
商船ならそれも仕方ないかもしれないが、ここは海賊船だ。仕事というわけでもない。しかし、越えてはならない一線はある。そこで決めたのが、船上でのセックス禁止。木造船でそれほど防音性があるわけでもないし、もし誰かが気づいてしまったら、気まずいことこの上ないだろう。ただでさえ、二人が恋人だというだけで気をつかわせるのだ。
だから奏澄としては、これは最低限の条件のつもりだった。恋人としての振る舞いを制限するわけではないのだから、むしろ言わなくてもわかるだろうくらいに思っていた。しかし、メイズにルールを告げた時、その考えが間違っていると思い知った。
「ちょっと、メイズ!」
抗う手を片手でまとめられて、奏澄が抗議の声を上げる。しかしメイズは止まる気配を見せない。
「今回はお前が悪い」
「だから、謝った、でしょ」
「謝って済まない場合もある。良かったな、一つ学べて」
どの口が! と言い返す前に、口を塞がれる。反論の術を封じられて、奏澄は唸った。
この人、なし崩し的に持ち込もうとしてる……!
結局それ以上の文句も言えずに、事はなし崩し的に進んだ。
*~*~*
「………………」
「……謝っただろ」
「その言葉、そっくりそのまま、お返しします」
ベッドの上。怒気を全く隠そうともしない奏澄に、さすがにこれはまずいと悟ったらしい。気づくのが遅い。照れ隠しだとでも思ったのか。やめろと言ったら、やめろ以上の意味は無い。
メイズは不満そうに後ろ頭をがりがりとかいた。
「恋人なんだから、別にいいだろ。なんでそんなに怒られなきゃならない」
「あのねぇ! ふ――」
普通は。言いかけて、奏澄は口を噤んだ。
二人のことを話すのに、『普通』という言葉は使いたくない。奏澄はこの世界の人間ではない。ここの価値基準に合わせて普通だとは思えないし、メイズも普通の生活は送ってきていない。普通は関係無い。二人のことだ、二人で話し合って決めたい。
「……恋人っていうのは、好きな時に好きにできる存在じゃないでしょう。するのが嫌なんじゃなくて、私の意志を尊重してほしいって言ってるの。ちゃんと同意取って」
「する前にいちいち聞けってか」
「そう」
答えると、メイズは心底嫌そうな顔をした。ムードを重視するタイプではないから、単に面倒なのだろう。
「意志を尊重しろって言うなら、俺の意志だって尊重されるべきだろう」
「え?」
「お前のしたくないって意志が尊重されるなら、俺のしたいって意志も尊重されていいんじゃないか」
「それは……」
そう、か?
奏澄は一瞬言葉に詰まった。しかしすぐにはっとする。
「いや、したい側としたくない側でつり合いが取れてないでしょ。負担のかかる行為なんだから」
奏澄の返答にメイズは舌打ちした。さてはわかってて言ったな。危うく言い包められるところだった。
したくない行為を無理にするのは削られる行為だ。有限の物を所持していて、欲しい意志とあげたくない意志は同等ではない。そもそも所持している側に権利があるのだから。
「あのね、メイズだって、したくない時あるでしょう。すごく疲れ切ってて、全然そんな気分じゃない時に、私が一方的にやる気になって上に乗ったらどう思う?」
「別に」
即答されて、奏澄は項垂れた。駄目だ。これは根本的にわかりあえない。
逆の立場で、望まない時に押しつけられたら嫌だろう、という例え話で出したのだが。むしろ、まんざらでもないという反応をされてしまった。それは奏澄から乗ったことなどないが。
どうしたものか、と唸っていると、メイズが不満そうに口を開いた。
「そもそもお前、そんなにセックス好きじゃないよな」
「……そんなことないけど」
「間」
指摘されて、奏澄はぐぅと唸った。
嘘ではない。嫌いというほどではない。肌を合わせる心地良さはある。心が通う幸福感もある。セックスはコミュニケーションの一種だ。相手が求める対話をすることに、異存はない。
それはそれとして、肉体的な快楽はさほどない。だから、溺れるように求めようとは思わないのだ。恋人としての触れ合いは、キスやハグで充分満ち足りる。必要だと言うならするけれど、積極的に求めたいということもない。正直無いなら無いでいい。ということを真正面から言うと多分まずいので、なんとかマイルドに伝えようとする。
「私は、メイズが触れてくれるだけで嬉しいから。船の上では、抱き締めたりしてくれるだけで充分。メイズが足りない分は、たまに島に降りた時に補充するんじゃダメ?」
マイルドにしたものの、結局言っていることはルールを守ってくれ、という話に戻ってしまった。元々そのための話し合いなのだから、間違ってはいないのだが。
なるべく笑顔で伝えると、メイズは何かを考え込むようにして。
「……わかった」
その「わかった」に何やら不穏な響きを感じて、奏澄は肩を震わせた。
あのひとを、たすけて。
だれか。
「カスミ。カスミ」
自分を呼ぶ声に、奏澄はゆっくりと瞼を開けた。目元が濡れて冷たい。それを温かい指が拭った。
「どうした。怖い夢でも見たか?」
夢。長い夢を、見ていた気がする。とても悲しい夢を。
最後に聞いた女性の声が、耳から離れない。
たすけて。
夢の中では何もできないのに。何をしてほしかったのだろう。何を望んでいたのだろう。自分に、何かができたのだろうか。
寂しい。悲しい。どうしようもない辛さで胸が埋め尽くされていた。
ぼんやりとしたまま、頬を撫でる手の主に視線を向ける。メイズが、心配そうな顔で奏澄を見ていた。
愛しい人がそこにいる。甘えるようにすり寄って、キスを求める仕草をした。相手はためらいもなく、それに応じてくれる。
ほっとする体温に、胸に詰まった氷が溶けていく。安心して、体の力が抜けた。そのまま身を委ねていれば、優しい手が触れてくれる。
「ん……」
キスが深くなって、服の裾から手が入ってくる。指が背中を撫でて、そこでやっと奏澄の意識が覚醒した。
「待った!」
自分で思ったよりも大きな声が出て、奏澄は一瞬息を呑んだ。今の時刻はわからないが、寝ていたのだから夜だろう。騒ぐわけにはいかない。
「なんだ」
見るからに不満です、と書かれた顔だが、一応聞く気はあるらしい。
「ごめん、間違えた」
「あ?」
言った瞬間、濁点がついていそうな低い声で返された。しまった、これは言葉を間違えた。
「いや、ちが、ごめん。間違えたって、誰かとってことじゃなくて、行動の選択を間違えたなって」
「俺は構わない」
「いやいやいや」
言いながら行為を続行しようとするメイズを、手で押して抵抗する。
「しない、しないから」
「そっちから誘ってきたんだろう」
「だからごめんって。そういうつもりは無かったの。最初に決めたでしょ、船ではしないって」
はぐれものの島にて想いを通わせ、無事恋人となった奏澄とメイズ。
二人は島に残っていた船医のハリソンと共に、たんぽぽ海賊団の船、コバルト号で再び航海に出ていた。
今は最初の仲間、マリーたちドロール商会のメンバーと、航海士ライアーに会うため、アルメイシャ島を目指している。
窓を潜って赤の海域に出たコバルト号だったが、アルメイシャまでは距離のある場所だった。そのため、最も近い島で水夫を雇い、今は彼らが一時乗組員として同乗している。
恋人として航海に出るにあたり、奏澄はメイズと一つルールを決めた。それは『船でセックスはしない』ということだ。
船の上では共同生活だ。期限付きだった最初の航海とは違って、今後はほとんどの時間を船の上で過ごすことになる。こうなってくると、公私を明確に線引きするのは難しい。船長だから、副船長だからと言って、プライベートを排除してしまうと、二人で過ごす時間が限られてしまうからだ。
商船ならそれも仕方ないかもしれないが、ここは海賊船だ。仕事というわけでもない。しかし、越えてはならない一線はある。そこで決めたのが、船上でのセックス禁止。木造船でそれほど防音性があるわけでもないし、もし誰かが気づいてしまったら、気まずいことこの上ないだろう。ただでさえ、二人が恋人だというだけで気をつかわせるのだ。
だから奏澄としては、これは最低限の条件のつもりだった。恋人としての振る舞いを制限するわけではないのだから、むしろ言わなくてもわかるだろうくらいに思っていた。しかし、メイズにルールを告げた時、その考えが間違っていると思い知った。
「ちょっと、メイズ!」
抗う手を片手でまとめられて、奏澄が抗議の声を上げる。しかしメイズは止まる気配を見せない。
「今回はお前が悪い」
「だから、謝った、でしょ」
「謝って済まない場合もある。良かったな、一つ学べて」
どの口が! と言い返す前に、口を塞がれる。反論の術を封じられて、奏澄は唸った。
この人、なし崩し的に持ち込もうとしてる……!
結局それ以上の文句も言えずに、事はなし崩し的に進んだ。
*~*~*
「………………」
「……謝っただろ」
「その言葉、そっくりそのまま、お返しします」
ベッドの上。怒気を全く隠そうともしない奏澄に、さすがにこれはまずいと悟ったらしい。気づくのが遅い。照れ隠しだとでも思ったのか。やめろと言ったら、やめろ以上の意味は無い。
メイズは不満そうに後ろ頭をがりがりとかいた。
「恋人なんだから、別にいいだろ。なんでそんなに怒られなきゃならない」
「あのねぇ! ふ――」
普通は。言いかけて、奏澄は口を噤んだ。
二人のことを話すのに、『普通』という言葉は使いたくない。奏澄はこの世界の人間ではない。ここの価値基準に合わせて普通だとは思えないし、メイズも普通の生活は送ってきていない。普通は関係無い。二人のことだ、二人で話し合って決めたい。
「……恋人っていうのは、好きな時に好きにできる存在じゃないでしょう。するのが嫌なんじゃなくて、私の意志を尊重してほしいって言ってるの。ちゃんと同意取って」
「する前にいちいち聞けってか」
「そう」
答えると、メイズは心底嫌そうな顔をした。ムードを重視するタイプではないから、単に面倒なのだろう。
「意志を尊重しろって言うなら、俺の意志だって尊重されるべきだろう」
「え?」
「お前のしたくないって意志が尊重されるなら、俺のしたいって意志も尊重されていいんじゃないか」
「それは……」
そう、か?
奏澄は一瞬言葉に詰まった。しかしすぐにはっとする。
「いや、したい側としたくない側でつり合いが取れてないでしょ。負担のかかる行為なんだから」
奏澄の返答にメイズは舌打ちした。さてはわかってて言ったな。危うく言い包められるところだった。
したくない行為を無理にするのは削られる行為だ。有限の物を所持していて、欲しい意志とあげたくない意志は同等ではない。そもそも所持している側に権利があるのだから。
「あのね、メイズだって、したくない時あるでしょう。すごく疲れ切ってて、全然そんな気分じゃない時に、私が一方的にやる気になって上に乗ったらどう思う?」
「別に」
即答されて、奏澄は項垂れた。駄目だ。これは根本的にわかりあえない。
逆の立場で、望まない時に押しつけられたら嫌だろう、という例え話で出したのだが。むしろ、まんざらでもないという反応をされてしまった。それは奏澄から乗ったことなどないが。
どうしたものか、と唸っていると、メイズが不満そうに口を開いた。
「そもそもお前、そんなにセックス好きじゃないよな」
「……そんなことないけど」
「間」
指摘されて、奏澄はぐぅと唸った。
嘘ではない。嫌いというほどではない。肌を合わせる心地良さはある。心が通う幸福感もある。セックスはコミュニケーションの一種だ。相手が求める対話をすることに、異存はない。
それはそれとして、肉体的な快楽はさほどない。だから、溺れるように求めようとは思わないのだ。恋人としての触れ合いは、キスやハグで充分満ち足りる。必要だと言うならするけれど、積極的に求めたいということもない。正直無いなら無いでいい。ということを真正面から言うと多分まずいので、なんとかマイルドに伝えようとする。
「私は、メイズが触れてくれるだけで嬉しいから。船の上では、抱き締めたりしてくれるだけで充分。メイズが足りない分は、たまに島に降りた時に補充するんじゃダメ?」
マイルドにしたものの、結局言っていることはルールを守ってくれ、という話に戻ってしまった。元々そのための話し合いなのだから、間違ってはいないのだが。
なるべく笑顔で伝えると、メイズは何かを考え込むようにして。
「……わかった」
その「わかった」に何やら不穏な響きを感じて、奏澄は肩を震わせた。