はじめまして、期間限定のお飾り妻です
142話 お別れ
ケヴィンに連れられて、家に到着したイレーネは持ち物整理を行っていた。
「これは、私の私物だったわね……」
結局イレーネが『コルト』からこの家に持参してきた持ち物は1着の着替えと、祖父からの誕生プレゼントの本一冊のみだった。
「後は全てマイスター家で買っていただいたものだから……私の物ではないものね」
小さくため息をつくと、イレーネは改めて周囲を見渡した。
カーテンにテーブルクロス、クッションカバー……家の中は全てイレーネの好きなもので溢れていた。
この家を自分のお気に入りの場所にするために、足繁く通ってインテリアを整えていた日々が今では夢のように感じられる。
それだけではない。
この町で新しく出来た女友達を招いてお茶会を開いたことや、リカルドと一緒に部屋の片付けをしたことも楽しい思い出だった。
そして……。
「ルシアン様……」
ルシアンはこの家にあまり寄りたがらなかったが、それでもほんのわずかでも一緒に過ごした出来事が脳裏に浮かぶ。
特に、嵐の夜……。
怖くて怖くて泣きながら震えていたイレーネのもとに、びしょ濡れになりながら駆けつけてくれたルシアン。
大きな腕で抱きしめてくれた、あの夜の記憶は今も鮮明に残っている。
あんなに安心感を得られたのは、あの日が初めてだった。
ずっと、この腕の中にいられたらと密かに願う自分がいた。
けれど、いつかはルシアンの元を離れなければならない。
だからあえてこれは契約だと今まで、イレーネは自分に言い聞かせてきたのだ。
「駄目ね。私って……本当に欲が深くなってしまったのね……これでは天国のお祖父様に叱られてしまうわね」
イレーネの目から、ポロリと大粒の涙が落ちる。
その時。
「イレーネさん……」
外で待っていたはずのケヴィンの声が背後で聞こえてきた。
「あ、は、はい! ケヴィンさん」
慌ててイレーネはゴシゴシと目を擦ると、笑顔で振り返った。
「すみません……外で待っているつもりだったのですが、イレーネさんのことが心配で……入ってきてしまいました」
申し訳なさそうに俯くケヴィン。
「い、いえ。大丈夫です。すみません、もう終わりました。お待たせして申し訳ございません」
イレーネは足元に置かれた小さなボストンバッグを手にした。
「イレーネさん。もしかして荷物は……それだけですか?」
「はい、そうですけど?」
「でも、まだ沢山荷物が残っているようですけど?」
ケヴィンは周囲を見渡した。
「ええ、そうなのですけど……でも、これらの物は全て私の物ではありませんから」
寂しげに笑うイレーネ。
「分かりました。では、行きましょうか? 荷物、お持ちしますよ」
「ありがとうございます」
イレーネはテーブルの上に短い手紙をそっと置くと、心の中で呟いた。
(お元気で……ルシアン様)
荷物をケヴィンに手渡して家の戸締まりをすると、再び馬に乗せてもらった。
****
「イレーネさん……」
青空の下、イレーネを馬に乗せながらケヴィンが話しかけてきた。
「はい、何でしょう」
「聞かないでおこうと思っていたのですが……ひょっとすると婚約者という方は、マイスター伯爵だったのではありませんか?」
「え……? 何故それを?」
驚いたイレーネは背後に座るケヴィンを振り返った。
「実は……今朝の新聞に載っていたのです。歌姫のベアトリスとマイスター伯爵の記事が……」
「そうだったのですか。もう新聞の記事に載っていたのですね」
寂しげに返事をするイレーネ。
「申し訳ありません。万一、イレーネさんが駅で新聞を目にしてしまったらショックを受けてしまうのではないかと思って。つい……余計な話をしてしまいました」
「いいえ。教えて頂き、ありがとうございます。……でも、何となくそうなるのではないかと思っておりました」
「そうなのですか?」
「はい」
何しろ、あの家にはベアトリスの写真があった。
いくら鈍いイレーネでも、察しが就く。
「本来のお相手に出会えて良かったと思っております。……お二人には幸せになってもらいたいです」
それは心からのイレーネの言葉だった。
「イレーネさん……」
寂しげなその姿に、ケヴィンはそれ以上かける言葉が見つからなかった――
「これは、私の私物だったわね……」
結局イレーネが『コルト』からこの家に持参してきた持ち物は1着の着替えと、祖父からの誕生プレゼントの本一冊のみだった。
「後は全てマイスター家で買っていただいたものだから……私の物ではないものね」
小さくため息をつくと、イレーネは改めて周囲を見渡した。
カーテンにテーブルクロス、クッションカバー……家の中は全てイレーネの好きなもので溢れていた。
この家を自分のお気に入りの場所にするために、足繁く通ってインテリアを整えていた日々が今では夢のように感じられる。
それだけではない。
この町で新しく出来た女友達を招いてお茶会を開いたことや、リカルドと一緒に部屋の片付けをしたことも楽しい思い出だった。
そして……。
「ルシアン様……」
ルシアンはこの家にあまり寄りたがらなかったが、それでもほんのわずかでも一緒に過ごした出来事が脳裏に浮かぶ。
特に、嵐の夜……。
怖くて怖くて泣きながら震えていたイレーネのもとに、びしょ濡れになりながら駆けつけてくれたルシアン。
大きな腕で抱きしめてくれた、あの夜の記憶は今も鮮明に残っている。
あんなに安心感を得られたのは、あの日が初めてだった。
ずっと、この腕の中にいられたらと密かに願う自分がいた。
けれど、いつかはルシアンの元を離れなければならない。
だからあえてこれは契約だと今まで、イレーネは自分に言い聞かせてきたのだ。
「駄目ね。私って……本当に欲が深くなってしまったのね……これでは天国のお祖父様に叱られてしまうわね」
イレーネの目から、ポロリと大粒の涙が落ちる。
その時。
「イレーネさん……」
外で待っていたはずのケヴィンの声が背後で聞こえてきた。
「あ、は、はい! ケヴィンさん」
慌ててイレーネはゴシゴシと目を擦ると、笑顔で振り返った。
「すみません……外で待っているつもりだったのですが、イレーネさんのことが心配で……入ってきてしまいました」
申し訳なさそうに俯くケヴィン。
「い、いえ。大丈夫です。すみません、もう終わりました。お待たせして申し訳ございません」
イレーネは足元に置かれた小さなボストンバッグを手にした。
「イレーネさん。もしかして荷物は……それだけですか?」
「はい、そうですけど?」
「でも、まだ沢山荷物が残っているようですけど?」
ケヴィンは周囲を見渡した。
「ええ、そうなのですけど……でも、これらの物は全て私の物ではありませんから」
寂しげに笑うイレーネ。
「分かりました。では、行きましょうか? 荷物、お持ちしますよ」
「ありがとうございます」
イレーネはテーブルの上に短い手紙をそっと置くと、心の中で呟いた。
(お元気で……ルシアン様)
荷物をケヴィンに手渡して家の戸締まりをすると、再び馬に乗せてもらった。
****
「イレーネさん……」
青空の下、イレーネを馬に乗せながらケヴィンが話しかけてきた。
「はい、何でしょう」
「聞かないでおこうと思っていたのですが……ひょっとすると婚約者という方は、マイスター伯爵だったのではありませんか?」
「え……? 何故それを?」
驚いたイレーネは背後に座るケヴィンを振り返った。
「実は……今朝の新聞に載っていたのです。歌姫のベアトリスとマイスター伯爵の記事が……」
「そうだったのですか。もう新聞の記事に載っていたのですね」
寂しげに返事をするイレーネ。
「申し訳ありません。万一、イレーネさんが駅で新聞を目にしてしまったらショックを受けてしまうのではないかと思って。つい……余計な話をしてしまいました」
「いいえ。教えて頂き、ありがとうございます。……でも、何となくそうなるのではないかと思っておりました」
「そうなのですか?」
「はい」
何しろ、あの家にはベアトリスの写真があった。
いくら鈍いイレーネでも、察しが就く。
「本来のお相手に出会えて良かったと思っております。……お二人には幸せになってもらいたいです」
それは心からのイレーネの言葉だった。
「イレーネさん……」
寂しげなその姿に、ケヴィンはそれ以上かける言葉が見つからなかった――