はじめまして、期間限定のお飾り妻です

34話 親切な人々

 午後4時半――

イレーネは『デリア』のホームに降り立った。

「う~ん……快適な汽車の旅だったわ。やっぱり二等車両は座り心地が違うわね。切符を手配してくれたリカルド様に感謝しないと」

帽子をかぶり直したイレーネは、ホームに停車している汽車を見て嬉しそうに笑みを浮かべる。

「でもこんな贅沢、私のような者には身の丈が合わないわね。1年後、ルシアン様と離婚したら質素倹約に励まなくちゃ」

結婚生活が始まる前から、既に離婚後のことを見据えていたのだ。

「さて、では行きましょう」

イレーネはキャリーケースを引きずりながら、改札を目指して歩き始めた。

**

「う~ん……迂闊だったわ……そう言えばこの駅は階段を上らないと、外に出られなかったのよね……」

じっと階段を見上げるイレーネ。手元には二つのキャリーケース。
とてもイレーネの細腕では二つの荷物を持って、上ることは出来ない。

「……仕方ないわ。一つ残しておいて、階段を上るしかないわね……」

ため息をついたとき、背後で声をかけられた。

「お困りですか? よければ荷物をお持ちしますよ?」

「え?」

その声に振り向くと、白髪交じりの男性駅員が立っていた。

「よろしいのですか?」

「ええ。ちょうど駅員室に戻るところだったので」

そして男性駅員はキャリーケースを2つとも、持ったのでイレーネは慌てた。

「あ、あの。一つだけで大丈夫ですので。後の一つは自分で持ちます」

「いいえ、見たところ女性が持つには大きすぎる荷物ですよ。私が持つのでどうぞ階段を登って下さい」

「そうですか? それではお言葉に甘えて……ご親切にありがとうございます」

イレーネは礼を述べると、階段を登っていく。そこを後ろからキャリーケースを持った駅員がついていった。

「荷物を運んで頂き、ありがとうございました」

階段を登り終えると、イレーネは礼を述べた。

「いいえ、お役に立てて良かったです」

「あの……図々しいお願いとは思いますが……もう一つ、お願いしてもよろしいでしょうか?」

「はい、何でしょう?」

「電話をお借りしても良いでしょうか?」

イレーネは恥ずかしそうに駅員に尋ねた――


****

 駅を出ると、イレーネはため息をついた。

「それにしても、リカルド様が電話に出られなかったのは残念だったわ……というか、何故誰も電話に出なかったのかしら……?」

イレーネは何も知らなかったが、丁度その時間はタイミングが悪いことに使用人たちが全員ホールに集められている時間だったのだ。
当誰、誰もが電話に出られるはずは無かった。

「駅でお借りした電話だったから、何度もかけ直すことも出来ないし……仕方ないわね。何時の汽車に乗るとは告げていなかったけれど、まっすぐマイスター家に向かいましょう。連絡も無しに遅くなると、心配をかけさせてしまうかもしれないものね」

荷物もあることから、イレーネは辻馬車で向かうことにした。けれど、ここであることに気づく。

「そう言えば……辻馬車乗り場はどこにあるのかしら?」

『デリア』の町はとても大きい。人通りも激しく、馬車にまだまだ物珍しい車、そして路面列車が走っている。
とてもではないが、探せる自信は無かった。

「……仕方がないわね。やっぱり、また交番に行って尋ねるしか無いわね」

イレーネは再び交番に向かった。


****

「すみません……少々よろしいでしょうか?」

ためらいがちに交番の扉を開けると、例の青年警察官が待機していた。

「おや? あなたは……」

「はい、お恥ずかしい話ですが……またお世話になりに伺いました」

「いえ、ここは交番ですから気にしないで下さい。……そうですか、この町で暮らす為にいらしたのですね?」

青年警察官はイレーネが大きなトランクケースを両手に持っていることに気づいた。

「そうです。それで今回は辻馬車乗り場に行きたいのですが、場所を教えて頂けませんか?」

「ええ、それは構いませんが……そんなに大きな荷物を持って移動するのは大変ではありませんか? 一緒に行きましょうか?」

「いいえ、本当に一人で大丈夫ですのでお構いなく。ここまで一人でこの荷物を運んできたのですから。どうか、場所だけ教えて下さい」

「分かりました……では場所だけお教えしますね。一緒に外に出ましょう」

警察官はカウンターから出てきた。

「はい、お願いします」

早速2人は外に出ると、警察官が辻馬車乗り場のある方向を指さした。

「あそこに大きな時計台が見えますよね?」

駅前広場の噴水の奥に、時計台が立っている。

「はい、見えます」

「あの時計台の直ぐ側に辻馬車乗り場がありますよ」

「本当ですか? ありがとうございます」

イレーネ笑みを浮かべてお礼を述べ……ふと、あることを思い出した。

「そういえば……お巡りさん。昨日案内してくださったパン屋さんですけど、とても美味しかったです。ありがとうございました」

「そうですか? 気に入っていただけて良かったです」

「それで……お礼と言っては何ですが、どうぞこちらを受け取って下さい」

ショルダーバッグから小さな紙袋を取り出すと、イレーネは警察官に差し出した。

「……これは?」

「私の手作りクッキーです。どうぞ」

「い、いえ! このようなもの、受け取るわけにはいきませんよ。こちらは仕事なのですから」

慌てて断る警察官。

「お巡りさんは、クッキーはお嫌いですか?」

「い、いえ。大好きです……あ」

正直に答えてしまい、警察官は顔を赤らめる。

「だったら、是非受け取って下さい。味には自信がありますから」

イレーネは警察官にクッキーを押し付けた。

「あ……ありがとうございます。後で、同僚と一緒に頂きますね」

「いいえ。こちらこそお世話になりました。では失礼いたします」

こうして、イレーネは青年警察官に見送られながら辻馬車乗り場へ向かった――
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