はじめまして、期間限定のお飾り妻です

5話 大都市『デリア』

 約三時間かけてイレーネは大都市『デリア』に到着した。

駅前の広場は綺麗な石畳で舗装され、『コルト』ではまだ見たこと無い路面列車が走っている。
立ち並ぶ建物はどれも石造りで整然と立ち並び、町を歩く人々は誰もがどこか忙しそうに見えた。

「本当にここは近代化された町なのね。まぁ、あの大きな建物、なんて背が高いのかしら。十階建てはありそうだわ。あ、あれはもしかすると『車』というものかしら? すごいわ!」

ボストンバッグ片手に目の前を走り去っていった黒い車にイレーネは目を見開いた。彼女が住む町は片田舎だ。
このような大都市に来るのは生まれて初めてだったので目にする物すべてが新鮮に映った。


その時。

ボーン
ボーン
ボーン

駅前にある時計台が十一時を告げる鐘を鳴らした。

「あら、いけない。町の光景に見惚れている場合じゃなかったわ。早くマイスター伯爵家の邸宅に伺わないと。お昼時に訪ねては迷惑に思われているかもしれないものね。えっと……伯爵家はここから歩いていけるのかしら?」

ポケットから伯爵家の番地を書いたメモを取り出した。

「う〜ん……駄目だわ。さっぱり分からない……まずは交番を訪ねてみましょう。確か向こう側に交番があったはずだわ」

そこでイレーネは交番へ向かった――



****

赤い屋根の石造りの交番はすぐに見つかった。

「すみません、少々宜しいでしょうか?」

イレーネは交番の扉を開けた。

「はい、どうされましたか?」

カウンターの向こう側のデスクに向かっていた警察官が立ち上がる。

「あの、実はマイスター伯爵家に伺いたいので行き方を教えていただけませんか?」

「マイスター伯爵家ですか? ええ、教えてあげましょう。あのお屋敷は有名ですからね」

まだ年若い青年警察官は笑顔で返事をする。

「マイスター伯爵家に行くのであれば、馬車かタクシーを使うのが一番です。路面列車に乗るのでしたら、一番乗り場の『スザンヌ通り』で降りればすぐ目の前に広大な敷地に囲まれたお屋敷がありますよ。そこがマイスター伯爵家です」

「いえ、そうではありません。徒歩で向かいたいので道順を教えて頂けないでしょうか?」

「ええ!? まさか歩いて行かれるつもりですか!?」

大袈裟な程驚く青年警察官。

「はい、そうです。大丈夫、足なら自信があります」

頷くイレーネに警察官は困った表情を浮かべる。

「う~ん……悪いことは言いません。交通機関を利用された方が断然良いと思いますよ。何しろここ『デリア』は町全体が碁盤の目のようになっています。似たような建物ばかりですし、この町を知り尽くしていても歩けば一時間はかかるかもしれません。ましてや他所の土地の人では……辿り着けるかどうかも怪しいです」

「そんな……」

その言葉にイレーネは困ってしまった。ほんのわずかでも交通費を節約したかったのだ。何しろ今残りの手持ちは三千ジュエルしかない。帰りの切符代は買ってあるものの、これではあまりにも心もとない金額だった。

「あ、あの~……どうかしましたか? それでどの交通機関を利用しますか? 乗り場まで案内しますよ」

「いえ……交通機関は……使いません。代わりに地図を見せて頂けますか?」

「え……? ち、地図ですか?」

目を見開く警察官。

「はい、地図を見るのは得意です。簡単に書き写しさせて下さい。それを頼りに探してみます」

イレーネは肩から下げていたショルダーバックからメモとペンを取り出した。

「いえ、ですが……女性の身であんな距離を歩くのは無理ですよ。悪いことは言いません。交通機関を使って下さい」

「そ、それが……手持ちのお金があまり無いので少しでも浮かせたいのです」

恥ずかしそうに俯くイレーネ。

「そうだったのですか……?」

警察官は改めてイレーネをよく見た。
履き古したかのような古いショートブーツ。身なりも、手にしたボストンバッグもどこか古さを感じる。

言葉遣いや身のこなしは丁寧だけれども、お金に困っているのだと彼は理解した。少しの間、困った様子でイレーネを見つめ……何かを思いついたかの様子でポンと手を叩いた。

「よし、分かりました。ではこうしましょう。私が町の巡回がてら、連れて行ってあげますよ。丁度、そろそろ巡回に行こうと思っていたので」

「え? そんな! それではあまりにご迷惑です」

驚いてイレーネは首を振る。

「いえ、大丈夫ですよ。困っている市民を助けるのも警察の仕事ですから」

「あ、あの……本当に宜しいのでしょうか……?」

躊躇いがちに尋ねる。

「ええ。勿論ですよ。それでは今表に馬を連れてくるので外で待っていてください」

「はい、ありがとうございます!」

イレーネはその言葉に甘えることにした。
彼女は本当にお金に困っていたのだ。

こうして、思いがけない形でイレーネはマイスター伯爵家に向かうことになる――
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