はじめまして、期間限定のお飾り妻です
54話 勘違いする男
翌朝――
いつものようにイレーネとルシアンはダイニングルームで朝食を取っていた。
「イレーネ。今日はどのように過ごすのだ?」
ルシアンがパンにバターを塗りながら尋ねる。
「はい、午前10時にマダム・ヴィクトリアのお店から品物が届きます。クローゼットの整理が終わり次第、外出してこようかと思っています」
そしてイレーネはサラダを口にした。
「外出? 一体何処へ行くのだ?」
昨日のこともあり、ルシアンは眉をひそめた。
「生地屋さんに行こうと思っています」
「生地屋……? 布地を扱う店のことだよな?」
「はい、その生地屋です」
「生地を買ってどうするのだ?」
「勿論、自分の服を仕立てる為です」
「何!? 自分で服を仕立てるのか? そんなことが出来るのか?」
ルシアンの知っている貴族令嬢の中で、イレーネのように服を仕立てる女性が居た試しはない。
「はい、私の趣味は自分で服を作ることなので。他にすることもありませんし」
イレーネは働き者だった。朝は早くから起きて畑を耕して食費を浮かし、服を仕立てては洋品店に置かせてもらって細々と収入を得ていたのだ。
じっとしていることが性に合わないので服作りをしようかと考えたイレーネ。だがルシアンは別の解釈をしてしまった。
「イレーネ……」
(そうだよな、ここにはイレーネの知り合いは誰一人いない。友人でも出来れば寂しい思いをしなくても良いのだろうが……何しろ1年後には離婚をする。そんな状況で親しい友人が出来たとしても、将来的に気まずい関係になってしまうかもしれないしな……)
「ルシアン様? どうされたのですか?」
急にふさぎ込むルシアンにイレーネが声をかけた。
「い、いや。そうだな……君の考えを尊重しよう。……その、色々と……申し訳ないと思っている……」
「え? 何故謝るのですか? 何かルシアン様から謝罪を受けるようなことでもありましたか?」
「いいんだ、それ以上言わなくても。ちゃんと分かっている、分かっているんだ。何とか対応策を考える。それまで……待っていてくれないか?」
「対応策ですか……?」
そして、イレーネはルシアンの言葉の真意を理解などしていない。
(もしかして、洋裁道具を揃えて下さるということかしら? だったらこの際、ルシアン様のご好意に甘えてお願いしておきましょう)
「分かりました、ではお待ちしておりますね。よろしくお願いいたします」
「あ、ああ。任せてくれ」
ルシアンは対応策も考えつかないまま、返事をするのだった――
****
――食後、書斎で机に向かっていたルシアンはため息をついた。
「はぁ〜……」
「どうされたのですか? ルシアン様」
ルシアンの外出準備をしていたリカルドが声をかけた。
「いや……イレーネのことでちょっとな……」
その言葉にリカルドが反応する。
「イレーネ……? 今、イレーネさんのことをイレーネと呼びましたか?」
「ああ、そうだ。それがどうした?」
椅子の背もたれに寄りかかりながら、ルシアンはリカルドを見上げた。
「おやぁ? いつの間に呼び方を変えたのでしょう?」
意味深な顔でリカルドは尋ねる。
「何だ? その目は……呼び方を変えたのは昨夜だ。彼女から自分のことをイレーネと呼んで欲しいと言ってきたからだ。考えてみれば妻になる相手にイレーネ嬢と呼ぶのはおかしいからな。それでだ」
「そう言えば、今朝使用人たちがルシアン様とイレーネさんの噂話をしておりましたね」
「何? 俺とイレーネの噂話だと? どんな噂なんだ?」
ルシアンが身を乗り出す。
「はい、昨夜はルシアン様が何度も何度もイレーネさんの名前を呼んでいたそうですね? じっと、見つめながら……。もしや、ルシアン様……ひょっとして……?」
「な、何だって!? それは誤解だ! あれはだなぁ、イレーネが自分の名前を呼ばせる練習をさせたからなんだよ! 周りから不自然に思われないために!」
ムキになって説明するルシアン。
「ええ、分かりました。そうですよね、そんなはずありませんよね。何しろ、ルシアン様とイレーネさんは単なる1年間の契約結婚の関係なのですからね。それで、イレーネさんのことで何をお悩みなのです?」
「ああ、実は……」
ルシアンはリカルドに今朝の朝食の席での出来事を説明した。
「なるほど、そんなことがあったのですね」
「そうなんだ。寂しい思いをしているイレーネの為に何とかしてやりたいのだが……良い考えが思い浮かばなくてな」
そしてため息をつく。
「う〜ん……本当にイレーネさんは寂しいと感じているのでしょうか……?」
リカルドから見れば、イレーネはかなり楽天家に思えてならなかった。
「あんな事を言うくらいだ。気丈に振る舞っているのは見せかけで、本当は寂しいんだよ。いずれ、何とかしてやらなければな……」
(あの一件で、すっかり女性不信になってしまったルシアン様がイレーネさんを気にかけるなんて……少しずつ良い方向に変わってきているようだ
リカルドが安堵した直後、ルシアンからとんでもない言葉が飛び出してきた。
「リカルド、お前が何とかしろ」
「はい!? 何故私が!?」
折角ルシアンを見直しかけていただけに、耳を疑った。
「決まっているだろう? 元はと言えば、お前が遠い土地に暮らすイレーネを契約妻に選んだから、こうなったのだ。俺は色々忙しい身で、彼女のことで時間を割いている余裕が無い。お前が責任を持って彼女が寂しい思いをしないように対応策を考えろ。分かったな?」
「そ、そんな! ルシアン様!」
こうしてリカルドはルシアンのいらぬ勘違いのせいで、余計な悩みを増やされることになるのだった――
いつものようにイレーネとルシアンはダイニングルームで朝食を取っていた。
「イレーネ。今日はどのように過ごすのだ?」
ルシアンがパンにバターを塗りながら尋ねる。
「はい、午前10時にマダム・ヴィクトリアのお店から品物が届きます。クローゼットの整理が終わり次第、外出してこようかと思っています」
そしてイレーネはサラダを口にした。
「外出? 一体何処へ行くのだ?」
昨日のこともあり、ルシアンは眉をひそめた。
「生地屋さんに行こうと思っています」
「生地屋……? 布地を扱う店のことだよな?」
「はい、その生地屋です」
「生地を買ってどうするのだ?」
「勿論、自分の服を仕立てる為です」
「何!? 自分で服を仕立てるのか? そんなことが出来るのか?」
ルシアンの知っている貴族令嬢の中で、イレーネのように服を仕立てる女性が居た試しはない。
「はい、私の趣味は自分で服を作ることなので。他にすることもありませんし」
イレーネは働き者だった。朝は早くから起きて畑を耕して食費を浮かし、服を仕立てては洋品店に置かせてもらって細々と収入を得ていたのだ。
じっとしていることが性に合わないので服作りをしようかと考えたイレーネ。だがルシアンは別の解釈をしてしまった。
「イレーネ……」
(そうだよな、ここにはイレーネの知り合いは誰一人いない。友人でも出来れば寂しい思いをしなくても良いのだろうが……何しろ1年後には離婚をする。そんな状況で親しい友人が出来たとしても、将来的に気まずい関係になってしまうかもしれないしな……)
「ルシアン様? どうされたのですか?」
急にふさぎ込むルシアンにイレーネが声をかけた。
「い、いや。そうだな……君の考えを尊重しよう。……その、色々と……申し訳ないと思っている……」
「え? 何故謝るのですか? 何かルシアン様から謝罪を受けるようなことでもありましたか?」
「いいんだ、それ以上言わなくても。ちゃんと分かっている、分かっているんだ。何とか対応策を考える。それまで……待っていてくれないか?」
「対応策ですか……?」
そして、イレーネはルシアンの言葉の真意を理解などしていない。
(もしかして、洋裁道具を揃えて下さるということかしら? だったらこの際、ルシアン様のご好意に甘えてお願いしておきましょう)
「分かりました、ではお待ちしておりますね。よろしくお願いいたします」
「あ、ああ。任せてくれ」
ルシアンは対応策も考えつかないまま、返事をするのだった――
****
――食後、書斎で机に向かっていたルシアンはため息をついた。
「はぁ〜……」
「どうされたのですか? ルシアン様」
ルシアンの外出準備をしていたリカルドが声をかけた。
「いや……イレーネのことでちょっとな……」
その言葉にリカルドが反応する。
「イレーネ……? 今、イレーネさんのことをイレーネと呼びましたか?」
「ああ、そうだ。それがどうした?」
椅子の背もたれに寄りかかりながら、ルシアンはリカルドを見上げた。
「おやぁ? いつの間に呼び方を変えたのでしょう?」
意味深な顔でリカルドは尋ねる。
「何だ? その目は……呼び方を変えたのは昨夜だ。彼女から自分のことをイレーネと呼んで欲しいと言ってきたからだ。考えてみれば妻になる相手にイレーネ嬢と呼ぶのはおかしいからな。それでだ」
「そう言えば、今朝使用人たちがルシアン様とイレーネさんの噂話をしておりましたね」
「何? 俺とイレーネの噂話だと? どんな噂なんだ?」
ルシアンが身を乗り出す。
「はい、昨夜はルシアン様が何度も何度もイレーネさんの名前を呼んでいたそうですね? じっと、見つめながら……。もしや、ルシアン様……ひょっとして……?」
「な、何だって!? それは誤解だ! あれはだなぁ、イレーネが自分の名前を呼ばせる練習をさせたからなんだよ! 周りから不自然に思われないために!」
ムキになって説明するルシアン。
「ええ、分かりました。そうですよね、そんなはずありませんよね。何しろ、ルシアン様とイレーネさんは単なる1年間の契約結婚の関係なのですからね。それで、イレーネさんのことで何をお悩みなのです?」
「ああ、実は……」
ルシアンはリカルドに今朝の朝食の席での出来事を説明した。
「なるほど、そんなことがあったのですね」
「そうなんだ。寂しい思いをしているイレーネの為に何とかしてやりたいのだが……良い考えが思い浮かばなくてな」
そしてため息をつく。
「う〜ん……本当にイレーネさんは寂しいと感じているのでしょうか……?」
リカルドから見れば、イレーネはかなり楽天家に思えてならなかった。
「あんな事を言うくらいだ。気丈に振る舞っているのは見せかけで、本当は寂しいんだよ。いずれ、何とかしてやらなければな……」
(あの一件で、すっかり女性不信になってしまったルシアン様がイレーネさんを気にかけるなんて……少しずつ良い方向に変わってきているようだ
リカルドが安堵した直後、ルシアンからとんでもない言葉が飛び出してきた。
「リカルド、お前が何とかしろ」
「はい!? 何故私が!?」
折角ルシアンを見直しかけていただけに、耳を疑った。
「決まっているだろう? 元はと言えば、お前が遠い土地に暮らすイレーネを契約妻に選んだから、こうなったのだ。俺は色々忙しい身で、彼女のことで時間を割いている余裕が無い。お前が責任を持って彼女が寂しい思いをしないように対応策を考えろ。分かったな?」
「そ、そんな! ルシアン様!」
こうしてリカルドはルシアンのいらぬ勘違いのせいで、余計な悩みを増やされることになるのだった――