はじめまして、期間限定のお飾り妻です

77話 胸に秘めていたこと

――19時半

 イレーネとルシアンは2人で食堂車両で食事をとっていた。

「こちらの料理も、本当に美味しいですね。このお肉、とてもジューシーだと思いませんか?」

イレーネはすっかり上機嫌で食事を口にしている。一方のルシアンは……。

「それにしても……君があんなにカードゲームが強いとは思わなかった」

ため息混じりにワインを口にする。

「そうでしょうか? でも私が勝てたのは敢えて言えば……」

「敢えて言えば? 何だ?」

話の続きを促すルシアン。

「それはルシアン様が分かりやすい方だからですわ」

「ええ!? わ、分かりやすい? この俺が!?」

「はい、そうです。ルシアン様は良いカードが回ってくると顔に出てしまうからです」

「そ、そうか? 今まで何度も仲間内でカードゲームをしたことはあったが……そんな風に指摘されたことは一度も無かったぞ? 現にこんなに負けてしまったことは無かったし……」

(もし、これでお金を賭けていれば今頃どうなっていたかと思うとゾッとする)

ルシアンは身震いしながら考えた。

「ええ、確かに傍目からは気付かない小さな変化ですが……気づいていませんでしたか? ルシアン様はツキが回ってくると、口角がほんの数ミリ上がるのです」

「え? こ、口角が!?」

慌てて口元を隠すルシアン。

「プッ」

その様子にイレーネが小さく笑う。

「い、今……笑ったな?」

「あ……申し訳ございません。今のルシアン様の様子が、その……可愛らしかったものですから……」

可笑しくてたまらないかのように肩を震わせるイレーネ。

「ええ!? お、俺が可愛らしいだって!?」

(俺は成人男性だぞ!? それなのに可愛らしいだとは……!)

けれど目の前で笑っているイレーネを見ていると、不思議なことに怒りが湧く気持ちにもならない。むしろ、穏やかな気持ちになってくる。

そして、美味しそうに食事をしているイレーネを見つめるのだった――



****

――22時

「それではお休みなさいませ、ルシアン様」

隣のブースに映るルシアンにイレーネが声をかけた。

「ああ、おやすみ。『ヴァルト』には、明日10時到着予定だ。7時になったら朝食をとりに食堂車両へ行こう」

「はい、分かりました。それではまた明日お会いしましょう」

ルシアンの言葉に、笑みを浮かべるイレーネ。

「ああ。おやすみ」

そしてルシアンは通路を挟んだ隣のブースに移動した。



「……ふぅ」

書類に目を通すと、ルシアンはため息をついて窓の外を眺めた。
列車は鬱蒼と生い茂る森の中を走っている。

「……いつの間にか、森に入ったのか……」

時計を見るともうすぐ深夜になろうとしている。

「もうこんな時間か……本当なら、汽車の中で仕事をしようと思っていたのだが……まさかイレーネとカードゲームをすることになるとは……」

ルシアンはそこで苦笑する。
自分がそこまでボロ負けするとは思わなかったからだ。しかし、イレーネとのカードゲームが楽しかったのも事実だ。

その時――

「い、いや……お願い……!」

不意に隣のブースでイレーネの声が聞こえてきた。それは今までに聞いたことのない悲しげな声だった。

「イレーネ!?」

驚いたルシアンは立ち上がると扉を開けて、通路に出た。

「お願い……神様……」

「イレーネ! 具合でも悪いのか!?」

一瞬、躊躇したもののルシアンは思い切って扉を開け……息を呑んだ。

そこには月明かりに照らされ、長い金の髪を広げてベッドの上で眠るイレーネの姿があった。

「イレーネ……? 眠っているのか……?」

そっとルシアンは声をかけてみるも、イレーネからは返事がない。

「お祖父様……お願い……死なないで……私を……1人にしないで……」

苦しげなイレーネの目から一筋の涙が流れ落ちる。

「!」

今まで明るい笑顔ばかり見てきたルシアンにとっては衝撃的な光景だった。

「神様……お祖父様を……連れていかないで……お願いします……もう、ひとりぼっちはイヤなの……」

それはとても悲しげな声で、ルシアンは思わずイレーネの手を上から握りしめた。

「大丈夫だ……君は一人ぼっちじゃない……」

するとイレーネの顔に安堵の笑みが浮かぶ。

「そうだ、安心して眠るといい……」

ルシアンはイレーネの頭をそっと撫でる。

「良かっ……た……」

イレーネは安心したかのように穏やかな寝息を立て始めた。

「イレーネ……君は、本当は……ずっと悲しみを胸に隠していたのか……?」


ルシアンはいつまでもイレーネの手を握りしめていた――



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