ゆらりとときがきざむとき

【四幕】

 由良理の住む水面市では、毎年冬になるとお祭りが開かれる。昔からずっと続いている伝統的なお祭りだった。いつも、由良理が登校する際に雅也や京介との待ち合わせ場所に使っている寂れた公園が、その会場となるのだ。

 とても大きな公園のくせに、丘の途中に作られているためだろうか、普段は人っ子一人見当たらない。お陰でノラ猫のたまり場になっている。だがお祭りが近づくにつれて、公園の木々に紐を結んで、見るからに格好の悪い提灯を吊るしてライトアップを施す。
 人工的な光が闇夜を淡く照らす。

 この公園の名前は水面公園という。そのままのネーミングだが、むしろ今では寂れた公園と言った方がピンとくる。

 家が水面公園に近いこともあり、由良理は毎年、お祭りに足を運んでいた。小さい頃は家族と一緒に、そして中学校に入ってからは雅也と京介、そして妹の葵と四人で夜の屋台を見て歩いた。

 今年も、由良理はお祭りを見に行く予定だった。しかし、それは十希の一言によって変更せざるを余儀なくされた。

「――――た、大会?」

 由良理は、あんぐりと口を開けていた。

「由良理、口が開いてるぞ」

 雅也が指摘する。

「あ、うん……」

 慌てて口を閉じた。

「大会って、ダンスのか?」

 羨ましくも、京介が十希にタメ語で話しかける。
 そしてそれに少し脹れた由良理。

「うん、三月に水面公園で、ダンスの大会があるんだ。といっても、ホントに小さな大会なんだけどね」

 そう言うと、十希は箸に掴んでいたご飯のかたまりを口に頬張る。

 今、四人は学校にいた。十希から話があると言われて喜んでいた由良理だったが、例の如く雅也と京介がついてきて、結局四人でお昼を取ることになったのだ。屋上でのんびりと弁当箱を突いていたが、外の風はやはり寒い。今は一月だ。来週辺り、雪が降るのではないかと思えるほどの寒さだった。

 実に、七年振りらしい。ダンスの舞台が開かれるのは。

「一緒に出てみないかな、と思って……」
「い、一緒に……? わたしとですか?」
「うん」

 ニコリと微笑む。

「どうかな?」
「是非お願いします!」

 勢いよく、そう言う。

「十希、なんで下手っぴとペア組むんだよ」
「下手っぴとはなによ、雅也!」

 雅也の言葉にムッときて、由良理は言い返した。

「だって、面白そうだもん。ねえ」

 十希は由良理の方を見つめる。

「面白そうって、その……」

 なんて答えればいいのか分からなかった。

「面白いかどうかは別として、ペアが由良理じゃ入賞するの無理じゃないか?」
「入賞? なによそれ、もしかして入賞すると賞金が出るの?」
「水面市にあるほとんどのダンススクールが参加するほどの規模の大会なんだから、当然だろ」
「へえ、凄いのね」
「由良理、お前意味判って言ってんのか? いろんなダンススクールが、そのスクールの精鋭たちを出場させるんだぞ? そんな中にお前みたいな素人が出て、恥かかずに済むと思うか?」

 呑気な表情をしていた由良理に対し、雅也は呆れたように答えた。

「うっ、それは……」

 ようやく理解し、表情が引きつり始めた。

「大丈夫だよ。御剣さん、上手だもん」
「それは初級クラスでの評価だろ? 十希との実力差は歴然としてるし。十希と由良理が一緒に出ても、由良理が恥をかくだけだ」
「なによ、心配してくれてるの?」
「バカが」
「御剣さんは、どう思う?」
「えっ」
「一緒に、水面祭りの大会に出てみない?」

 十希に見つめられる。視界には、雅也と京介の姿も映っている。どうやらこちらを見ているようだ。

 ――由良理は悩んだ。

 十希と一緒に踊ることができるのは嬉しい。一緒に踊るということは、一緒にダンスの練習をして、振り付けをするということだ。それはつまり、十希との仲が今よりも進展するかもしれないということに繋がる。

「えっと……」

 ――しかし。

 同時に、怖かった。

 雅也の言葉が木霊する。
 大勢の観客の前で、舞台の上で、無様な姿を晒す自分をイメージしてしまう。

 失敗する。
 恥をかく。
 情けない、ほんとに情けない。そんなことが自分の頭の中に映像として流れる。

「わ、わたしは……」

 周りの緊張を感じる。由良理が、なんと答えるのか、待っている。

「――踊ってみたい、です」

 気づいた時には、そう言っていた。
 雅也のため息が聞こえた気がした。それは気のせいだったかもしれない。でも、多分、心の中では何度もため息を吐いていたことだろう。違いない。

「よかった、じゃあ今週から一緒に練習をしなきゃね」

 十希の声が聞こえる。
 そう、自分はもう決めたのだ。三月に開催される水面祭りにて、ダンスの大会に出場することを決心したのだ。

 もう、逃げられない。後には引けないのだ。
 ただ、前へ進むのみ。ひたすら練習をするのみ。

 十希の足を引っ張ってはいけない。少しでも十希に近づけるように、努力しなければならない。そうしなければ、到底追いつくことができないから。

 その日の夕方、由良理は上級クラスのレッスンを見学しに行った。見学していると、一人の女子に話しかけられた。

「あら、知らない子を発見。どこから迷い込んだのかしら」

 その口調に少しムッとしたが、言葉にはしなかった。

「なんですか」

 無表情で答える。

「貴女、ジャズダンス習ってるの?」
「もう習ってますけど」
「へえー」

 ジロジロと見てくる。まるで値踏みするような目つきだった。

「せいぜい頑張りなさい。まあ努力しても辿り着くところは目に見えてるけどね」

 一言多い奴だと感じた。

「誰よ、あいつ」

 近くでダンスシューズを履いていた雅也に問いかける。

「相良佐奈。ダンスマスターズで、多分十希の次に上手い」
「へっ、ホントに?」
「マジだ」

 淡々と答える。

「でも、いつも他の人を見下した感じだから嫌われてるけどな」
「なるほどね」

 思わず頷いた。

「もしかして、彼女も水面祭りのダンス大会に出たりするの?」
「よく分かったな」
「ああ、そう」

 うな垂れた。
 それと同時に、あんなヤツには負けたくないという気持ちが芽生えたのを感じた。

 上級クラスのレッスンは、由良理の通ってる初級クラスとはレベルが違っていた。若菜の振り付けに習って、十希は左足を右足にクロスさせると、右足を軸にしてそのままくるりとターンをしてみせる。それと同時に両手を肩の高さで横に突き出し、そのまま真上へと伸ばしていく。ターンを回り切った後、弧を描くようにして手を開き、下ろしていく。由良理のぎこちないそれとは違い、十希のターンはとても滑らかだった。顔は常に前を向いていて、ターンを回る瞬間にさっと顔を切り、すぐに正面を見据える。

「やっぱり、上手い……」

 由良理は感嘆した。
 上級クラスの人たちは、それぞれ特徴的な踊り方をする。その中でも、ひと際輝きを放っているのが十希だった。

 ダンスを踊っている十希の姿は、見とれてしまうほど綺麗だった。美しく舞い、全ての人を魅了しようかというほどに華麗に踊り続ける。手足をしっかりと伸ばし、動きもハキハキしている。

「十希には才能がある」

 由良理が十希の方をずっと見ていると、肩をすくめながら雅也は言った。

「才能?」
「初心者に毛が生えた程度のお前でも、見てれば気づくだろ。上級クラスの中でも十希が飛びぬけて上手だってことくらい」
「まあ、一応」
「十希は小学生の時、ダンス留学してるからな」
「――それ、嘘じゃないでしょうね?」
「嘘言ってどうなんだよ」
「それはそうだけど」
「十希とペア組めることを誇りに思うと同時に、十希に見合うだけの実力を付けなきゃダメだからな」
「言われなくても分かってるわ。恥はかきたくないし」
「お前が恥かくのなんてどうでもいいんだよ」
「どういう意味よ」
「お前が失敗したせいで、十希が恥かくことにでもなってみろよ」
「あっ……」

 自分のことしか考えていなかったことに初めて気づいた。

「寝る暇があったら、毎日欠かさずストレッチをすること。そして、基礎ステップの練習だけでも完璧にしておけ」
「ちょっと待って」

 その場を立ち去ろうとする雅也を呼び止める。

「あのさ、雅也」
「なんだ」
「どうすれば、短期間で上手くなれるかな……?」
「無理」

 即答した。

「無理って、ちょっと……」
「十希ならともかく、お前じゃ短期間で飛躍的に上手くなるなんてことは不可能だ。断言する」
「分かってるわよ。分かってるけど――」

 今さっき、雅也が告げた言葉が身に沁みる。どうすれば、上手くなれるのだろうか。自分が失敗する分には構わない。ただそれが原因で十希が恥をかくのが耐えられない。もっと、上手になりたい。そう感じていた。

「――放課後」
「へっ?」
「授業が終わってからでいいなら、教えてあげてもいいぞ……」
「なにを?」
「……鈍いな、ダンスに決まってんだろ」
「雅也が……? い、いいの?」

 雅也は視線を逸らして、こくりと頷く。

「雅也」

 名前を呼ばれて、少しだけ顔を上げる。

「その、ありがとね」
「――お前みたいな奴でも一応、幼なじみだからな」

 それだけ言うと、雅也は練習に戻って行った。

     ※

 翌日から、雅也との極秘練習が始まった。
「違う! バカ由良理、何度言ったら分かるんだよ!」

 屋上に怒声が響き渡る。

「そこはインからアウトに動けって言っただろーが!」
「分かってるってば!」

 由良理まで声が大きくなる。
 雅也の練習は厳しかったが、その分由良理が上達するのも早かった。毎日練習を重ね、ダンスマスターズでは初級クラスのレッスンが終わった後に十希と一緒に水面祭りのダンス大会で踊るための振り付けを考えたり、毎日が充実していた。

「御剣くん、最近図書館に顔出さないよね」

 昼休み、四人で屋上に出て、昼食を取っているときのことだった。

「えっ、ああ、はい……」

 口ごもる。

「最近、ちょっと忙しくて」

 朝からは早朝ランニングをして、授業中は疲れているので惰眠を貪る。そして放課後になると、学校の屋上で雅也と一緒にダンスの練習をしていた。図書館に行く暇など、まったくなかった。

「もしかしてテスト勉強?」
「そ……そんな感じです」

 嘘をつく。
 忘れていたが、もうすぐ三月に入る。三月の上旬には、中学生活最後の期末試験が待ち構えているのだ。少し、焦った様子を見せてしまった。

「僕も勉強してないから心配だな」

 十希も同調する。

「十希は勉強しなくても大丈夫だろ。この前の中間試験、学年で七位だったし」
「え、ほんとですか?」

 驚いて、由良理は十希を見る。

「まぐれだよ」

 はにかみながら答える。

「いや、まぐれでそんな順位取れないだろ。普通は」

 京介が突っ込む。

「そういや京介も頭良かったよな」
「俺にはアリスちゃんがついているからな。勉強で疲れることなど有り得ん」
「あっそ」

 雅也が関心無さ気に答える。

「そろそろ試験勉強も始めなきゃね……」

 空を見上げながら呟く。それを雅也が聞いていたらしく、

「お前はダンスだけ練習しとけばいいんだよ。俺たちは受験組みじゃないんだから勉強なんて高校に入ってからで十分だ」
「まあね。でも、雅也も勉強できる方だったよね」
「うるさいな。いいからご飯食べろ」
「はいはい」

     ※

 その日、放課後の練習が終了して雅也と二人で帰ってる最中だった。

「なあ」
「ん?」

 横を歩いている雅也を見る。

「――なんでもない」
「なによそれ」

 怪訝そうに雅也を見つめる。しかし、雅也はそれからなにも言わずに沈黙するだけだった。雅也が黙っているので、由良理も黙りこみ、二人は沈黙したまま歩き続けた。

「じゃあ、また明日ね」

 雅也の家の前に着き、由良理は帰ろうとする。

「……ああ」

 喉を鳴らす程度の声で、頷く。
 その瞳は、少しだけ寂しそうにみえた。

「ただいまー」
「お帰り。今日も練習して来たの?」

 葵がぱたぱたと玄関に走ってくる。

「うん」

 一言答える。
 葵は、由良理が雅也と一緒に放課後、ダンスの練習をしているのを知っている。由良理がつい、口を滑らせてしまったのだ。雅也には秘密だと言われていただけに、このまえ学校へ行く前に公園で待ち合わせしていた時、葵が雅也にそのことを話したことでばれてしまった。その後、由良理は雅也に文句を言われた。

「最近いい感じだね、お姉ちゃんたち」

 陽気に言葉を発した。

「――は?」

 意味が、分からなかった。

「なんのことよ」
「だから、お姉ちゃんと雅也くんのこと!」
「……葵、頭打ったの?」

 そう言った瞬間、葵にすねを蹴られた。

「痛っ! な、何すんのよ……!?」
「鈍感だね。嫌われても知らないよー」
「嫌われるって、何がよ?」

 聞き返すが、葵は何も答えずに居間へと入っていった。

     ※

 二月も下旬、水面祭りのダンス大会の期日が刻一刻と近づいて来た。それと同時に、恐怖の期末試験も――。

 上級クラスを見学した後、由良理はスタジオに残って十希と一緒にダンスの振り付けをしていた。雅也も、それを見学する。

「――そう、上手くなってきてるよ! その調子!」

 十希の声が、由良理の耳に届く。その声を聞いているだけで、元気が沸いてくる感じがする。やる気が出てくる。しかし、それをぶち壊す声が飛んだ。

「うわ、下手くそね~」

 女性の声だった。振り向くと、そこには相良佐奈が立っていた。
 一瞬にして、スタジオの雰囲気が変わった。ただ、振り付けのために流している曲だけが旋律を奏でていた。

「実力ない奴が大会に出ても同じなのに、無駄な努力ご苦労様」

 さらに続けて言い放つ。

「おい、お前――」

 雅也が言葉を発しようとするのを、十希が制する。

「そういう言い方は、よくないと思うよ」

 強い口調ではなかったが、しかしその瞳には怒りにも思えるものが宿っているように見えた。こんな表情の十希を見たのは、初めてだった。

「ねえ十希くん? そんな子とペア組んで、大会で入賞できるとでも思ってるの?」
「別に入賞したくて大会に出るわけじゃないよ」

 すぐさま答える。

「じゃあなに? もしかして出場することに意義があるとでも言いたいの? はあ~、だから十希くんは甘いんだよ。才能が埋もれちゃうよ」
「……」

 由良理は、その光景を黙って見ていた。

「だからさ~、今からでも遅くないよ? 十希くん、あたしとペアを組もう? そうすれば、十希くんの実力以上のものを発揮させてあげるから。入賞も……いや、優勝も間違いなしだよ?」

 悔しいが、彼女が言っていることは事実だった。自分と一緒では、入賞することなど絶対に無理だろう。その点、相良は十希に継ぐ実力者である。どのように考えても、十希は相良とペアを組んだ方が、いい結果が残せるはずだ。しかし、十希は首を振った。

「遠慮しとくよ」

 十希は言った。由良理は驚き、十希の方を見やった。

「どーしてよ! その子より、あたしの方が上手いでしょ!」
「――相良さんは、気づいていないんだね」

 ぽつりと、呟く。由良理と雅也、そして相良の三人が、その言葉に沈黙した。

「御剣さんは、きみが持っていないものを沢山持ってるよ」
「十希……」

 雅也が小さく、声を出した。静かな悲しそうな声で言う。

「僕は、御剣さんとペアを組むことにしたんだ。だから、ごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げる。

「――ふんっ、勝手にすれば? 大会で恥かいても知らないから!」

 捨て台詞を言ってのけると、彼女はスタジオから出て行った。

「もっとガツンと言ってやればよかったのに」

 雅也が言う。

「ダメだよ」
「なんでだよ」
「相良さんだって、僕たちと同じダンスマスターズの一員なんだからさ」
「うっ、そりゃそうだけどさぁ……」

 雅也は、それ以上何も言い返せなかった。

「さあ、御剣さん。早く振り付けの続きをしよう!」
「は、はい!」

 十希の声に元気を取り戻し、由良理は練習を再開した。
 ぶっつけ本番、絶対に失敗は許されない。考えると、胸が締め付けられる。

 だからこそ、由良理は燃えていた。ここで、最初から最後まで踊りきることができれば、十希に認めてもらえるような気がしたから。
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