15年後の世界に飛ばされた無能聖女は、嫌われていたはずの公爵子息から溺愛される

1 公爵家

 馬車は、今まで見たことものないくらい大きくて立派な屋敷の前で停まった。

「さあ、到着したよ」
「は、はい」

 向かいに座る公爵様がニコニコしながら声をかけてくれる。

「緊張しなくていい。これからここが君の家になるんだから」

 そう言われても緊張しないはずがない。
 ついさっきまで私は実の両親も知らない、教会暮らしの孤児だったんだから。
 私は公爵様に続いて馬車を降りる。
 立派な門の向こうにはお屋敷に負けないくらい広々としたお庭があって、春の日射しに緑が鮮やかに輝く。

(門から玄関までこんなに歩くなんて)

 見知らぬ世界に足を踏み入れているような錯覚をおぼえてしまう。
 公爵様が玄関扉を開ける。

「うわ……!」

 綺麗な美術品と訪問者を歓迎するみずみずしい花で彩られたホールが、扉の向こうに広がっていた。

「旦那様、お帰りなさいませ」

 そして公爵様を出迎える大勢の使用人たち。

(あの子が……)

 事前に公爵様から話は聞いていた。
 使用人たちとは違う、仕立ての良さが一目で分かる子ども。
 ヨハネ・ホルシュタイン。ホルシュタイン公爵家の跡継ぎ。
 ヨハネ君はまだ十歳なのに、十七歳の私よりもずっと堂々としていた。
 さらさらの美しい銀髪に、猫のように円らな瞳は美しい金色。
 睫毛は影ができるほど長く、女の子と言っても通じるほどの可憐さ(本人に言ったら、怒られるだろうけど)。
 肌の色は透き通るように綺麗で、顎が少し尖っている。
 後光がさしているみたいで、じっと見ていたら目が潰れてしいそう。

(こんなに綺麗な子どもが世の中にいるなんて!)

 公爵様にはあまり似てないから、きっとお母さんに似たのかもしれない。

「ユリア。隣にきなさい」
「は、はい」

 公爵様から呼ばれ、おずおずと従う。緊張のあまり手と足が同時に出ちゃう。

「ヨハネ。今日からお前の姉になる、ユリアだ。仲良くしなさい。いいか?」

 この子とこれからこの大きなお屋敷で暮らすことになるんだ。
 うまくやれるかな。
 孤児だなんて嫌だって思われないといいんだけど。

「あ、姉だなんてそんな……畏れ多いです……!」

 私は俯き気味に答えると、公爵様は仕方がないなという顔をされる。

「ヨハネ君。はじめまして。私はユリアです。よ、よろしく……ね?」

 どんな自己紹介をすれば第一印象で嫌われないか色々と考えたけど、結局、そんな挨拶しかできない。

「っ」

 ヨハネ君はくるっと私に背を向けたかと思うと、二階へ通じる大きな階段を上がっていってしまう。

「あ…………」

 公爵様は苦笑いする。

「きっと恥ずかしがっているんだ。気にする必要はない」
「……はい」

 初対面はそんな感じで、最初からうまくいかなかった。

「ランドルフ。この子を部屋まで案内するように」
「かしこまりました。お嬢様、屋敷の管理全般を任されております、執事長のランドルフと申します」

 燕尾服を着た五十代くらいの執事が深々と頭を下げる。

「お、お嬢様!? そんな私は……」
「今日から公爵家の養女になられるのですから、立派なお嬢様でございます」

 これまでの人生一度も呼ばれたことのない呼称に、気恥ずかしくなってしまう。
 使用人の何人かがクスクス笑うのが分かり、恥ずかしさのあまり消えたくなる。

「ユリア、しっかり休みなさい。夕食の時にまた会おう」
「はい、公爵様」
「では、こちらへどうぞ」

 ガチガチに緊張しながらランドルフさんの後に続く。
 部屋は二階の角部屋。よく日が当たる南向きの部屋。

「うわ……!」

 童話に出てくるお姫様の部屋みたいに広い上に、奥にもう一部屋あるみたいだ。
 手前の部屋には応接セットがあって、奥が寝室。
 ベッドの大きさにもびっくりしてしまう。
 これって何人家族用? みんなでここで眠るの?
 ランドルフさんに聞いたら、「お嬢様専用のベッドですよ」と冷静に返されてしまった。

(十七年生きてきた全ての常識が通用しない世界にいるのね……)

 それからランドルフさんは、私のお世話をすると、二人のメイドさんたちを紹介してくれる。
 用事があれば何でも仰ってください、と言われたけど、人にお願いするほど大変なことなんてあるんだろうか。

「では失礼いたします」

 ランドルフさんがお辞儀をして部屋を出ていく。
 メイドさんは背の高い、つり目のほうが生真面目そうなほうがアリシアさん、背の低いそばかすが可愛らしい子がジャスミンさんと言うらしい。

「お嬢様、お茶はいかがですか?」
「頂きます」

 手早くお茶の準備がされた。
 今まで触れたことがないくらい綺麗なポッドと、ティーカップ。
 教会で使っていたものみたいに縁が欠けてたり、修繕をした箇所があるわけじゃないピカピカ。
 紅茶は高級品とは縁遠い私でさえ分かるくらい、とても香りが良かった。
 お茶と一緒にだしてもらったクッキーはこれまで食べたどんな置かしよりも甘くて、サクサクしてて、口の中にいれると、さっと溶けた。

 緊張のあまり手が震えて、紅茶がこぼれてしまうと、ジャスミンさんが拭いてくれた。 自分のことは自分でやることが当たり前の教会とは正反対の世界は、まるで異世界のよう。
 お茶を飲んでいる間、ずっとお二人が部屋の片隅で立っていたのはすごく気になってしまった。
 視線が気になってしまい、「ご一緒にお茶はどうですか?」とお二人を誘ってみたけれど、「お構いなく」とにこやかに拒否されてしまう。

(お構いなくって言われても気になるんですが!)

「……少し休みますね」

 私は落ち着かなくなり、席を立つ。

「お着替えをお手伝いいたしますか?」
「だ、大丈夫です。一人でできますので」

 私は寝室に逃げ込んだ。
 一人になり、ほっと一息つく。
 ベッドに座ると、あまりの柔らかさにバランスを崩して引っ繰り返ってしまった。
 誰も見てなくて良かった。

 なんて柔らかなベッドなんだろう。
 大きさにばっかり目がいっていたけど、教会のお布団みたいにぺしゃんこじゃないし、バネが飛び出していて、寝る時に気を付ける必要もない。
 お布団は石鹸と日向のいい香りがした。
 公爵様の養女になるだなんて今でも夢みたいだと思う。

 寝室には素敵な鏡台もついている。鏡を縁取る波打つような装飾が可愛い。
 曇りもひびもないピカピカの鏡。
 そこにミルクティ色のロングヘアに琥珀色の瞳の、平凡な私の姿が映る。
 教会の近所の食堂で働いたお給金で買った、古着のピンクのワンピースが、素敵な部屋で浮いている。

 正直、このワンピースよりメイドさんたちの服のほうが高いんだろうな、とぼんやりと思いつつ、私はボタンを外して胸元をくつろげる。
 胸元に、花の蕾のような形をした赤いアザが浮かぶ。
 聖痕と呼ばれるものだって、シスターが教えてくれた。

 百年に一度、聖痕を持った女性――聖女が発見される。
 私が生まれ育ったヴァンデルハイム王国では聖女を貴族の養女にするというのが昔からの習わし。
 聖女には不思議な力がある。
 回復魔法が使えたり、手で触れてもいないのに物を動かすことができたり、思い浮かべた場所に自由に移動できたりとさまざま。
 私もやがては力に目覚める時がくる。
 でもその力が何なのかはまだ分からない。

 王都で一番大きな教会にいる大司教様がその力を調べてくれるみたい。
 ただ力が判明するほど、私の聖痕は成長しきってない。
 蕾が開いて、花の形になってようやく能力を使えるし、調べられることが可能になるらしい。
 私の力は一体なんだろうと、ワクワクとドキドキ、そして不安がまざりあう。

(引き取って下さった公爵様をガッカリさせないような、すごい力だったらいいな)

 公爵様はこんなに素敵な部屋を私のために用意してくれたことはもちろん、私の願いを聞き届けて、教会に多額の金を寄付して下さった。
 その恩に報いたい。
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