15年後の世界に飛ばされた無能聖女は、嫌われていたはずの公爵子息から溺愛される

25 汚染源

 翌朝、いつものように身支度を終えると、ヨハネが訪ねてきた。
 空気を読んだアリシアさんたちが去り、二人きりになる。

「おはよう、ユリア。いい夢は見られたか?」
「おはよう、ヨハネ。うん見られた」
「良かった。それで――」
「ふふ」
「なにかおかしかったか?」
「昨日の別れ際もこんな感じだったなって。お互いの名前を呼んで……」

 ちょっとしたことでも微笑ましくなって、幸せな気持ちになれる。

「そうだな」
「あ、話の腰を折っちゃってごめんね。それで、何?」
「大したことじゃない。ここで一緒に朝食でもどうだ? 食堂では他の人間の目があるから、二人きりで」
「もちろん」
「良かった。すぐに準備をさせよう」

 メイドたちがカートを運んで来て、朝食の準備を進める。
 準備が整えるとヨハネはメイドたちを下がらせた。
 早速、食事にする。
 いただきます、と私はロールパンをちぎり、口に運ぶ。
 本当にお屋敷の料理はいつ食べても飽きることがないくらい美味しい。

「ヨハネは、昨日はよく眠れた?」
「なかなか寝付けなかった、告白の返事をくれた時のことを何度も思いだしたら昂奮して」
「あ……そ、それは私も」
「でもよく眠れたんだろ?」
「……夢に見たの。あの時のことを」
「そうか」

 ヨハネは嬉しそうに口元を綻ばせると、そっと手を伸ばし、私の頬に優しく触れた。

「な、なに?」
「パンがついていた」

 そうして指をそっと舐める。

「あ、ありがとう。でもだったら教えてくれれば」
「教えたら、赤くなったユリアの顔を見られないだろ?」
「か、からかわないで……っ」
「つい反応が可愛いから」

 朝からからかわれてしまったけど、二人きりで食事をするだけでも心が弾むくらい楽しかった。

「……今日は予定ある?」
「いや。どこかに出かけたいのか?」
「目的地があるわけじゃないけど、散歩でもどうかなって」
「分かった。大通りに出かけて、ドレスやアクセサリーを購入してもいいな」
「待って。別に何かが欲しいわけじゃないの。ただ単に一緒にでかけたいなって思っただけ。ただ散歩するだけで十分なの」
「俺は、ユリアに何かを贈りたい。お前は可愛いんだから、もっと着飾って欲しい。王国、いや、大陸一幸せな女性になって欲しいんだ」
「……それはもう、なってるから」
「え?」
「あなたが、いてくれるだけで、私は大陸一幸せよ」
「そういうことをさらりと……」
「だ、大丈夫?」

 ヨハネは俯いてしまう。髪の毛から覗いた耳が、真っ赤だった。

(ヨハネも、私の言葉でドキドキしてくれてるってこと、だよね?)

 何をするかはともかくこうして一緒に出かける予定をたてた。
 告白を受け入れてはじめて出かけることに。
(はじめてのデート、だよね……?)
 でも残念ながらその予定は、殿下が訪ねていらっしゃったことで延期にせざるをえなかった。

「――ヨハネ、どうして僕を睨むんだ?」
 応接間で向かいあっている殿下の言葉に、「別に」と言いながら、ヨハネは不満を隠そうとはしなかった。
 私も残念だけど、殿下の表情にはいつもの余裕のある笑みがなかったことが気にかかった。

「殿下。何か対応しなければならないことが起こったんでしょうか」
「さすがはユリアさんだ。その通り。あなたの力を借りたい」
「浄化、ということですね」
「東部にある水源の浄化を頼みたい。そこは長らく守り続けたこのあたりの一番の水源地だが、ついに魔物によって汚染されてしまった。このままでは王都が干上がってしまう」
「分かりました」
「ありがとう。ただこれまでの浄化と違って、汚染の濃度が高い」

 ハッ、とヨハンが鼻で笑う。

「身勝手だな。聖女といえども力は有限だ。ユリアの優しさにつけ込んで、無理をさせるような真似は許さない」
「ヨハネ、殿下を睨まないで」
「それくらいでこいつが応えるタマか」

 私の注意にもヨハネは悪態をやめない。朝はあんなにも爽やかで、優しく笑ってくれていたのが嘘のよう。

「僕なら平気だから。それで、ユリアさん。浄化だが、今から頼みたい。守りは」
「――俺がやる」
「……分かった。近衛兵も、お前の指揮下にいれる。自由に使ってくれ」
「ユリアが断らないことを見越して兵士を連れてきてたのか。そういうのも気に入らないな。お前が王太子じゃなかったらなますにしてるところだ」

 殿下が苦笑いをこぼす。

「王太子で良かったよ。断られたとしても、何が何でも頷いてもらうつもりだったからね」

 二人の間に不穏な空気が流れ始めたことに気付いた私は咳払いをする。

「とにかく始めましょう」

 私たちは早速でかける。
 いつもよりもずっと仰々しく守られている。
 それだけ今回の浄化には危険が伴うということなのだろう。

(しっかり務めを果たさなきゃ)

 王都を出て一時間ほどで目的地の水源に到着する。そこはかつて森があったであろう場所にあった。
 森があった頃はきっとかなり踏み込まないとたどりつけないような神秘的な場所だったことが窺われるけど、今は腐敗臭を漂わせる。
 空気までどんよりとして重たいように感じてしまう。
 馬車を降りると、すぐにそこから感じる不浄の力の強さに緊張してしまう。

「ユリア」

 ヨハネが心配そうに顔を覗き込んでくる。

「平気。ただ。たしかにひどい状況だなって思っただけ」
「無理は絶対にするな」
「うん、大丈夫」

 どうやらヨハネは私に付き添い続けてくれるつもりで、私と歩調を合わせ、すぐ後ろについていてくれる。
 彼の存在を間近で感じるだけで、励まされるような気がした。
 私は両手を伸ばし、意識を集中する。
 頭の中で透明な雫がしたたり、淀みを浄化していく様子を想像する。
 しかしそのイメージをした直後、黒い淀みに取って変わられてしまう。
 さらにその淀みがまるで意思を持っているかのように蠢き、私に絡みついてくる。

「っ!」

 ぐっと、奥歯を噛みしめる。
 体が小刻みに震えて、汗が噴き出した。
 邪悪な意思をひしひしと感じてしまう。
 怖い。
 気を抜けば叫びを上げてしまいそうな薄気味の悪さを感じながらも、意識を集中し、力を使い続ける。しかし立ち眩みを覚え、息が乱れた。
 浄化はまだ済んでいない。私は意識をさらに集中する。
 しかしフッ、と目の前が真っ暗になる。
 気付くと、膝から崩れ落ちるところだった。

「ユリア!」

 すぐ背後にいたヨハネが、支えてくれる。

「ハァ、ハァ……ヨハネ……あ、ありがと……」

 視界がぼやけ、肩で息をした。
 息苦しさと気持ち悪さに、うまく言葉がでない。
 ヨハネが皮袋に入れた水を飲ませてくれる。

「今日はもう終わりだ」
「だ、いじょうぶ……まだ……」
「無理するな。今日一日でどうにかできるものじゃない。無理をすれば、お前の体が危うくなるんだぞ」
「でも」
「浄化はお前にしかできないんだ。お前にもしものことがあれば、お前が助けたいという人たちがもっと困ることになる。弱い人たちのためにも、自分自身を労ってくれっ」
「……うん、そうだね」

 ヨハネに強く言われ、私は無念な気持ちを噛みしめながら頷く。
 たしかに今日ここで無理をして、明日以降の作業に支障がでては意味がない。
 ヨハネが安心したように表情を緩めてくれる。

「よし」

 その時、突き上げるような地響きを感じた。

「なにっ」

 周囲を守っていた騎士たちが慌てる。

「騒ぐな! 防御陣形だ!」

 ヨハネの声に、騎士たちは落ち着きを取り戻す。
 地響きは移動している。

「ヨハネ、これ、ただの地震じゃないよね……?」
「ああ。足元に何かがいるっ」

 二十メートルほど離れた地面が大きく盛り上がる。

「くるぞ!」

 ギイイイイィィィィィィィィ……!!

 巨大な赤黒い芋虫のような魔物が、地面から飛び出し、無数の歯が生えそろった大きな口を開ける。
 私を抱き抱えたヨハネが、馬にまたがる。
 この状況では馬車での移動は危険と判断したのかもしれない。

「ハッ!」

 ヨハネが馬腹を蹴り、馬を走らせる。
 芋虫は周囲の騎士には一切関心を払わず、まっすぐ私たちに向かってきた。

「ユリア、頭を下げてろ。俺がいいと言うまで絶対に頭を上げるなッ!」

 私は首を縦に振り、言われた通りにした。
 何が起こっているのかは分からないけれど、しっかり私を抱いてくれている、太くたくましい片腕が心強かった。
 私は馬の躍動、そして魔物のうなりと、ヨハネの剣が何かを斬り裂く生々しい音が交錯するのを聞き続けた。
 やがてそれまでずっと聞こえ続いていた魔物の甲高い鳴き声がぱたりとやんだ。

「……もういいぞ」

 息の切れたヨハネの声に、頭を上げた。汗をかいたヨハネと目があった。
 表情には疲労感が滲んでいたけど、その目の光は強い。

「周りは見ないほうがいい。魔物の死骸なんて見たら、悪夢を見ることになるかもしれないからな」
「そ、そうね」
「戻ろう」

 私はヨハネにすがりつくように抱きつく。
 彼はぴくりとかすかに震えた。
 ヨハネは懐から以前プレゼントしたハンカチを取り出したかと思うと、私の目尻を拭う。
 私は恐怖のあまり、泣いていたことに気付く。

「私より、ヨハネが使って。汗がひどいんだから」
「このハンカチを俺の汗で汚すわけにはいかないだろ」
「そんなこと言い出したら私の涙だって。自分のハンカチがあるし」
「いいから」

 ヨハネは頑固に言って、私の涙を優しく推すように拭いてくれた。

「もう、子どもじゃないのよ」

 唇を尖らせながら、されるがままになる。

「知ってる。……よし、これでいい」
「……ありがとう。それじゃ、私のハンカチで汗を拭かせて」

 私はポケットから取り出したハンカチで、ヨハネの顔を流れる滝のような汗を拭う。

「……お前の香りがするな」

 ヨハネはハンカチを握る私の手を包み込んだ。

「! そ、それって、に、臭うって……」
「いい香りだって意味だよ。本当にいい香りで……どうにかなりそうなくらいだ」
「…………っ」

 私は赤面しながらも、ヨハネの汗を拭った。
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