太陽ひとつ、恋ひとつ
八月一日(木)
「いや、ファミレスで読書感想文は難易度高くない?」
 向かいのソファに座る恭子が、テーブルに広げられている原稿用紙を見つめながら言った。
「だってこれしか残ってないから、課題」
 「うわ、嫌味ー」と眉間に皺を寄せる恭子は、私が初日に終わらせた現代文の課題に取り組み中である。
「ま、いいや。で、青羽くんの体調は? 大丈夫なの?」
「ああ、うん。翌朝にはもう治ってたみたい」
「保健室での付き添いのおかげだね」
「えっ、いや、私は別に、何も……」
 あの時を思い出すと、顔のみならず体全体が熱くなってしまう。
 私は、病人に対して、なんてことを。
「あんた、顔赤くない?」
 指摘されると、さらに熱くなる。ゆえに赤くなる。
「え、なになに? え、え? なんかあったの? マジ?」
 興奮して声量が増していく恭子に向かって、人差し指を口元に立てた。「あ、ごめ……」とボリュームダウンする。
「……キスした」
 しばらくして私が呟くと、「はっ?」と目を丸くする恭子。
「え、キスしたの?」
 その質問に、俯きながら頷く。
「七波から、青羽くんに?」
「うん」
「いつ」
「……保健室で」
「寝込み襲ったってこと?」
 「人聞き悪いな」と苦笑する。
「言っとくけど、ほっぺに軽くしただけだから」
「へえ……、あの航大に、ねえ」
 以前の私の表現を引用してきた。何かがふつふつと湧いてくる違和感が、胸と喉に。
「あの、とか言わないでよ」
 言い終えて、口を押さえた。おそるおそる顔を上げると、ニヤついた表情の恭子が私を待っていた。
「めっちゃ好きになっちゃってんじゃん」
「ほんとにね」
 そう吐いた口から溜息が出る。今のこの状態が到底信じられない。でもそれ以上に、ただの幼なじみとしてしか航大を見られていなかった自分が信じられない。
「この二週間で何があったのよ」
 たかが二週間、されど二週間。
「でもよかったわ、順調そうで」
「順調……、なのかな」
「とりあえず順調でしょ。喧嘩もしてないんだし、本気で好きになっちゃったみたいだし?」
 男の人として、航大を見ることになった。それ自体は、恋愛初心者の私には大きな第一歩である。でも、その後は? 肝心な航大の気持ちは? 同じ気持ちでいてくれているとは限らない。保証もない。
 今月でこの関係は、終わってしまうのに。
「一気に顔色悪くなったね」
 顔に触れてみる。熱は、完全に冷めていた。
「いいじゃん、恋する乙女って感じで」
「乙女……」
 ふと呟き、窓に映った自分の姿を見つめる。
 黒く短い髪、女性らしさ皆無のファッション、デニムの裾から顔を覗かせる安物のサンダルを、なんとなく恥じた。
 これらのスタイルやアイテムを誇りに思ったことは一度もないが、ある意味一つの「自分らしさ」だった。実際、デートの日のコーディネートは、比較的最近買ったものを着用しているだけで、普段と雰囲気はほぼ変わらない。
「七波、良いこと教えてあげよっか」
 恭子は人差し指を立て、「恋愛において、一番大事なこと」と言った。
「そして、幼なじみのあなたたちが最も苦手とすることかも」
「……何?」
「素直になること」
 身構えた割に、思った以上にシンプルだった。でも、難しい。確かに一番苦手かもしれない。手元にある一文字も出て来ない読書感想文よりもずっと。
「絆は長い年月の中で充分に出来てるんだろうし、これさえ守れば大丈夫だから」
「わかった」
「私が元カレと果たせなかったこと、代わりに成し遂げてよ」
「コウキくん……、だっけ?」
「名前出すなっつの」
「はははっ」
「ははは、じゃないっつーの」
 自分らしくいていい。そう言われた気がした。
 ありがとう、恭子。
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