太陽ひとつ、恋ひとつ
「……イイ」
近所のショッピングモールにて、女性水着専門店唯一の男性客が、数々の商品の前で顎に手を当てて一言。
「男としても彼氏としても満点」
そんな謎の採点をする航大を、私は少し離れた場所から見ていた。
「ねえ、あの人……」
近くで商品を見ていた女の子グループの一人が、航大を見て口にした。
マズい。確実に変態扱いされてる。クレームが来る前に去った方がいいだろうか。
「航……」
しかし私の呼びかけは、彼女の呟きに遮られることになる。
「カッコいい……」
思わず「はっ?」と声が出た。慌てて口を塞ぐ。
「わかる、超イケメンだよね」
隣にいた女性が同意する。
「めっちゃ水着見てない? 可愛いー」
「あの顔なら逆に見てほしいよね」
まるでハートを飛ばすように、航大の容姿や言動を称賛している。
「近くにいる人、彼女かな?」
「羨ましいなあ、ウチらも見てもらいたーい」
私は、最近観たバラエティ番組の信憑性を疑い始めていた。
番組内の「彼氏を連れて行きたくない場所は?」という十・二十代女性に向けたアンケートで、回答が圧倒的に多かったのは「水着専門店」だった。理由としては、「見栄を張って小さめのサイズを買ってしまう」、「デザインの好みが彼氏と異なる」、「単純に試着がしにくい」などの意見があった。
それなのに。
「理想の彼氏だよね」
「イケメンだしねー」
水着選びも――仮とはいえ――異性との交際も初めての経験である私にとっては、それらに特に抵抗はなかったことなのだけれども。
「ヤバい、マジカッコいいんだけど」
「あれは変態でも推せる」
結局は顔なのか、とツッコみたくなるくらいに彼女たちの注目は続く。だんだん恥ずかしくなってきた。
「……ねえ」
先程から黒いビキニの前を動かない背中に、消え入りそうな声で呼びかけた。振り向いた航大が「決まった?」と満面の笑みで投げてくる。
「いや、えっと……、あ、他の店も見たいなあ、と思って」
「そっか。これ、結構いいと思うんだけど」
視線は再び黒ビキニの方へ向かい、私もつられてそれを追う。改めて近くで見ると、露出度の高さに思わず後ずさった。このままじゃ、あのくだらないプラン名通りのシナリオになってしまう。
「俺としては、な」
「え」
航大が手を伸ばしたのは、ネイビーを基調とした生地に花柄がプリントされたタンキニ。シックだけどとても華やかだ。
「あ、可愛い……」
「お前はこれくらいの方がいいだろ?」
これなら体型もあまり気にならないし、泳ぐのには不向きだけど洋服感覚で着られる。
「これにする? ちなみに三千二十八円。プラス税。今日までのウルトラサマーセール価格だって」
商品のタグを私に見せる。
「これはもう買えってことじゃね?」
「そう……、かな」
「よし、決まり」
すると、何故か航大は私に水着を渡すことなく移動し始めた。
「どこ行くの」
「レジ」と単語だけ呟く。
「自分で持っていくよ」
傍から見たら、なんだか持たせているみたいで落ち着かない。
「あっ……」
違う。財布を取り出す様子を見て思った。持たせている、だけじゃない。
「い、いいよ、これは! 自分で……」
デート代は全部持つ、という言葉通り払ってくれようとしている。だけど、これはデート代じゃない。
「いいんだよ、デートで使うんだから」
説得されて言葉に詰まるも、無視して私も財布を取り出そうとした。が、バッグの中を手探りしている間に、航大はさっさと会計を済ませてしまった。
「いいのに」
溜息混じりに不満を漏らしながら、店を出る。
「ちゃんと使えよなー」
商品が入った紙袋も持ってくれている。変に紳士的で調子が狂う。
「腹減ったな、なんか」
「……ありがとね、これ」
「おう……、ってあれ!」
遠くに何かを発見したようで、「なあなあ、あれ!」と私の肩を何度も叩いてくる。一気に子どもの表情に戻った。
「かっちゃんと政子じゃない?」
「えっ……? あ、ホントだ!」
かっちゃんと政子というのは、中学時代の先生のあだ名である。勝山先生と南先生。南先生は、教科書に載っていた北条政子に似ている、というだけで生徒の間でそう呼ばれていた。
三年二組の担任と副担の関係だった、ということ以外は特に何の接点もないと思われていたが、私たちが卒業するタイミングで二人はなんと結婚したのだ。
「聞いた時はびっくりしたよね、意外すぎて」
「でもあれ、結婚前に二人でいるとこ見たってやつ結構いたぜ」
「え、そうなの?」
「部活終わりのやつとか、二人が自転車で帰っていくとこ見たって」
「そうだったんだ……」
二人は職場結婚ということになる。
一日のほぼ半分の時間を同じ建物で過ごす中で、なるべく毎日顔を合わせていただろうし、好きになったきっかけとか合図とか目配せとか、二人だけの秘密なんかも生まれたのだろう。距離が近い故のものなのか、ただ相性が良かったからなのか。
「いつの間にかパパとママになってるし」と航大が気づく。かっちゃんの手元にはベビーカーがあった。中を覗いては優しい笑顔を浮かべる。その様子を見た政子は、やれやれといった表情ながらも幸せそうだ。
「なんだか全然違う人たちに見える」
「結婚って、そんなに人を変えたりするんかな」
「どうだろうね」
「かっちゃん、すげえ笑ってる」
航大がそう言って失笑する。
「ほんとだ、あんまり笑わない人だったのに」
「無駄にクールだったよな」
「ふふっ、無駄って」
つられるように私も笑った。
昔のことや思い出を共有できるのって楽しい。そして、その相手がいることはすごく嬉しい。
「あー、懐いなー」
幼なじみの特権、なんて照れ臭くも思った。
「やっぱ安定だな」
「うん、思い出話はね。無限に出てくるし」
「じゃなくて」
否定し、「お前が」と私を指差す。
「私?」
「お前といると面白えな、って意味」
言葉に詰まった。何故か声も出なかった。
適当に「そう?」とか言ったり、軽くお礼とかして返せばいいのに。
何故か何にもできなかった。
ただ、嬉しくて。
「飯行こうぜ」
ろくに返事もできず頷き、気楽に鼻歌を奏でている航大の後を追った。
きっと航大は、同じように想像することもないだろう。気づくこともない。
私が一瞬、かっちゃんと政子に私たちを重ねてしまったことなど。
近所のショッピングモールにて、女性水着専門店唯一の男性客が、数々の商品の前で顎に手を当てて一言。
「男としても彼氏としても満点」
そんな謎の採点をする航大を、私は少し離れた場所から見ていた。
「ねえ、あの人……」
近くで商品を見ていた女の子グループの一人が、航大を見て口にした。
マズい。確実に変態扱いされてる。クレームが来る前に去った方がいいだろうか。
「航……」
しかし私の呼びかけは、彼女の呟きに遮られることになる。
「カッコいい……」
思わず「はっ?」と声が出た。慌てて口を塞ぐ。
「わかる、超イケメンだよね」
隣にいた女性が同意する。
「めっちゃ水着見てない? 可愛いー」
「あの顔なら逆に見てほしいよね」
まるでハートを飛ばすように、航大の容姿や言動を称賛している。
「近くにいる人、彼女かな?」
「羨ましいなあ、ウチらも見てもらいたーい」
私は、最近観たバラエティ番組の信憑性を疑い始めていた。
番組内の「彼氏を連れて行きたくない場所は?」という十・二十代女性に向けたアンケートで、回答が圧倒的に多かったのは「水着専門店」だった。理由としては、「見栄を張って小さめのサイズを買ってしまう」、「デザインの好みが彼氏と異なる」、「単純に試着がしにくい」などの意見があった。
それなのに。
「理想の彼氏だよね」
「イケメンだしねー」
水着選びも――仮とはいえ――異性との交際も初めての経験である私にとっては、それらに特に抵抗はなかったことなのだけれども。
「ヤバい、マジカッコいいんだけど」
「あれは変態でも推せる」
結局は顔なのか、とツッコみたくなるくらいに彼女たちの注目は続く。だんだん恥ずかしくなってきた。
「……ねえ」
先程から黒いビキニの前を動かない背中に、消え入りそうな声で呼びかけた。振り向いた航大が「決まった?」と満面の笑みで投げてくる。
「いや、えっと……、あ、他の店も見たいなあ、と思って」
「そっか。これ、結構いいと思うんだけど」
視線は再び黒ビキニの方へ向かい、私もつられてそれを追う。改めて近くで見ると、露出度の高さに思わず後ずさった。このままじゃ、あのくだらないプラン名通りのシナリオになってしまう。
「俺としては、な」
「え」
航大が手を伸ばしたのは、ネイビーを基調とした生地に花柄がプリントされたタンキニ。シックだけどとても華やかだ。
「あ、可愛い……」
「お前はこれくらいの方がいいだろ?」
これなら体型もあまり気にならないし、泳ぐのには不向きだけど洋服感覚で着られる。
「これにする? ちなみに三千二十八円。プラス税。今日までのウルトラサマーセール価格だって」
商品のタグを私に見せる。
「これはもう買えってことじゃね?」
「そう……、かな」
「よし、決まり」
すると、何故か航大は私に水着を渡すことなく移動し始めた。
「どこ行くの」
「レジ」と単語だけ呟く。
「自分で持っていくよ」
傍から見たら、なんだか持たせているみたいで落ち着かない。
「あっ……」
違う。財布を取り出す様子を見て思った。持たせている、だけじゃない。
「い、いいよ、これは! 自分で……」
デート代は全部持つ、という言葉通り払ってくれようとしている。だけど、これはデート代じゃない。
「いいんだよ、デートで使うんだから」
説得されて言葉に詰まるも、無視して私も財布を取り出そうとした。が、バッグの中を手探りしている間に、航大はさっさと会計を済ませてしまった。
「いいのに」
溜息混じりに不満を漏らしながら、店を出る。
「ちゃんと使えよなー」
商品が入った紙袋も持ってくれている。変に紳士的で調子が狂う。
「腹減ったな、なんか」
「……ありがとね、これ」
「おう……、ってあれ!」
遠くに何かを発見したようで、「なあなあ、あれ!」と私の肩を何度も叩いてくる。一気に子どもの表情に戻った。
「かっちゃんと政子じゃない?」
「えっ……? あ、ホントだ!」
かっちゃんと政子というのは、中学時代の先生のあだ名である。勝山先生と南先生。南先生は、教科書に載っていた北条政子に似ている、というだけで生徒の間でそう呼ばれていた。
三年二組の担任と副担の関係だった、ということ以外は特に何の接点もないと思われていたが、私たちが卒業するタイミングで二人はなんと結婚したのだ。
「聞いた時はびっくりしたよね、意外すぎて」
「でもあれ、結婚前に二人でいるとこ見たってやつ結構いたぜ」
「え、そうなの?」
「部活終わりのやつとか、二人が自転車で帰っていくとこ見たって」
「そうだったんだ……」
二人は職場結婚ということになる。
一日のほぼ半分の時間を同じ建物で過ごす中で、なるべく毎日顔を合わせていただろうし、好きになったきっかけとか合図とか目配せとか、二人だけの秘密なんかも生まれたのだろう。距離が近い故のものなのか、ただ相性が良かったからなのか。
「いつの間にかパパとママになってるし」と航大が気づく。かっちゃんの手元にはベビーカーがあった。中を覗いては優しい笑顔を浮かべる。その様子を見た政子は、やれやれといった表情ながらも幸せそうだ。
「なんだか全然違う人たちに見える」
「結婚って、そんなに人を変えたりするんかな」
「どうだろうね」
「かっちゃん、すげえ笑ってる」
航大がそう言って失笑する。
「ほんとだ、あんまり笑わない人だったのに」
「無駄にクールだったよな」
「ふふっ、無駄って」
つられるように私も笑った。
昔のことや思い出を共有できるのって楽しい。そして、その相手がいることはすごく嬉しい。
「あー、懐いなー」
幼なじみの特権、なんて照れ臭くも思った。
「やっぱ安定だな」
「うん、思い出話はね。無限に出てくるし」
「じゃなくて」
否定し、「お前が」と私を指差す。
「私?」
「お前といると面白えな、って意味」
言葉に詰まった。何故か声も出なかった。
適当に「そう?」とか言ったり、軽くお礼とかして返せばいいのに。
何故か何にもできなかった。
ただ、嬉しくて。
「飯行こうぜ」
ろくに返事もできず頷き、気楽に鼻歌を奏でている航大の後を追った。
きっと航大は、同じように想像することもないだろう。気づくこともない。
私が一瞬、かっちゃんと政子に私たちを重ねてしまったことなど。