初恋の糸は誰に繋がっていますか?

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その日の夜は達貴さんからの電話を何食わぬ顔で対応した。
ちょうど彼は急いで出かけなければならないようで、ぼろを出さずに済んだ。
だって今いる部屋はあの高級マンションでは無く、隣の音もよく聞こえるウィークリーマンション。
これから仕事と住む先も決めなければならない。
しかし苗字が変わったのはこういう時に不便だと思った。
置いていった離婚届を、彼がいつ出したのかわからない。
だから電話だけ着信拒否にし、メッセージはやりとりできるようにした。
わざと彼が眠る時間以降に彼への感謝と別れのメッセージを短く送信するときには、馬鹿みたいに涙が出た。
今まで、何度スマホから聞こえた彼の声で安心できただろうか。
もう電話で彼と話すことも無い。
彼の声を聞いたらきっと、私は駄目になってしまうから。


彼が私の送った別れのメッセージに気づいたのは早かった。
朝というのに何通ものメッセージが届いている。
私は再度謝罪を送り、離婚届を帰国次第勝手だけど出して欲しいとお願いした。
彼が、何か私に起きたからなのかと心配している。
起きたことは彼の思うこととは違う。
本当の理由だけは言わずに、やり過ごしたかった。

彼からは電話を着信拒否しないでくれとメッセージが何度も届く。
申し訳ないと思っても、それだけは応えなかった。
平日だというのに私は家にいて仕事を探したいが、ネットの求人サイトに登録するには住所が必要だ。
先にウィークリーマンションではないマンションを探さなければならない。

物件を探しながら、彼と同居を始めた時を思い出す。
ずっとそうだ。
何かあれば、彼との思い出が紐付いて出てきてしまう。
借りている部屋は七畳で窓は西向き、コンロは一つ、冷蔵庫はホテルと同じように小さい。
自分の身の丈にはこういう場所が合っている。
彼のおかげであんなにも守ってもらえて、お姫様のような世界を味わえた。
過去から今でさえも彼を縛り付けてきた私が姿を消さなければ、彼は新しい人生を歩めないのだから。
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