わたしのプリンスさま〜冴えない男子の育て方〜
第2章〜映文研には手を出すな〜④
10月1日
休日の土曜日――――――。
妹と祖母の三人暮らしである深津寿太郎の自宅は、朝から、ちょっとした騒ぎになっていた。
「お兄! 廊下のダンボール、昨日のうちに片付けておいてって、言ったでしょ!?」
朝食をとろうと、二階の寝室から階下のリビングに降りてくると同時に、寿太郎の鼓膜を突き刺すような柚寿の声が飛んでくる。
「十時の約束なんでしょ!? あと、二時間もないよ! なんで、昨日の夜のうちに、掃除を済ませとかないの!?」
午前中からの来客に備えて、妹は、落ち着かないようすだ。
それというのも、今日は深津家に、オレのクラスの女子二名が訪問してくることになっているからである。
なぜ、(自他ともに認める)女子と縁のない学園生活を送っていた寿太郎の家に、女子が訪ねてくることになったのか?
ことの経緯は、こうだ――――――。
瓦木亜矢プロデュースによる、『深津寿太郎改造計画』の第1フェーズである《スキンケアおよび眉の手入れ》は、視聴覚室での座学講義をスケジュール通りに終えていた。
放課後に行われた講義の内容は、下級生メンバーが日替わりで撮影してくれている。
ここで、いよいよ実践編に突入! となって、実施場所は、今回の企画の被験者でもある寿太郎の自宅を提供することになったのだが……。
講義の終了後、妹の柚寿にLANEの通話機能で、瓦木プロデューサーとドキュメンタリーの撮影係として、映文研のメンバー1名を我が家に招くことを申し出たところ、
「断固拒否する!」
という返答を受けてしまった。
柚寿の思春期女子という年頃と、学内の映文研の評判を考慮すれば、仕方のないことかも知れない。
(スイーツの提供などで、なんとか、交渉の余地は無いものか……)
無い知恵を絞って思案していると、妹の方から、妥協案を提示してきた。
「亜矢ちゃんと、そのお友達なら、別にイイよ……」
LANEの無料通話のスピーカーをオンにした会話は、すぐに視聴覚室のメンバーに認知され、簡単な協議が行われる。
「ゴメ〜ン! 土曜は、用事があるから、ちょっとムリだわ」
瓦木の友人のひとり、名塩奈美が答えると、もうひとりの友人、樋ノ口莉子が、控えめに手を上げて、
「私で良ければ、一緒に行こうか? 撮影なら、少しは協力できると思うし……」
と、申し出てくれた。
「ありがとう! 莉子!」
「ありがとう! 樋ノ口さん!」
瓦木とオレの声は、ほぼ同時に発せられ、少し驚いたようすの樋ノ口は、
「お邪魔でなければ……だけど……」
そう言って、照れくさそうに微笑む。
同じクラスになってから半年近くが経過しているにもかかわらず、これまであまり意識していなかったが、彼女は、その友人二名と違って、やや控えめな性格のようである。
「いやいや……樋ノ口さんなら、大歓迎だよ! 大丈夫だよな、柚寿?」
彼女の申し出を喜んで受けることを確認すると、「わかった〜! オッケ〜」と、スマホのスピーカーから、妹の返事が返ってきた。
これで、なんとか、第1フェーズの《スキンケアおよび眉のお手入れ》実践編の実施にもメドが立ちそうだ、と安心していると、何故か、不機嫌そうな表情の瓦木が、
「ふ〜ん……『樋ノ口さんなら大歓迎』ねぇ〜。どうやら、わたしは、ご本人にあまり歓迎されてないみたいね」
と、不貞腐れたようにつぶやく。
どうして、そうなるんだ……?
誰も、瓦木を歓迎しないなんて、言っていないだろう――――――?
なぜか、ご機嫌ななめなプロデューサーをなだめようと、寿太郎が言葉を発しようとすると、それより先にスマホ越しに、
「亜矢ちゃんが、お友達を連れて来てくれるなんて、めっちゃ嬉しいです!」
という柚寿の声が聞こえてきた。
「へぇ〜、誰かさんと違って、妹さんは、とっても素直で良い子なんだね! ユズちゃんだっけ? 明日は、ヨロシクね!」
誰かさんというフレーズをわざわざ強調した亜矢の発言に違和感を抱きつつも、寿太郎は、彼女が妹の柚寿と良好な関係を築いてくれそうなことに安堵する。
「私もヨロシクね、柚寿さん」
穏やかな声で語る樋ノ口の言葉に続いて、妹は、スピーカーの向こうから、明るい声で
「こちらこそ、よろしくお願いします! 明日は、おふたりに会えるのを楽しみにしてます!」
と返してくる。そして、さらにとどめとして、
「それより、お兄! 女子が二人も家に来てくれるんだから、掃除と片づけをちゃんとしてよ!」
と、『兄の威厳』という概念など、まるでお構いなしといった感じで、叱咤の言葉(激励の意図はおそらくない)を浴びせてきた。
LANEの無料通話回線を通して行われる兄妹の会話に、視聴覚室の室内からは、失笑が漏れる。
瓦木亜矢は露骨に肩を震わせ、名塩奈美に至っては大口をあけて手を叩き、おまけに、樋ノ口莉子までクスクスと笑い声を漏らしている。そして、映文研の男連中は、あきれるように、乾いた笑みを浮かべるのみだ。
このように、女子二名が我が家に来訪するという深津寿太郎の人生史上、空前にして絶後かも知れない事態を前にして、動揺のあまり、帰宅してからも、なにも手がつかないまま、彼は《スキンケアおよび眉のお手入れ》実践編の当日を迎えていた。
休日の土曜日――――――。
妹と祖母の三人暮らしである深津寿太郎の自宅は、朝から、ちょっとした騒ぎになっていた。
「お兄! 廊下のダンボール、昨日のうちに片付けておいてって、言ったでしょ!?」
朝食をとろうと、二階の寝室から階下のリビングに降りてくると同時に、寿太郎の鼓膜を突き刺すような柚寿の声が飛んでくる。
「十時の約束なんでしょ!? あと、二時間もないよ! なんで、昨日の夜のうちに、掃除を済ませとかないの!?」
午前中からの来客に備えて、妹は、落ち着かないようすだ。
それというのも、今日は深津家に、オレのクラスの女子二名が訪問してくることになっているからである。
なぜ、(自他ともに認める)女子と縁のない学園生活を送っていた寿太郎の家に、女子が訪ねてくることになったのか?
ことの経緯は、こうだ――――――。
瓦木亜矢プロデュースによる、『深津寿太郎改造計画』の第1フェーズである《スキンケアおよび眉の手入れ》は、視聴覚室での座学講義をスケジュール通りに終えていた。
放課後に行われた講義の内容は、下級生メンバーが日替わりで撮影してくれている。
ここで、いよいよ実践編に突入! となって、実施場所は、今回の企画の被験者でもある寿太郎の自宅を提供することになったのだが……。
講義の終了後、妹の柚寿にLANEの通話機能で、瓦木プロデューサーとドキュメンタリーの撮影係として、映文研のメンバー1名を我が家に招くことを申し出たところ、
「断固拒否する!」
という返答を受けてしまった。
柚寿の思春期女子という年頃と、学内の映文研の評判を考慮すれば、仕方のないことかも知れない。
(スイーツの提供などで、なんとか、交渉の余地は無いものか……)
無い知恵を絞って思案していると、妹の方から、妥協案を提示してきた。
「亜矢ちゃんと、そのお友達なら、別にイイよ……」
LANEの無料通話のスピーカーをオンにした会話は、すぐに視聴覚室のメンバーに認知され、簡単な協議が行われる。
「ゴメ〜ン! 土曜は、用事があるから、ちょっとムリだわ」
瓦木の友人のひとり、名塩奈美が答えると、もうひとりの友人、樋ノ口莉子が、控えめに手を上げて、
「私で良ければ、一緒に行こうか? 撮影なら、少しは協力できると思うし……」
と、申し出てくれた。
「ありがとう! 莉子!」
「ありがとう! 樋ノ口さん!」
瓦木とオレの声は、ほぼ同時に発せられ、少し驚いたようすの樋ノ口は、
「お邪魔でなければ……だけど……」
そう言って、照れくさそうに微笑む。
同じクラスになってから半年近くが経過しているにもかかわらず、これまであまり意識していなかったが、彼女は、その友人二名と違って、やや控えめな性格のようである。
「いやいや……樋ノ口さんなら、大歓迎だよ! 大丈夫だよな、柚寿?」
彼女の申し出を喜んで受けることを確認すると、「わかった〜! オッケ〜」と、スマホのスピーカーから、妹の返事が返ってきた。
これで、なんとか、第1フェーズの《スキンケアおよび眉のお手入れ》実践編の実施にもメドが立ちそうだ、と安心していると、何故か、不機嫌そうな表情の瓦木が、
「ふ〜ん……『樋ノ口さんなら大歓迎』ねぇ〜。どうやら、わたしは、ご本人にあまり歓迎されてないみたいね」
と、不貞腐れたようにつぶやく。
どうして、そうなるんだ……?
誰も、瓦木を歓迎しないなんて、言っていないだろう――――――?
なぜか、ご機嫌ななめなプロデューサーをなだめようと、寿太郎が言葉を発しようとすると、それより先にスマホ越しに、
「亜矢ちゃんが、お友達を連れて来てくれるなんて、めっちゃ嬉しいです!」
という柚寿の声が聞こえてきた。
「へぇ〜、誰かさんと違って、妹さんは、とっても素直で良い子なんだね! ユズちゃんだっけ? 明日は、ヨロシクね!」
誰かさんというフレーズをわざわざ強調した亜矢の発言に違和感を抱きつつも、寿太郎は、彼女が妹の柚寿と良好な関係を築いてくれそうなことに安堵する。
「私もヨロシクね、柚寿さん」
穏やかな声で語る樋ノ口の言葉に続いて、妹は、スピーカーの向こうから、明るい声で
「こちらこそ、よろしくお願いします! 明日は、おふたりに会えるのを楽しみにしてます!」
と返してくる。そして、さらにとどめとして、
「それより、お兄! 女子が二人も家に来てくれるんだから、掃除と片づけをちゃんとしてよ!」
と、『兄の威厳』という概念など、まるでお構いなしといった感じで、叱咤の言葉(激励の意図はおそらくない)を浴びせてきた。
LANEの無料通話回線を通して行われる兄妹の会話に、視聴覚室の室内からは、失笑が漏れる。
瓦木亜矢は露骨に肩を震わせ、名塩奈美に至っては大口をあけて手を叩き、おまけに、樋ノ口莉子までクスクスと笑い声を漏らしている。そして、映文研の男連中は、あきれるように、乾いた笑みを浮かべるのみだ。
このように、女子二名が我が家に来訪するという深津寿太郎の人生史上、空前にして絶後かも知れない事態を前にして、動揺のあまり、帰宅してからも、なにも手がつかないまま、彼は《スキンケアおよび眉のお手入れ》実践編の当日を迎えていた。