お荷物令嬢と幸せな竜の子
ゆっくりと髪を整える指先は、まるで触れてもいいのか躊躇っているみたいに、そっと。
それは恋人同士というよりは、やっぱり道ならぬ恋だったと引き返すように切なかった。
(……何なのよ、今頃)
怪しいから、恋人設定でって言ったのはそっちだ。
大体、道ならぬ恋なんて発想、どこからきたのだろう。
兄妹というわけでもなし、今の私はお姫様でもなんでもなくて、ウィルは最初から使用人ではなかった。
「ユリ。こちら、えーと……何だったっけ。ともかく、ユリが知りたがってたこと、教えてくれるって」
「名前聞かれた覚えないので、お気遣いなく。こんばんは、ユリさん」
愛しそうに見つめてる頬を緩めた後は、「恋人のウィル」に戻っていた。
「こら、ご挨拶は? ……あれ。もしかしなくても、妬いてる? 」
その台詞は、いつ思いついたの。
それとも、思うなんて間もなく、口から次々に出てくるの。
任務なんていう大層なものじゃなくても、ただ、その場を少しでも楽にやり過ごす為なら、瞬時に言葉を選択できるの?
これまでの経験と照らし合わせて、タイプを探って。
だったら私は、どんな人用に作った台詞や仕草を当てはめられてるんだろう。
「……してる」
そんなこと、考えても無駄。
ウィルのこれまでが消えることもなければ、それを教えてくれる見込みもない。
私自身、きっと本当はそんなこと知りたくもないのだ。
第一、何よりも大前提として。
「……ユリ? 」
「一人で置いていかれて、美人と楽しそうにしてる恋人遠くから眺めて。私は、それで嫉妬もしない女だと思われてるの? ……なら、帰る」
――私が今してることは、借金返済にも幸福の竜探しにも何ひとつ関係がない。
「……っ、姫……」
「じゃない。一人で帰れるわ」
だからこそ、後戻りはできなかった。
認めざるを得なかった。
これは、演技を含め、道ならぬ恋なんかじゃ全然ないけれど。
ここでウィルを振り払った理由は、もうこれしかないのだ。
「……っ、帰すわけないだろ」
――私、ウィルが好きだ。
「あんたが何者でも、こんな時間にこんなとこで、一人で帰すわけないでしょうが」
「……そんな義務感なんて……」
道はあっても、きっと報われない恋だ。
「義務感? こんな軽薄な俺に、んなもん備わってるわけないでしょ。あんたが平気で一人で帰れようが、ただの強がりだろうがどうだっていい。俺が、そうしたくないだけだ」
やすやすと後ろから捕まり、抱きすくめられながら感じる諦めと敗北感は、寧ろ少し心を楽にしてくれた。
「でも、一人にしたのは悪かった。話は明日でいいから、ちゃんと送らせてくれ」
「……でも」
おかしなものだ。
途方もない金額の借金を返すことも、存在すら危ぶまれる竜を見つけることも、竜と屋敷に帰ることも。
そんなあり得ない確率のことは、必ず叶うと信じられるのに。
「用は済んだし、今日はもう出かけない。一緒に帰ろう」
こくんと頷いても、ウィルとの関係が現実になるとは到底思えなかった。
ウィルは、いつかいなくなってしまう。
それもそんなに遠くない、すぐそこに迫った未来で。
「……ウィルって、見かけによらず重いわよね」
「あー、そうですか。ヤキモチ焼かせてすみませんね。……ふわっふわの俺にそんなこと言うの、お前くらいだよ」
そう変なことで照れて、やや荒く私の手を取った。
別に痛くなんかなかったのに、すぐに後悔したみたいに「ごめん」と囁くのは好意を示す為の演技。
ウィルの優しさはすべて、周りに人がいるからだと納得させ、痴話喧嘩の終わりを演出する。
――拗ねた恋人のふりは、今までで一番簡単だった。