お荷物令嬢と幸せな竜の子
想い








「ユリアーナ様」


騒がしかった店内が、男の静かな呼び掛けでしんと静まり返った。


「…………」


ただ自分の名前を呼ばれただけなのに頭が真っ白になっていたのを、ウィルの舌打ちを我慢したような音で我に返る。


「突然、申し訳ありません。驚かせてしまいましたね」

「……用件は何だ」


まるで――いや、わざとウィルの存在を無視したのだろう、ふわりと微笑んで男はこちらに歩を進める。


「私はサミュエルと申します。貴女の母君に縁のある者です。ジェラルド殿の……屋敷の惨状を耳にして、心配でお探ししていたのですよ」

「胡散臭い、後で何とでも言い逃れできる言い方だな。ユリの母親が亡くなった今となっては」


そのとおりだ。
母のことを持ち出され、うっかり「そうだったのか」と思ってしまいそうになっていた。


「はい。お察しのとおり、私は、ユリアーナ様とは血縁関係にありません。でも、いきなり兄弟が現れるよりは信用できるでしょう? それに、血の繋がりがなければ、結ばれることだってできる。事実、私はもうちょっとくらいは相応しいと思いませんか? 」


――どこの誰だか……()だかよく分からないモノ(・・)よりは。


「……やめて!! 」


叫んだのは、サミュエルと名乗る男に怯えたのではない。
大好きな人を指したのであろうその表現を、本人の耳に届く前にほんの僅かでも消し去ってしまいたかった。


「……確かに、姫さんの結ばれる相手に使用人は相応しくないな。でも、よく聞く話じゃないか? そんな身分違いの恋ほど、決まってハッピーエンドだ」

「ふふ。ええ、確かによくある話ですね。子ども相手の寝物語には」


私の悲鳴の意図を、ウィルは気づいてしまった。
いっそ無表情に聞き流した方が、まだ彼を傷つけなかったかもしれないと唇を噛むと、愛しそうに頭を撫でられる。


「そして、危険な恋ほど、束の間であればあるだけ燃えるものだ。けして長くは続かないと分かっているからこその、錯覚ですよ。ましてやこんな状況下、ユリアーナ様が情に流されるのも無理はありません。お労しいことです」

「そんなんじゃないわ。一時の恋というには、随分時間がかかったもの。お父様のことは別にして、私はウィルと離れるつもりはない」


(……しっかりして。惑わされないで。もっとも大事なのは、きっとそこじゃない)


お姫様の道ならぬ恋に苦言を呈したことよりもずっと、問題なことがある。


――この男は、ウィルが竜の子だと知っている。


「お迎えが遅くなって申し訳ありません。何しろ、ご両親は駆け落ち同然でいらっしゃったので。やっと連絡がついても、ジェラルド殿の死についても、ユリアーナ様の居場所も知らないの一点張りで……本当に苦労したんですよ。いえ、私の苦労などどうでもいいことですが。……心配だったんです」


ミゲルが、父の死を母の知り合いに隠した。
もしかしたら、私を訳の分からない理由で当てもない旅に出させたのも、その為か。
目的地が不明な旅ならば、嘘を吐く必要もなくなる。
そこまでして私を隠したのなら、この男は敵でしかないということにならないか。


「すぐに信じていただけないことも承知の上です。それでも、せめて話だけでも聞いてくださいとお願いする他にありません。貴女を不幸にしたくはないんです。それだけは意見が一致しているでしょう? 」


――ねぇ、幸福の竜、さん。






< 39 / 50 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop