お荷物令嬢と幸せな竜の子



それは、一瞬だった。

――なら、よかった。


「何ですか、その顔は。まさか、残酷だって言うんじゃないでしょうね」

「……ありがとう」


返事になってない言葉に軽く笑いながら、その目はちっとも楽しそうじゃないのが救いか。
そう、彼が私を救ってくれたのは間違いない。命の恩人だ。
ただ、私があまりに世間知らずで無知だっただけ。
獣を倒すにも、一突きで済むと。
あんなふうに何度も抉って、流れて見えるのは赤い血の雫だけだと、勝手に思っていただけ。


「やらなきゃ、やられる。阿呆みたいな台詞ですけど、姫さんはこの先知っといた方がいい」

「そのとおりね。スカイかブルーか、名無しさん」


剣に付着したものをわざとらしく拭いながら、私の顔色を窺う。
心配しているというよりは、まるでこの先耐え得るのか探るような瞳だった。


「……ウィル。昔、そう呼んでくれた人がいましたんで、じゃあ、仕方ないのであんたもそれで」

「ウィル? 」


少し思案するように目を閉じた後、どっちが面倒じゃないか量った結果なのか、教えてくれた名前。
それは思ったよりも普通で、つい驚いた顔をしてしまったのかもしれない。


「そ、普通でしょ。できるだけ、ありふれた名前にしてくれって頼んだんでね。その時、その辺りで多かった名前らしいですよ」

「……ちゃんと呼びたいだけだもの、何でもいいわ」


片目はもちろん、私が適当につけた名よりも断然いい。
ウィルは、そう呼んで「くれた」と言った。
何にしても、きっと名前の由来に負の要素はないのだと思うから。


「変な人ですね。偽名と知ってるなら、それが何でも大差ないでしょうに。まあ、お好きに。呼ばれて返事するかしないかは、また別の話ですしね」

「いや、返事して!! 」


「はいはい」と笑ったウィルは、今までで一番「笑った」気がする。
いつか、もっと本音を見せてくれる日が来るんだろうか。


「んじゃ、行きますよ。姫さんの足で、どれだけ歩けますかねぇ。どっちにしても、ここじゃ坊ちゃんの言うように食われて終わりですからね。俺はそんなの嫌なんで、無理なら早めに言ってください。置いてきますんで」

「歩けるわよ……!! 私だって、獣に襲われたばかりの道端で野宿なんて嫌だもの。それに、姫さんじゃないって言ってるでしょ!? 」


長い脚で進む幅は、お姫様どころか誰も気遣うつもりがないように、スタスタとどんどん広がっていく。
馬鹿にされたくない一心でここまで歩いたものの、正直足だけじゃなく身体のあちこちが悲鳴を上げている。
でも、意地でも無理なんて言うものか。


「全然そうは見えなくても、最早違っても、あんたのその足は姫さんでしょ。……ま、せいぜい頑張ってくださいよ。ユリアーナ」


ぽかんとしたのがおかしかったのか、彼の口角が楽しげに上がる。


「何突っ立ってんですか。ああ、限界でした? なら、そこでお寝んねなさっててください」

「歩けるったら……! 」


(……だって、びっくりした)


私を名前で呼んだのも、なぜかピタリと立ち止まってくれたのも。


(……悪い人ではない……のよね)


そうなら、とっくに置いていかれてるだろうし。
給金を貰うだけ貰って、逃げることもできたはずだ。
ミゲルが今後、どれだけ彼に払うつもりなのか知らないけれど。
少なくとも今はまだ、お荷物を抱えていることにしてくれたようだ。


「……ありがと、ウィル」

「いーえ。世の中金ですから、礼は不要で。おしゃべりするほど暇なら、金策でも考えててくださいよ。今後の寝床も食い物だって、姫さんには粗末なんですからね」

「そんなの、覚悟すらいらないわ」

「ですね。姫さんじゃない、あんたなら」


楽な旅ではない。
ううん、これが旅になるのかすら不明だ。
でも、今のうちに慣れて成長して、もっと逞しくならないと。

――ウィルがいてくれるうちに。






< 4 / 50 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop