お荷物令嬢と幸せな竜の子
他のお客さんには聞こえないように、サミュエルはウィルに寄って囁く。
それを見てカッとなってカウンターから伸びた手を、ウィルがそっと包み込んだ。
そんなことをしなくても、サミュエルには届くはずもないのに。
私にそんな真似をさせること自体が嫌だと言われたようで、その優しさが甘く切ない。
「俺の姫さんは可愛いんでね。煽られるままカッとなって、俺の為に怒ってくれる。でも、そうはさせない。……目的は何だ」
「余裕ですね。それとも単なる慣れですか? 目的なんて、もちろんユリアーナ様をお連れすることですよ。皆様、貴女の帰還を心待ちにしているんです」
(……帰還……)
どうして、そんな表現になるのか。
私の家は、あの屋敷だ。
ううん、また屋敷に住めなくても構わない。
それでも、私の家族はディアーナとミゲル、今は亡き両親だ。
それに、まだ一処には留まれなくても、私が帰るのはウィルの――……。
「突然のことで、びっくりされたでしょう。ひとまず、今日は帰ります。ですが、どうか信じてください。私たちは貴女の幸せを願っていると。それに、きっと……お二人は私の話を聞きたくなりますよ。そして、納得されるはず」
「私の幸せを願うなら、もう二度と現れてほしくないわ」
――ウィルの側なのに。
間を置かずに言い返したのは、これを最初の取引にしたくなかったからだ。
それなのにどうして、ウィルは黙ったままでいるのだろう。
「……お前は、何を知ってる? 」
「言ったでしょう、今日は帰ると。知りたいのなら、また後日。そんな日が来るとは限りませんが」
どうして、私ではなく、そんな得体の知れない男に話しかけるの。
私たちの希望どおり、あっさりと店を後にする背中を見送って。
(……どうして……)
――何かを迷うように、宙を見つめるの?
「……ウィル」
「バレちゃいましたね。まあ、あんたがお姫様だってことは、みんな薄々気づいてたと思いますけど」
分かってる。
私らしくないって。
こんなふうに人前で、しかも仕事中。
恋人の袖口を握りしめることすら怖くて、ただ摘むだけ摘まむなんて。
「大丈夫ですよ。寝物語だろうと何だろうと、あんたはどう転んだってハッピーエンドにしかならない」
「……“めでたしめでたし” なんて欲しくないわ。私は……」
(遮らないで、お願い)
心の中で叫んだのが、ウィルの胸に届いたのだと思う。
だって、その証拠に彼はものすごく愛しいものを見るみたいに笑って。
「そんな不安そうにしないでください。言ったでしょ」
――俺が必ず、あんたを幸せにする。
「……約束です」
袖を捕まえたままの手を取って、そっと掌に誓いのキス。
むず痒い、どこを見ていいのか分からないという雰囲気が店内に広がったけれど。
当の私は、とても楽観的に受け取ることができず――そんなひたすらに甘い約束を、この胸でどうしようもなく切ないものに変えてしまった。