お荷物令嬢と幸せな竜の子
いつの間に、暗闇を恐れることがなくなったのだろう。
そういえばいつ、真っ暗は怖いんだなと知ったのだろう。
そのどちらもウィルに出逢ってからだと思い出して、涙がスッと頬を滑っていった。
拭う暇も、我慢しようと思う間もなかった。
それほど私は弱くなっていたのだ――正確に言うと、ウィルがいなくなることに対して、ひどく臆病になっていた。
(……ウィル)
足音がした。
電気が消えているのを確認して、元々あまり音を立てずに動く彼が、より気をつけて部屋の中に入る。
私の瞼が降りているのを見て、安心したようにふっと息を吐くのも、ここ数日同じだ。
でも、今夜は――……。
「……っ」
触れるか触れないか、ギリギリのところを狙ってそっと涙を拭う指先を捕まえる。
「……起きてたんですか。あんたは寝たふりが上手ですね」
急に点いた灯りに目が眩んだ隙に、ウィルの手が逃げようとする。
でも、今日はそれくらいで諦めるつもりはなかった。
「サミュエルに何を言われたの? 」
「俺が、あんな男に騙されてるってんですか? 残念ながら、それほどお人好しでも、素直にも育つ機会はありませんでしたよ。ほら、もう遅いんだから寝てて……」
「今、ウィルが教えてくれないのなら。直接サミュエルに聞くわ。きっと、喜んで教えてくれるはず」
引き下がらない。
戻りたくなんかない。
「……姫さ……」
「ウィルが諦めたのなら、それでもいい。私を信じて、なんて言えない。正直に言うと、やっぱり自分で不安にもなるのよ。借金の理由が何であれ、借りたものは返さなくちゃ。それに、ステフのところにいる子たちのことを思うと、私に気休め以上のことができるのか、できるとこの先も信じ続けていられるか怖くもなる。でもね」
それは、みんなが言うほど楽観的なわけでも、世間知らずでいられたからというわけでもなくて。
「私、ウィルのことは諦められない。……ごめんなさい」
たとえ今は上手くいかなくても、ウィルがいると感じられたら頑張っていられる。
その自信だけはあるから、みんなの目には楽観的なお姫様でいられるの。
「こんな私を連れ帰りたいのなら、サミュエルやその周りの人たちにとって、私の何かが便利なんでしょう。……ううん、私の立場が何かしら有益なのよね。そんなものの為に、私はウィルを諦めたくなんかない。我儘で申し訳ないけど……」
「……っ」
いっそ、嫌われているとしたら――そう思ったりもするけれど、そのたびにそんな考えは一瞬で消え去ってしまう。
ウィルに、好かれていたいと思う。
触れられるたび、その優しさが嬉しい。
名前を呼ばれるたび、その声色の甘さで胸が幸せで苦しくなる。
「何度も言わせないでください。それの、一体どこが我儘なんですか」
(……ああ、ほら)
――好きだから、抱きしめられてこんなにも切ないの。
「あんな男のところになんか行かせない。そんなの、決まりきってます」
「……え……? 」
てっきり、そう仕向けたいのだと思っていたのに。
ウィルは、心外だとわざとらしく拗ねてみせた。
「……でも、真実は辛いから。できれば、あんたには知らないでいてほしかった。もういい加減、分かったらいいのに。俺は狡くて自分勝手で、人間の心はおろか竜の気持ちだって分からない異形なんですよ」
「……どこが? 」
辛い事実を隠したいなんて、自分勝手な人が悩みあぐねることじゃない。
「俺を、あんたの幸福の竜でいさせてくれませんか。……頼むからこれ以上、俺をただの酷い男にさせないで……」
(……馬鹿。意味分からないお願いなんてしないで)
ウィルの言うことは、今起きている問題の何の説明にもなっていない。
なのにまた、私の瞳は潤んで渇いてくれそうにもなかった。
だって、自惚れだとは知りつつも、こう思ってしまったのだ。
もしかしたら、ウィルの人生で初めて。
「普通の人間」になりたくない。
――そんなことを願わせてしまったのかもしれないと。