お荷物令嬢と幸せな竜の子






血なんて、あまりにも不確かで曖昧だ。
貴族の姫なんてものじゃないのに、変わらず姫さんと呼ぶ。
触れさせてもらえる部分が増えていくにつれ、晒されるところが広がるにつれ次第に「ユリ」と呼ばれることも増えたけれど、照れるのか感情を持て余したのか、再び「姫さん」へと戻る。
そのどこにも、私の血の色も成分も関係してこないのだ。
私も彼を「ウィル」とこれまでどおり呼んでいいのかと思ったのは一瞬だけ。
彼はやっぱりウィルなのだ、何も変わりはしないのだと確信して――ふっと、緊張が解けていった。


「ウィル」


『昔、そう呼んでくれた人がいた』そう言って教えてくれた時のウィルは、出逢ったばかりの私に僅かでも微笑んでくれたのだから。


「何ですか、俺の姫さん」


返事をするかしないかは呼ばれた方の勝手――ウィルはそう言いながら、そのくせずっと私に応えてくれてばかりだった。


「何も。ウィルはウィルだなって思っただけ」

「恥ずかしい人ですね」

「どっちがよ」


本心は、ちょっと違う。
本当はただ、好きな人の名前を呼んだだけだ。

スカイでも、ブルーでも、ましてや片目(オッド)でもない。
ウィルはウィルのまま、少なくとも私にとっては完璧だ。
何も欠けてなんかない、寧ろ苦悩する時間に満ち溢れていた分、複雑かもしれない。


「あの時、名前を教えてくれてよかったなって」

「そりゃ、あんな適当に名付けられるくらいなら名乗ります」

「うん」


だって、ほら。
まだ、私がその側に触れるのを戸惑ったりする。


「瞳の色なんかで、勝手に付けなくてよかった。……ウィルを呼べて、本当に嬉しい」


青色なんて、彼のほんの一部分だ。
もちろん美しいけれど、こうして見せて触れさせてくれる勇気と信頼には敵わない。


「……本当に恥ずかしい人ですね、あんたは」


――それから、この甘い愛情にも。

隠された部分に伸びる手を、少しずつ好きにさせてくれていることが増えてきた。
ううん、ウィルの生きてきた時を、その場面を思えば、一夜にも満たないこの時間は一瞬だ。
それなのに愛されていると言わずに、この想いを信じてくれたと言わずに何だと言うのだろう。


「なのに、何なんですか。あんたたち親子は。発想が似すぎてて、この状況でオッサンの顔が浮かぶ。手を出すなってことですかねぇ。ま、もう遅いですけど」

「やっぱり、お父様だったのね」


ウィルの名付け親。
ウィルには悪いけど、にんまりと頬が緩む。
だって、そんなの当たり前だ。
大切な存在を、酷い名前で呼びたくなんかない。


「ステフも言ったが、ただの人間には発音が難しい。俺自身すら、もう久しく口にしてないんです。いい思い出もありませんしね。そう言ったら、ジェラルドは納得してはくれましたが」


『じゃあ、私が付けてもいいじゃないか』


「そう、大真面目に言ってのけた。で、今のあんたみたいに、勝手に付けてくれたんです。とはいえ、最初はどこぞの王子様かってくらい、もっと大層な名前でしたから」


『……もっと、普通のにしてよ』


「普通、が、よかったんです。きっと、俺には到底無理なことだから。……ああ、でも」


ウィルのその肌は、私の指をどう感じているのだろうか。
どうか、嫌な感触ではありませんように。


「今のこんな時間は、この世にありふれた、何てないものなのかもしれませんね」


何処(どこ)かしこに散らばって、この世界で特に珍しいものではない。
それなのに、ウィルが拾うことができなかったのなら、私が一緒に探したい。
横目で羨ましく見るだけしかできなかったのなら、他の誰かや何かに奪われたり壊されたりするのなら。
私が何度だって見つけたいし、それでも手に入らないのなら、私が何度だって勝手に作っていきたい。


「これから、ウィルにも普通になっていくわ。その時になって、飽きたって言わないでね」

「俺にしてみりゃ、竜よりあんたの方がよっぽど珍獣だ。そんな女、生きてるうちに飽きそうもありませんね。あんたは……ユリは」


――俺にとって、幸福そのものだ。


だから、飽きるわけないと。
それは、どんな人のどんな愛の言葉を貰うよりも、もちろんほかの竜の側にいるよりも幸せで、他の何にも代えられない。


(……私こそ、幸せ)


胸がいっぱいで、そんな言葉すら声にならない。
そんな私なのに、愛しいと。
その金色(・・)の瞳も、優しく細くなってくれた。















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