幽霊の国の狼娘／※耽美風ゴシック？中編＋短編
3
けれども小首を傾げている暇はなかった。
ホスロー殿下が元気溌剌、すらりと長剣を抜き放ったからだ。
「さて。今度は余の質問に答えてもらおうか？ 貴様の返答次第では、生かして返さん。……今宵の虎徹は血に飢えておるぞ！」
瞬間、ホスローの姿が眩い光に包まれる。
繰り出された攻撃はあまりに唐突だった。
金色の大顎が空を噛み裂いたのだ。化身であった。
アロンは側方に転がって、辛うじて身をかわす。ホスローは、さっきまでアロンが立っていた位置で人の姿に戻っている。彼は横目で龍の伯に眼光を投げる。
「真実に龍であるのか否か、確かめさせてもらう」
言葉が終わらないうち、瞬間移動のような踏み込みで長剣を横に一閃する。
闇夜に甲高い金属音が鳴り響く。
今度は受け止めた。縦にした頑丈な短剣の鋼が、すらりとした長剣を阻んでいる。
武器の接触点を軸に、長剣がくるりと翻る。刀身の方向は反転する。滑らせるようにして切っ先でアロンの喉に突きこんでくる。しかしアロンはとっくに動いていた。体軸をずらし、そのまま後方に回転する。踏み込んできたホスローにカウンターの蹴りを見舞う。後ろ回しのかかとは脾腹にめり込み、太子を横転させる。
ホスローはすぐに立ち上がり、再び金色の狼に化身して襲いかかる。
『君もそろそろ本気を出したらどうだね？』
アロンの対応も速い。
光り輝く魔獣は鼻先に閃いた、短剣の一撃に後退する。空中で後方に二回転して着地し、すぐに人の形で身構える。
その手元から銀色の光の束が閃く。無数の鋼線が解き放たれたみたいに……それは乱舞する刃の残像だった。
空中の鋼の必殺領域が彼を砕いたとみえた、その瞬間。
巨大な衝突音。
鮮血ではなく、大きな火花が飛び散る。
アロンは体当たりの要領で体重を踏み込み、全身の瞬発力で押し返す。
ホスローは一歩よろめく。アロンの空いている左手が、バネに打ち出されるように伸びた。拳が太子の右頬をかすめる。
アロンの体も衝撃に揺れる。ホスローのつま先が臍の上、肋骨の合わさる位置を蹴り上げたからだ。切り上げられた長剣の、回転ノコギリめいた半円残像をかわして、アロンは再度低く身構える。……闘争心と殺意をいっそうに強めて。
その心境は空回りであった。
「やめだ、やめ！」
ホスローは急に笑って剣をおろした。
「余も短剣を持ってくればよかった。こうも得物の差があっては……君は、ちゃんとした剣は持っていないのかね」
「普段は短剣を二本使う。旅行用の携帯に便利だからな。あいにく今は片方が折れている。もし長いのが必要なら、敵から奪えばいい」
アロンの挑発的な言い分にホスローは顎を撫でて苦笑する。
「その技量、なるほど。『龍』というのもまんざら嘘でもないらしいな……かなりの鍛錬も積んでいるようだが、平民種ではそうはいかん」
それから狼の太子はにわかに真面目な顔つきになり、龍の客人に問いかけた。
「アウストラシアでは種の修復と再生に成功したのか？」
アロンは無言で頷いた。ホスローは軽く二回顎を揺する。
「そうか。では君は、再生された龍というわけか」
「母親はオリジナルの龍で、ちゃんと金色の目をしていた」
アロンの答えにホスローは意味深長に目をつぶった。
「そうなのか……我々『狼』も、早く総力を挙げてさえいれば未来があったのかも知れぬ」
今度はアロンが首を横に振り、やや自嘲気味に説明した。
「時間稼ぎの延命策だ。種族の寿命が延びても、根本的な解決ってわけじゃあない。また将来、劣化が酷くなったら、今度は別の解決策を考えるしかない」
アロンは苦虫を噛み潰したような渋い顔になる。
龍の古老たちは『人生も歴史も、そういうものだ』と言う。けれども当事者のアロンにとってはずいぶん無責任に思えるのだった。『そんな危険な未来を子孫に丸投げするのか』と思うが、長老はしれっとして答えた。『わしらの世代で打てる手だけは打った、あとは若いもんが自力で何とかせよ』と。
それでも結局、アロンは師匠の長老や古老たちを少なからず尊敬していた。そんなジレンマはアロンが「探索者」になったきっかけでもある。
黙って耳を傾けていたホスローは呟く。
「その場しのぎか……」
「そうだ」
「だとしても羨ましい話だ……それに最終的な解決とは、終末と同義ではないのかね？」
ホスローは遠い彼方に視線を向ける。あの大伽藍がある北西の方面に。この廃墟庭園のあたりは標高が高く、都の内市を展望できる。
「この都では安楽死に等しい、まがいの永遠の他に選択肢がなかったのだ」
彼方。青い花の湾と黒い森林の海、その手前に大伽藍の金色のドーム。右側には紅い花が血の泉のように溜まっているところがある。奥に薄く、湖らしき照り返しがあったが、エステルと出合ったあの場所であるらしい。
闇に目を凝らせば青い花の湾は街道となって流れ出している。道はこの城塞都市に付属する村や小さな町に通じているのだろう。
（あの赤いのは……）
ホスローと視線をそろえたアロンは不吉な予感に眉根を寄せた。大伽藍の墓地の近くに、血だまりのような赤い土地が輝いている。
「あれは……」
アロンはようやく、裏で進行している事態を察知したようだった。
彼はホスローに向き直り、苦しげに目を細める。
「それが……お前たちの選んだ未来なのか？」
さらにアロンは先ほどの会話の違和感の理由も悟った。
ホスローは自分のことを「責任を押し付けられる予定の男『だった』」と言った。
その物言いは過去形であった。
太子は重ねて宣言する。
「まさか。あの僧正はともかく、余は負債を負うつもりなど、さらさらないぞ」
けれども小首を傾げている暇はなかった。
ホスロー殿下が元気溌剌、すらりと長剣を抜き放ったからだ。
「さて。今度は余の質問に答えてもらおうか？ 貴様の返答次第では、生かして返さん。……今宵の虎徹は血に飢えておるぞ！」
瞬間、ホスローの姿が眩い光に包まれる。
繰り出された攻撃はあまりに唐突だった。
金色の大顎が空を噛み裂いたのだ。化身であった。
アロンは側方に転がって、辛うじて身をかわす。ホスローは、さっきまでアロンが立っていた位置で人の姿に戻っている。彼は横目で龍の伯に眼光を投げる。
「真実に龍であるのか否か、確かめさせてもらう」
言葉が終わらないうち、瞬間移動のような踏み込みで長剣を横に一閃する。
闇夜に甲高い金属音が鳴り響く。
今度は受け止めた。縦にした頑丈な短剣の鋼が、すらりとした長剣を阻んでいる。
武器の接触点を軸に、長剣がくるりと翻る。刀身の方向は反転する。滑らせるようにして切っ先でアロンの喉に突きこんでくる。しかしアロンはとっくに動いていた。体軸をずらし、そのまま後方に回転する。踏み込んできたホスローにカウンターの蹴りを見舞う。後ろ回しのかかとは脾腹にめり込み、太子を横転させる。
ホスローはすぐに立ち上がり、再び金色の狼に化身して襲いかかる。
『君もそろそろ本気を出したらどうだね？』
アロンの対応も速い。
光り輝く魔獣は鼻先に閃いた、短剣の一撃に後退する。空中で後方に二回転して着地し、すぐに人の形で身構える。
その手元から銀色の光の束が閃く。無数の鋼線が解き放たれたみたいに……それは乱舞する刃の残像だった。
空中の鋼の必殺領域が彼を砕いたとみえた、その瞬間。
巨大な衝突音。
鮮血ではなく、大きな火花が飛び散る。
アロンは体当たりの要領で体重を踏み込み、全身の瞬発力で押し返す。
ホスローは一歩よろめく。アロンの空いている左手が、バネに打ち出されるように伸びた。拳が太子の右頬をかすめる。
アロンの体も衝撃に揺れる。ホスローのつま先が臍の上、肋骨の合わさる位置を蹴り上げたからだ。切り上げられた長剣の、回転ノコギリめいた半円残像をかわして、アロンは再度低く身構える。……闘争心と殺意をいっそうに強めて。
その心境は空回りであった。
「やめだ、やめ！」
ホスローは急に笑って剣をおろした。
「余も短剣を持ってくればよかった。こうも得物の差があっては……君は、ちゃんとした剣は持っていないのかね」
「普段は短剣を二本使う。旅行用の携帯に便利だからな。あいにく今は片方が折れている。もし長いのが必要なら、敵から奪えばいい」
アロンの挑発的な言い分にホスローは顎を撫でて苦笑する。
「その技量、なるほど。『龍』というのもまんざら嘘でもないらしいな……かなりの鍛錬も積んでいるようだが、平民種ではそうはいかん」
それから狼の太子はにわかに真面目な顔つきになり、龍の客人に問いかけた。
「アウストラシアでは種の修復と再生に成功したのか？」
アロンは無言で頷いた。ホスローは軽く二回顎を揺する。
「そうか。では君は、再生された龍というわけか」
「母親はオリジナルの龍で、ちゃんと金色の目をしていた」
アロンの答えにホスローは意味深長に目をつぶった。
「そうなのか……我々『狼』も、早く総力を挙げてさえいれば未来があったのかも知れぬ」
今度はアロンが首を横に振り、やや自嘲気味に説明した。
「時間稼ぎの延命策だ。種族の寿命が延びても、根本的な解決ってわけじゃあない。また将来、劣化が酷くなったら、今度は別の解決策を考えるしかない」
アロンは苦虫を噛み潰したような渋い顔になる。
龍の古老たちは『人生も歴史も、そういうものだ』と言う。けれども当事者のアロンにとってはずいぶん無責任に思えるのだった。『そんな危険な未来を子孫に丸投げするのか』と思うが、長老はしれっとして答えた。『わしらの世代で打てる手だけは打った、あとは若いもんが自力で何とかせよ』と。
それでも結局、アロンは師匠の長老や古老たちを少なからず尊敬していた。そんなジレンマはアロンが「探索者」になったきっかけでもある。
黙って耳を傾けていたホスローは呟く。
「その場しのぎか……」
「そうだ」
「だとしても羨ましい話だ……それに最終的な解決とは、終末と同義ではないのかね？」
ホスローは遠い彼方に視線を向ける。あの大伽藍がある北西の方面に。この廃墟庭園のあたりは標高が高く、都の内市を展望できる。
「この都では安楽死に等しい、まがいの永遠の他に選択肢がなかったのだ」
彼方。青い花の湾と黒い森林の海、その手前に大伽藍の金色のドーム。右側には紅い花が血の泉のように溜まっているところがある。奥に薄く、湖らしき照り返しがあったが、エステルと出合ったあの場所であるらしい。
闇に目を凝らせば青い花の湾は街道となって流れ出している。道はこの城塞都市に付属する村や小さな町に通じているのだろう。
（あの赤いのは……）
ホスローと視線をそろえたアロンは不吉な予感に眉根を寄せた。大伽藍の墓地の近くに、血だまりのような赤い土地が輝いている。
「あれは……」
アロンはようやく、裏で進行している事態を察知したようだった。
彼はホスローに向き直り、苦しげに目を細める。
「それが……お前たちの選んだ未来なのか？」
さらにアロンは先ほどの会話の違和感の理由も悟った。
ホスローは自分のことを「責任を押し付けられる予定の男『だった』」と言った。
その物言いは過去形であった。
太子は重ねて宣言する。
「まさか。あの僧正はともかく、余は負債を負うつもりなど、さらさらないぞ」
