幽霊の国の狼娘/※耽美風ゴシック?中編+短編
第四章(最終話)狼の城と眠り姫
1
黎明が迫るホラーサーンの外市。
粗末な宿屋はとっくに大騒動だ。客も主も我先と逃げ出してしまったらしい。残っているのはアロン一人ばかりである。これでは襲われに帰ったようなもの、運の尽きだった。
「うおおお!」
アロンは背負い投げ、七人目を窓から外へ放りだした。桟をぶち破り、ガラスと共に落下していく。確認することもなく、箪笥を押して部屋の入り口を封鎖する。
(洒落にならねえ!)
最初は単なる過激派や暴漢かとも思った。それともありふれた強盗かと。そうしたら次から次にやってきた。これだけ騒いで助けも来ないあたり、お上公認の刺客だろうか?
階下ではまだまだ戦う気でいるらしい。補充人員が到着した気配さえある。
暗殺者ではない。暗殺「団」だ。数人どころか、一個小隊が動員されている。
(篭城するよりか、どうにかして上手いこと逃げないと……)
別方面からもどさくさに紛れて侵入しようとしているらしく、箪笥で塞いだ入り口のドアがガタガタ揺れている。このままだと段々ゆるんで、隙間ができてしまう。アロンは力いっぱいに押しこんで、重石にした箪笥の位置を直す。今度は窓際に走る。
窓枠にかけられた梯子をひっくり返すと、その拍子に外から矢が飛んできた。一度に八本も。慌てて横の壁の後ろに退避する。射こまれる矢が床に落ち、あるいは反対側の壁に突き刺さる。天井の明かりを砕いたのはボーガンだろうか。窓から飛び降りて逃げるのはなかなか困難なようだった。
きな臭いにおい。ものすごく嫌な予感がした。じきに床板の隙間から煙がほそーく立ち昇ってくる。階下の物音は点火するための柴の束でも積んでいたのだろうか。
「あいつらっ!」
火をかけやがった! 放火しやがったのだ!
頑健ながら木造建築、ここまでされたらどうしようもない。
「滅茶苦茶やりやがって!」
ぼやいている場合ではない。だんだん温度が上がってきたようだ。ドアの前に殺到していた暗殺者たちもいつの間にやらいなくなっている様子だ。
窓の外では一団が待機している。アロンが飛び降りたところを袋叩きにする算段らしい。三十人くらい完全武装でたむろしている。どうやら飛び道具も多数。
まともに相手にするには骨が折れそうだった。決闘ならまだしも、使節が大量殺戮などやったら、国交交渉は決裂である。望みがあるならば、正当防衛でも露骨な殺害はなるだけ避けたい。「立場」による制約は実に重いものである。
(ここは裏をかいて、別の出口から逃げよう)
箪笥をどかそうとして、手が止まる。ふさいだドアの表面には釘が突き出している。外部から厳重に封鎖されている。……防衛する事態を考えて頑丈そうな宿を選んだら裏目に出たらしかった。
(ええい、力ずくで破るか……それともやはり、窓から強行突破するか?)
大量流血覚悟でリスクを冒すのもやむなしか?
思案すると同時に、窓から変な物が二つ三つ投げ込まれる。それは灯油入りの皮袋だった。中身は流れ出し、拡がっていく。これでいったん火がつけば一気に燃え広がるだろう。
「容赦ねえっ!」
アロンはかつて、寝込みをオカマに不意打ちされたときと同じ顔をしている。ガチでここまで陰険に、トコトンやられるのは流石に珍しい。
階下でまたどよめきが聞こえた。今までと調子が違う。
(どーしたってんだ?)
慎重に窓から覗いてみると、暗闇に白く輝く狼が跳ね回っている。まるで大きな白い炎の妖精が乱舞しているようだった。どうやら「狼」らしい。不思議なことに、包囲していた刺客たちを追い散らしているのだ。
(内市の宮廷からの救援なのか? それとも新手の敵か?)
みるみるうちに包囲が崩壊していく。
「なんだっ、この化け物っ?」
「こりゃ、狼様だっ! 作り話じゃなかったんだっ!」
「そうだっ、ワシはこの目で見たことがっ! 今の藩王様が昔……」
「酔って三十人食い殺したって、アレか?」
「こ、殺さないでえっ!」
パニックになってあらかた持ち場を捨てて逃げてしまう。
平民種にとって、「狼」の貴族への心理的な畏怖は絶大。未開人が精霊を恐れ敬うのと同じ道理だった。この都で狼たちは受肉した神々と同義である。
現実的には貴族の多くは化身の能力など失っているけれども、種族の力が弱まっていることはあまり一般に詳しく知られていない。その盲目的な崇拝と圧倒的権威が、今日まで狼の暴政を持ちこたえさせてきたのであった。それだから伝説的な力を顕現した化身の姿は、一目見ただけでも戦闘意欲を失わせるのだろう。
ようやくアロンの飛び降りる余地ができる。
2
「エステル? なんで?」
戦うつもりで飛び降りてきたアロンの前でエステルは人の姿に戻った。目を白黒させるアロンの腕をとらえ、有無を言わせず走り出す。
「こっちです!」
エステルはアロンの手を引っ張って、裏路地に引っ張り込む。
二人はしばらく走り、やがてぴたっと立ち止まる。
「このマンホール、どかしてくださいますか?」
エステルの目は鋳鉄製のマンホールを指し示している。ちょうど怪物の顔の形で、口の部分が取っ手になっているアレだ。
「藩王様が出した抹殺命令なんだそうです。多分、町じゅうのならず者が動員されてます。街中をうろつくより、広域下水道をたどって外に出た方が……」
「地下で迷ったら、かえってまずいだろう? 出っくわしたって、十人やそこらなら……」
怒りのあまり抗弁するアロンにエステルは首を左右する。
「十人どころか百人単位ですよ。外市全体でなら千人どころじゃきかないでしょうね」
「…………道はわかるのか?」
「ええ! もちろんです!」
二人連れはマンホールの蓋をこじあけて地下の下水道に滑り込んだ。
「こっち!」
「町の外へ出るなら、流れを下るんじゃないのか?」
エステルは流れの脇の歩道を、上流に向かって歩き出していた。
「みんなそう思います。だから一度上に遡って、別のルートで外に出ます!」
下水道に追っ手がきた場合の対策だった。遅かれ早かれ察知されるだろう。
五分も歩かないうちに、大きな空間に着く。
「地下宮殿?」
飾り気のない石とセメントの柱が高い天井を支えている。壁面にも色気はなく、明かりすらない(アロンとエステルに不都合はなかったが)。ただっ広い空漠とした闇だけがそこに広がっている。
「いいえ、貯水槽です。季節柄今は使われていませんけど……分岐点になってますから、どの通路に入ったか判らないはずです。……この扉、壊せます?」
アロンは錆びた鉄格子の扉を蹴破る。
「行こう」
促すアロンにエステルは微笑して「それ、囮です」と答えた。偽の痕跡を残して、脱出路をわからなくさせる心積もりらしかった。
別の鉄格子の扉の前に立つ。アロンは短剣の柄に手をかける。しかしエステルはその無骨な手をそっと押し留めた。
「いけませんわ。壊すとアシがつきますもの」
エステルは銀色の髪からピンを抜き、まっすぐにして南京錠をこじ開ける。潜り抜けると元通り、再び錠を閉ざす。まことに器用なものだった。
エステルは冷静に解説する。
「この先は地下水脈になっています。北に行った後で西へ抜けましょう。南の排水溝は本数が少ないんです。北なら内市の遺跡のある公園の、古い水道につながっているんです。距離から考えても、まっすぐ西へ歩くより、早いはずです」
娘はアロンを先導して歩き始めた。
黎明が迫るホラーサーンの外市。
粗末な宿屋はとっくに大騒動だ。客も主も我先と逃げ出してしまったらしい。残っているのはアロン一人ばかりである。これでは襲われに帰ったようなもの、運の尽きだった。
「うおおお!」
アロンは背負い投げ、七人目を窓から外へ放りだした。桟をぶち破り、ガラスと共に落下していく。確認することもなく、箪笥を押して部屋の入り口を封鎖する。
(洒落にならねえ!)
最初は単なる過激派や暴漢かとも思った。それともありふれた強盗かと。そうしたら次から次にやってきた。これだけ騒いで助けも来ないあたり、お上公認の刺客だろうか?
階下ではまだまだ戦う気でいるらしい。補充人員が到着した気配さえある。
暗殺者ではない。暗殺「団」だ。数人どころか、一個小隊が動員されている。
(篭城するよりか、どうにかして上手いこと逃げないと……)
別方面からもどさくさに紛れて侵入しようとしているらしく、箪笥で塞いだ入り口のドアがガタガタ揺れている。このままだと段々ゆるんで、隙間ができてしまう。アロンは力いっぱいに押しこんで、重石にした箪笥の位置を直す。今度は窓際に走る。
窓枠にかけられた梯子をひっくり返すと、その拍子に外から矢が飛んできた。一度に八本も。慌てて横の壁の後ろに退避する。射こまれる矢が床に落ち、あるいは反対側の壁に突き刺さる。天井の明かりを砕いたのはボーガンだろうか。窓から飛び降りて逃げるのはなかなか困難なようだった。
きな臭いにおい。ものすごく嫌な予感がした。じきに床板の隙間から煙がほそーく立ち昇ってくる。階下の物音は点火するための柴の束でも積んでいたのだろうか。
「あいつらっ!」
火をかけやがった! 放火しやがったのだ!
頑健ながら木造建築、ここまでされたらどうしようもない。
「滅茶苦茶やりやがって!」
ぼやいている場合ではない。だんだん温度が上がってきたようだ。ドアの前に殺到していた暗殺者たちもいつの間にやらいなくなっている様子だ。
窓の外では一団が待機している。アロンが飛び降りたところを袋叩きにする算段らしい。三十人くらい完全武装でたむろしている。どうやら飛び道具も多数。
まともに相手にするには骨が折れそうだった。決闘ならまだしも、使節が大量殺戮などやったら、国交交渉は決裂である。望みがあるならば、正当防衛でも露骨な殺害はなるだけ避けたい。「立場」による制約は実に重いものである。
(ここは裏をかいて、別の出口から逃げよう)
箪笥をどかそうとして、手が止まる。ふさいだドアの表面には釘が突き出している。外部から厳重に封鎖されている。……防衛する事態を考えて頑丈そうな宿を選んだら裏目に出たらしかった。
(ええい、力ずくで破るか……それともやはり、窓から強行突破するか?)
大量流血覚悟でリスクを冒すのもやむなしか?
思案すると同時に、窓から変な物が二つ三つ投げ込まれる。それは灯油入りの皮袋だった。中身は流れ出し、拡がっていく。これでいったん火がつけば一気に燃え広がるだろう。
「容赦ねえっ!」
アロンはかつて、寝込みをオカマに不意打ちされたときと同じ顔をしている。ガチでここまで陰険に、トコトンやられるのは流石に珍しい。
階下でまたどよめきが聞こえた。今までと調子が違う。
(どーしたってんだ?)
慎重に窓から覗いてみると、暗闇に白く輝く狼が跳ね回っている。まるで大きな白い炎の妖精が乱舞しているようだった。どうやら「狼」らしい。不思議なことに、包囲していた刺客たちを追い散らしているのだ。
(内市の宮廷からの救援なのか? それとも新手の敵か?)
みるみるうちに包囲が崩壊していく。
「なんだっ、この化け物っ?」
「こりゃ、狼様だっ! 作り話じゃなかったんだっ!」
「そうだっ、ワシはこの目で見たことがっ! 今の藩王様が昔……」
「酔って三十人食い殺したって、アレか?」
「こ、殺さないでえっ!」
パニックになってあらかた持ち場を捨てて逃げてしまう。
平民種にとって、「狼」の貴族への心理的な畏怖は絶大。未開人が精霊を恐れ敬うのと同じ道理だった。この都で狼たちは受肉した神々と同義である。
現実的には貴族の多くは化身の能力など失っているけれども、種族の力が弱まっていることはあまり一般に詳しく知られていない。その盲目的な崇拝と圧倒的権威が、今日まで狼の暴政を持ちこたえさせてきたのであった。それだから伝説的な力を顕現した化身の姿は、一目見ただけでも戦闘意欲を失わせるのだろう。
ようやくアロンの飛び降りる余地ができる。
2
「エステル? なんで?」
戦うつもりで飛び降りてきたアロンの前でエステルは人の姿に戻った。目を白黒させるアロンの腕をとらえ、有無を言わせず走り出す。
「こっちです!」
エステルはアロンの手を引っ張って、裏路地に引っ張り込む。
二人はしばらく走り、やがてぴたっと立ち止まる。
「このマンホール、どかしてくださいますか?」
エステルの目は鋳鉄製のマンホールを指し示している。ちょうど怪物の顔の形で、口の部分が取っ手になっているアレだ。
「藩王様が出した抹殺命令なんだそうです。多分、町じゅうのならず者が動員されてます。街中をうろつくより、広域下水道をたどって外に出た方が……」
「地下で迷ったら、かえってまずいだろう? 出っくわしたって、十人やそこらなら……」
怒りのあまり抗弁するアロンにエステルは首を左右する。
「十人どころか百人単位ですよ。外市全体でなら千人どころじゃきかないでしょうね」
「…………道はわかるのか?」
「ええ! もちろんです!」
二人連れはマンホールの蓋をこじあけて地下の下水道に滑り込んだ。
「こっち!」
「町の外へ出るなら、流れを下るんじゃないのか?」
エステルは流れの脇の歩道を、上流に向かって歩き出していた。
「みんなそう思います。だから一度上に遡って、別のルートで外に出ます!」
下水道に追っ手がきた場合の対策だった。遅かれ早かれ察知されるだろう。
五分も歩かないうちに、大きな空間に着く。
「地下宮殿?」
飾り気のない石とセメントの柱が高い天井を支えている。壁面にも色気はなく、明かりすらない(アロンとエステルに不都合はなかったが)。ただっ広い空漠とした闇だけがそこに広がっている。
「いいえ、貯水槽です。季節柄今は使われていませんけど……分岐点になってますから、どの通路に入ったか判らないはずです。……この扉、壊せます?」
アロンは錆びた鉄格子の扉を蹴破る。
「行こう」
促すアロンにエステルは微笑して「それ、囮です」と答えた。偽の痕跡を残して、脱出路をわからなくさせる心積もりらしかった。
別の鉄格子の扉の前に立つ。アロンは短剣の柄に手をかける。しかしエステルはその無骨な手をそっと押し留めた。
「いけませんわ。壊すとアシがつきますもの」
エステルは銀色の髪からピンを抜き、まっすぐにして南京錠をこじ開ける。潜り抜けると元通り、再び錠を閉ざす。まことに器用なものだった。
エステルは冷静に解説する。
「この先は地下水脈になっています。北に行った後で西へ抜けましょう。南の排水溝は本数が少ないんです。北なら内市の遺跡のある公園の、古い水道につながっているんです。距離から考えても、まっすぐ西へ歩くより、早いはずです」
娘はアロンを先導して歩き始めた。