幽霊の国の狼娘/※耽美風ゴシック?中編+短編



 差し出された花は夕焼けの残照に照らされ、陰りある黄金色に輝く。


 足を運んだ用向きは、やっぱり神殿へのお参りなのだ。


 瀟洒に垢抜けて着飾った「龍」の貴族の娘が、腰まである儀礼的な柵から手を差し伸べる。鈴と飾り紐に飾られた仕切りの両側から、こんなふうに無言で神妙な目線を交わすのも、もはや慣れっこになっている。


 そして夕闇の空中に絡み合う視線は「龍」の金色の瞳と普通の人間らしいブラウンの瞳。


「一週間前の昼も来たけれど、今日は大公のお爺ちゃんの急なリクエストでね」


 心なしか楽しげな端麗な唇が、歌うように囀るように告げる。


 この「大公のお爺ちゃん」とは、この神殿が属する近隣の都市の『龍』の貴族たちの長老であり、平民たちにも割合に親しまれる人物だ。一説に拠れば、都市と神殿の歴史の草創時代から生きてるらしい。そのため身分や立場が現在以上に曖昧だった当時の感覚で、今も平民たちにも接してるのだとか何とか。


「それで、この花。爺ちゃんから。『友達の命日』がどう、とかで……」


「そうだったんですか」


 浅く日に焼けた健康的な容貌の巫女が、透き通るような絹の肌の娘と親しげに言葉を交わす。鈴の声音に心地よいアルトの言葉が音楽のように交じり合う。たとえ身分や立場こそ違えども、同年代で、しかも互いに古い顔見知りだから気兼ねもない。


 そんな二人を、迫る夕闇に暗く陰りだしながらも、巨人のようなシルエットの縁を燃え立つように輝かせる壮大な存在が見下ろしていた。


 人々が居住する城塞都市からたっぷり小一時間近くは歩く、道しるべの石柱が点々と続く道の果てに、この「蠍の霊廟神殿」はあるのだ。


 それは土色の砂岩とくすんだ赤煉瓦で外装された七階建ての、天辺が平たい半円錐形の建物なのだ。さながら往古の書籍の、古代文明のそのまた古代文明が伝えるピラミッドやコロッセオもかくやという威容を誇る建築物である。


 外側から目に見える部分は外装でしかなく、骨格は超金属とセラミックの素材で半永久の強度に組み上げられていると伝えられ、新しい歴史の有史以来常にその場所にあった。そして内部の神職たちが語るには現在、内部は火成岩やタイル、あるは木造の板張りに内装されているのだそうだが、それは二百年くらい前に大改装した際のごく新しい時代の名残なのだ。もっとも、中に入ることのない一般の参拝者たちには骨組みや内装のことなどはあまり関係がない話である。


 実は外苑の端に開いた入り口からここまで辿り着くためには、白い玉砂利敷き詰めた道のりをさらに一キロ半くらいはさらに歩く必要がある。


 その途中で十二本の鳥居を厳かに潜らなければならない。これは左右に柱を立て、頭上の空の高みに一本の棟木で結び合わせたアーチで、立派な木材でできている。五年に一度、三つずつ建て替えられて二十年の時を繰り返し刻むという伝統なのだ(そのための専用の資材林がある)。


 左右には林や花畑や泉があり、神殿前には石畳の広場がある。四方を塀で囲まれた広場の入り口には清水湧き出す東屋があり、入る前に手と口を清めねばならない。


 そして参拝のための広場から、神殿側の巫女に向き合う。


 外部参拝所と神殿内部を隔てる柵は、不可侵な二つの領域の境目なのである。


 ここから先はむしろ貴族にこそ絶対的に立ち入りを許されず、最奥への献花のためには内側にいる、平民の巫女たちによる受け渡しが慣わしなのだ。


 さらにもう少しだけ建物内部、わずか五メートル先に見えている表祭壇まで進む道筋はあるのだけれど、その門戸は一般の平民種族たちにしか開かれていない特別で皮肉な慣わしがある。


 実は貴族種族たちには、直接に参拝することは許されていないからだ。


 控える人間の巫女たちに「とりなし」と「代理」を頼まなくてはならない(考えようによっては、その「制限」こそが逆に「特権」なのかもしれなかったが)。この「蠍の柩」を安置する神殿には「平民」であるただの人間にしか、出入りが許されない。


 この場に眠っている「蠍(さそり)」は、人間たちにとっては「守護者」の一種であっても、「龍」や「狼」といった貴族たちには同僚ではなく、むしろ懲罰を与える恐ろしい者たちなのだから。それがこの神殿に「審判の塔」という別名が付いている由縁なのである。


 だから「儀礼」が必要とされる。


 他に誰も見てない残照の下で、二人の少女たちはどちらからともなく面差しを改めた。


 もはや素朴な疑問で「神聖なルール」を否定する頑是無い子供のような歳でもなかったし、無駄に不敬を働いて喜ぶほどに幼稚で不遜なわけでもなかった。天罰だの祟りだのを信じていようが信じるまいが、守らなければ精神文化の基盤、さらには自分たち自身を否定することになる。


 ……幼き初参拝の日、やんちゃに柵を乗り越えようとした娘は始祖龍大公閣下の爺さんに後ろから襟首をとっつかまれ、「そんなことをすると仕舞いには、猿や蜥蜴に戻ってしまうぞ」と特有の瞬幕のある目でパチリと見つめ、ヤレヤレと教え諭されたのも今は昔。


 今はたとえ無意識にでも、ものの道理を薄々と多少は重々に理解しているから、ろくに信じていなくとも形式美として、真面目な顔を作って型どおりに事を運ぶ。


 それでも二人のうら若い目顔の端に暗黙の微笑が宿るのは、箸が転げても笑い何でも遊戯にする「お年頃」だからなのか。



「この花をお願い。……あなたに『龍』の庇護がありますように」


「畏まりました。……あなたが『蠍』の災いを免れますように」


 定型の言葉を交わしつつ、「龍」の娘はそっと巫女の手に供えの花束を差し出す。


 大理石の彫像どころか、象牙細工のような白く滑らかな手と腕だった。


 ニッコリと微笑む貴族の少女アリエルは金色の眼差しに、シルバーブロンドの髪が橙色に照り返している(金眼銀髪は彼女の種族に多い容姿なのだ)。その顔や身体の造形は確かに生きているというのに、まるで世界最高の手腕の職人が手がけた美術品のように、不自然なまでに整って美しいのだった。さながら忘却されたピグマリオンの伝説の生き人形のような人工的な美に温かい血が通っている。


 たとえ同性でも息を呑むような麗姿を夕焼けが綾どっている。


 平民出の娘は素直な賛嘆の吐息を零しつつも、それでも野生の花のような鷹揚な可憐さで応じる。とはいえ巫女のカリンだって、つややかな栗色の髪に健康的な小麦色の肌と、なんとなく南国のアジア人を連想させる容貌が彼女にしかない可憐さを作り出している。そして部分部分での不完全さこそが愛嬌であり、自分の美しさを自覚しない素朴さこそが愛らしいのかもしれない。


 だから「龍」の娘は自分にはない色彩と陰影を愛でるような眼差しで、手渡す花束をそっと預けるのだった。やや伏せ目がちな長い睫には恋するかのような瞬きが宿っている。巫女も頬を少しばかり朱色に染めていた。


 優しげな二対の手つきで受け交わされた黄色い花束は、柔らかなローブの肩口に頭を揺らす。まるで母親から親族の娘に抱き取られる赤ん坊のように、至って丁重な取り扱い。託されるのは物ではなく心なのだから。


 巫女の娘は静謐な歩調で革サンダルの足を運ぶ。


 祭壇の長々しい献花台の、幾つも積み並べられた供物にそっと重ね、二度拍手を打って手を合わせる。


 それから静々とした足取りで、依頼主の友人のところへと戻ってくる。


 またも定型の言葉を口にして、巫女の娘は形式的な報告をする。


「『宜しく』と言伝を預かって参りました」


「足労、大義でありました」


 和らいだ雰囲気ながらに、日常会話の感覚からすれば、かなり浮いた決まり文句を互いに述べ、ふっと相好を崩す二人の娘。


 もちろん、誰しもが常時こんなことをやってるわけではない。もう少し簡素なこともあるし、参拝者が多かったり集団参拝の場合にはまとめて運ぶこともある。わざわざ一対一でフルの儀礼行為をやったのは、親しい旧知同士な上に時間にも余裕があったからだ。


 やがてアリエルは親しげな調子でからかうみたいに言った。


「板についてきたわね、巫女さんも」


「うん……。晩御飯、こっちで食べて泊まってくでしょ?」


 巫女の娘は少しばかり照れるようにはにかむ。


 幼少の頃から顔見知りで、友人関係にあると言って良い。


 しかも、最近では「より親しい仲」になっているのだから。だから二人の少女は、黄昏の夕闇が迫る薄暗がりの中で、頬をほんのりと気色ばませ、吐息と眼差しを熱く湿らせてしばし見詰め合っていた。
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