幽霊の国の狼娘/※耽美風ゴシック?中編+短編
2
「移転早々にお疲れ様だったな、アル先生」
「いや。こういうのを「エンギが良い」って言うんだろう?」

 白人の年配医師アルバートは上機嫌で親指を立てる。今し方にレジスタンスの少女に、人工腎臓の移植手術を成功させたところである。戦死した旧友の娘のことでもあっただけに、単なる患者と医者というだけの感情ではなかった。
 さながら凱旋将軍のような満足感がありありとしていた。

「だな!」

 村雨は琥珀色の顔面でニヤニヤと笑いかけるようだった。実際に動いているのは口と目だけなのだが、態度や口調と陰影で、十分に「表情」が伝わってしまうのがこの男のミラクルだった。
 今は胴体の胸部の鎧以外、兜や肩の防御板は外している。基地の中では軽装でいることもしばしばだが、彼も簡単なメンテナンスを終えたところだったらしい。
 かなり早い時期の「オートマタ融合者」の生き残りで、人間時代の脳神経も徐々に補充して半ば以上が人造神経細胞に置き換わっている(上級オートマタや自称天使の頭脳は電子部品と生態部品のハイブリッドだ)。自我の同一性は保たれているものの、時間や年齢感覚が三十歳くらいで止まったようになっているようで「人間の幽霊が乗り移った上級オートマタみたいなもの」というのが自己認識らしい。彼の考え方からすれ、生まれ変わった「天使」というイデオロギーは受け入れかねるもので、それでレジスタンス側についているわけだが、特に初期世代にはそういう手合いがしばしばいるようだった。

「それでは前途を祝して!」

 ほんの小さなグラスに半分ずつ、今の時勢では少々贅沢な酒を注いで友人二人で乾杯する。
 アルバート医師はほんの一杯の祝杯を上げると、あくびをした。

「少し眠らせてくれ。リーちゃんにはレックがついている」

 新しいレジスタンス拠点の病室で眠る少女の傍らには、旧知の少年が付き添っているようだった。


3
 後で村雨が簡素な病室に小型のラジオ装置をハンバーガーと一緒に届けてやると、レック(アレックス)少年はリーの眠りを妨げないように小さな音で「月の音楽」に耳を傾ける。
 ひょっとしたら眠りの中で、彼女も聞いているのかもしれなかった。そのためでもある。
 この数年間に、交通の途絶えていた月から、定期的に音楽と歌声を乗せた電波が流れてくるようになった。放送の内容からしてリアルタイムでやっているとしか思われないし、連絡や通信の回復を試みている説が濃厚である。まだ月の実情は不明であったものの、地上で生き残った人間たちに期待や希望と不安を抱かせるのに十分で、今どきの子供たちはそれを聞いて育ったのだ。

「前に村雨が言ってたよね。これを歌ってるのは、月の天使かオートマタだろうって」
「ああ。音を分析したのと、あとは勘みたいなもんだがな」
「こっち(地球の人間側)からも連絡できたら良いのに。ニセ天使たちよりは、ずっとマシに決まっているもの」
「かもしれないな」

 大規模な通信施設はあらかた敵の「天使」陣営に押さえられている。果たして月の連中が何を考えているのかわからないが、今のところ敵意は感じられない。
 しかし万が一に月が天使陣営の側についてしまえば、そのときには絶望しかなくなってしまう。ないとは言い切れないのが不穏な可能性で、大人たちは子供のように無邪気には明るい可能性を信じることができない。
 少年は、琥珀色の仏頂面にいぶかしげな顔をする。目に見えて浮かぶ表情がない中に、敏感に内面の感情を感じ取っているらしい。
 どうやら「まだ人間」ではあるということなのだろうか。

(しかし月の天使にせよ、あちらのオートマタたちが何を考えているかはわからん)

 月と地球の交通が途絶して百年がたっているのだし、あちらがどんなことになっているかはわかったものではなかった。最悪は攻撃を加えたり、侵略を狙ってこないとも限らない(三つ巴の混戦や敵陣営の強大化すら最悪は覚悟するしかないが、諸々の破滅を回避する方法で頭が一杯である)。
 だから村雨は、まだ普通の生身の人間だったころに知っていた古い歌詞と旋律を聴きながら、少年の問いかけに黙り込むしかない。
 そのとき、まどろむ少女が突然に呟いた。

「月の、とても綺麗な人が地球に降りてくる。今の夢で……」


4
 それから一週間が経たないうちに、あるニュースがレジスタンス側で噂のように流れた。

「収容列車が襲われたらしい」

 似非ものの天使たちは人間を捕獲して、廉価な強制労働や「新しい完成された身体」を作るための人体実験を行っている。そのために収容所や実験施設へは捕まった者たちが車両や列車で日々に送られている深刻な事情がある。
 やがて地上波の通信で、解放された人々の新しいレジスタンス組織が自己紹介の放送を行うことになる。その代表者の一人の声のパターンは、月からの歌声の一人と全く同じだった。

(「琥珀のデスマスク」完)




    ※   ※   ※

「滅びた旋律が降る大地」
(草稿・エピローグ、一つの可能性に)

1
 この地球規模の、長い長い戦争が始まって、もう百年くらいは経っているのだろうか。文明破滅した人間同士での戦いもあるものの、大前提の共通敵は「天使」たちだった。
 もちろん聖書の神話の天使とはまた別の存在で、本人たちが自称してそう呼ばれているに過ぎない。ここでいう「天使」とは、オートマタと融合した新人類のことで、下級のオートマタを使役して旧人類の絶滅や奴隷化を目指し、地球全域を支配しようとしている狂った集団のことだ。
 忌々しいことに、その姿形は天使を模した人形のようだった。それはグロテスクなキッチュのようでありながらも、あるいは造形としては美しくもあったのかもしれない。もしも悪意を抱いて敵対してさえいなければ、ここまでの恐怖や嫌悪を呼び起こすことはなかったのかもしれない。
 ともあれ「天使」を自称する者たちが、ずっと長いあいだ人間を殺し続けている。だから天国ではなく地獄のようになっていた。


2
 地上には今日も月からの歌声が聞こえている。ラジオ装置や無線機に旋律と歌声が流れ込んでくるのだ。
 歌っているのは、古い時代に逃げ延びた人々なのだとか、それとも幽霊や悪魔なのだとも囁かれる。しかし本当のところは誰も知らない。

(草稿、完)
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