幽霊の国の狼娘/※耽美風ゴシック?中編+短編
9
胸の高さの墓標には白いベレー帽がかけられてあった。金の二枚羽がついた白ベレーは生前に「彼」の属した騎士団のトレードマークなのだ。
『アイザック。弓術に巧みなる「翠玉の騎士」。享年十八歳』
どうやら騎士団の仲間たちが黒大理石の角柱型墓碑を準備してくれたらしい。墓碑のぐるりは花で埋め尽くされている。愛しいアイザックは弓の腕でも評価が高かったし、悲劇的な最期は騎士団の名誉にも大きく貢献したのだろう。
エステルは目頭が熱くなり、墓を掘り返してもう一度抱きしめたくなる。
「怖かったんです。一人で来るのが……」
彼女は決定的な事実を確認し、向き合うことを恐れていた。
アロンは独白を黙って聞いていた。
「お葬式のとき、実感が湧かなくって。棺にキスだけして、逃げるみたいにして帰ってしまったから……ひょっとしたら『生き返るんじゃないか』とか、思っていたかったんですね。だから一人でお墓参りなんてするのが……」
口ごもるエステルの傍らに片膝をついて、アロンは壊れた方の短剣を供える。鞘にはあの見事な蒔絵が輝いていて、それだけでもたいそうな値打ちがありそうだった。どうやら馬車の中での、故人の弓の技量の話によほど感心したらしい。
立ち上がりがてらアロンは言った。
「ここはどういう場所なんだ?」
「どういう? ここはホラーサーン、『狼』の城市ですわ」
「そうじゃない」
アロンは不可解さをこらえかねたように髪を掻く。目だけでじろっとエステルを見た。
「ここは普通じゃない」
「普通じゃないことが、普通なんですよ」
エステルは内心で同意しつつも答える。
しかし皮肉と自嘲の入り混じった言葉は、アロンの率直な指摘にさえぎられた。
「宮廷でロシアンルーレットをやるのが普通か? 余興なんかに提案する方もする方だし、それに応じた奴が六人もいたなんて。しかも前途有望な若い連中が。このアイザックだって、そんな名人なら、命の使い道はいくらでもあるだろうに……」
今度はエステルがやるせなく反論する番だった。悩ましげに頭を左右させて立ち上がり、彼に向き合う。
「他に生きる道はないんです。茶番と方便しかないんです」
「……どうかしている!」
エステルは燻るわだかまりが去らず、そのせいか少々意固地になってしまっているらしい。悲しみはひとまず静まっているだけで、根っから癒えたわけではない。
お墓参りに外国の賓客を連れてくるのは、きっと永眠しているアイザック自身も喜んでくれる。けれども根底に色々利己的な動機があったことは否めない。後ろめたさもあった。
(ああ、わたしはなにをやっているんだろう……?)
エステルは悲しげに首を横に振った。
「世の中が狂っていたって、その中で自分なりに真剣になるしかないんです」
彼女は絹のハンカチで目をおおった。
アロンは溜息をついた。
「これも百五十年前の内戦のせいなのか?」
「内戦?」
「ここに来る途中、羆のばあさんに聞いたんだ。それでここ百年くらい、衰退しているとか、何とか」
「百年も前のことでしょう。そんな大昔のこと、わたし知りませんわ」
エステルの眼差しは懐かしげに遠く、墓標手前の地面に落されていた。
10
「ところで幽霊地区はどうなんだ?」
気まずくなったらしいアロンは話題を変える。
宿で聞き及んだところでは。この国の外市には「幽霊」に割り当てられたエリアがある。不在の地区に棲む彼らには戸籍がないけれど、労働力としてはたしかに存在している。この国の社会は無数の「幽霊民」たちに支えられている。
貴族は平民を軽蔑し、平民は幽霊民の存在をさらに徹底的に無視する。同胞意識がまるきり欠落している。せいぜい支配と搾取のヒエラルキーで繋がれているだけだ。
アロンの生国たるアウストラシアではありえないことだった。
「幽霊地区ですか……」
エステルは少し考えるそぶりで答えた。ちょっと怒った顔になる。
「前にちょっと行ったことがありますけど、酷いところでしたね。ゴミ捨て場に病気の子が捨てられてるなんて、酷すぎるでしょう!」
彼女は悲しげに肩を落して語をつなげる。重苦しげな表情が眉をおおう。
「施療院に連れてったけど、死んじゃいました……もうあそこへは、行きたくありません」
意外なことにアロンは複雑ながらも、ほっとした顔になる。
「どうしてそんな顔するんです?」
エステルは怪訝そうに少し睨む。別に心安らぐ話をしたつもりはない。
「……あんたがイカレてなかったから、安心したんだよ」
11
あくる日の昼も、エステルはアロンを監視に訪ねた。
手焼きのクレープを携えて。
「アロンさんって、お野菜好きなんですか?」
不思議なことに。アロンは野菜の多いハムサラダ巻きを好んで平らげた。
「旅行中はどうしても肉が多くなるし。パンや野菜が恋しくなるのさ」
「お肉?」
「ウサギとか捕まえたり。たまに野草の食べられるやつとかで、香草焼きとか」
どうやら旅程中の食事の大半は、狩りで調達しているらしい。
「それじゃ、自分でお料理を? やっぱり焚き火の上で?」
娘らしい好奇心でうきうき訊ねる。あの山刀、包丁も兼ねるのだろうか?
「ま。頭切り落として、皮剥いで焼くだけだけど。そればっかり。蛇でもウサギでも」
エステルは図柄を想像し、とっさ「うえっ」と青ざめる。アロンは笑った。
「このクレープのハムだって、ここにあるってことは、誰かが作ったんだろ? 豚を殺して皮剥いで、切り身にして燻製にした人間がいなきゃ、勝手にできるわきゃないぜ?」
どうにもエステルとアロンには生活環境のギャップがあるらしい。
「だったら。甘いものは、恋しくならないんですか?」
「それも好きだけど、大量に食いたいとは思わないな。それに、チョコレートとかは携帯食に便利で、たいがい常時持ってるし」 エステルは興味深げに頷いた。
彼と話すのは楽しい。だからもっと話がしたい。
「携帯食ですか……てっきり嗜好品のお菓子だとばかり」
「そういえばカニもいるんだ。陸棲のカニが。甲羅が玉虫色で、生でも……」
もしも。
もしもアイザックと新婚夫婦になっていたら、毎日がこんなふうだったのだろうか?
生前アイザックには、いつのころからか、どこか打ち解けていないようなところが目立っていた。律儀なくせに、適当に距離をとろうとしているような節があったのだ。
(アイザックも、アロンさんくらい打ち解けてくれて、もっといっぱいおしゃべりしてくれたらよかったのに)
でも……アロンもまた遠からず、遥かな西の国へ帰ってしまうのだろう。
胸の高さの墓標には白いベレー帽がかけられてあった。金の二枚羽がついた白ベレーは生前に「彼」の属した騎士団のトレードマークなのだ。
『アイザック。弓術に巧みなる「翠玉の騎士」。享年十八歳』
どうやら騎士団の仲間たちが黒大理石の角柱型墓碑を準備してくれたらしい。墓碑のぐるりは花で埋め尽くされている。愛しいアイザックは弓の腕でも評価が高かったし、悲劇的な最期は騎士団の名誉にも大きく貢献したのだろう。
エステルは目頭が熱くなり、墓を掘り返してもう一度抱きしめたくなる。
「怖かったんです。一人で来るのが……」
彼女は決定的な事実を確認し、向き合うことを恐れていた。
アロンは独白を黙って聞いていた。
「お葬式のとき、実感が湧かなくって。棺にキスだけして、逃げるみたいにして帰ってしまったから……ひょっとしたら『生き返るんじゃないか』とか、思っていたかったんですね。だから一人でお墓参りなんてするのが……」
口ごもるエステルの傍らに片膝をついて、アロンは壊れた方の短剣を供える。鞘にはあの見事な蒔絵が輝いていて、それだけでもたいそうな値打ちがありそうだった。どうやら馬車の中での、故人の弓の技量の話によほど感心したらしい。
立ち上がりがてらアロンは言った。
「ここはどういう場所なんだ?」
「どういう? ここはホラーサーン、『狼』の城市ですわ」
「そうじゃない」
アロンは不可解さをこらえかねたように髪を掻く。目だけでじろっとエステルを見た。
「ここは普通じゃない」
「普通じゃないことが、普通なんですよ」
エステルは内心で同意しつつも答える。
しかし皮肉と自嘲の入り混じった言葉は、アロンの率直な指摘にさえぎられた。
「宮廷でロシアンルーレットをやるのが普通か? 余興なんかに提案する方もする方だし、それに応じた奴が六人もいたなんて。しかも前途有望な若い連中が。このアイザックだって、そんな名人なら、命の使い道はいくらでもあるだろうに……」
今度はエステルがやるせなく反論する番だった。悩ましげに頭を左右させて立ち上がり、彼に向き合う。
「他に生きる道はないんです。茶番と方便しかないんです」
「……どうかしている!」
エステルは燻るわだかまりが去らず、そのせいか少々意固地になってしまっているらしい。悲しみはひとまず静まっているだけで、根っから癒えたわけではない。
お墓参りに外国の賓客を連れてくるのは、きっと永眠しているアイザック自身も喜んでくれる。けれども根底に色々利己的な動機があったことは否めない。後ろめたさもあった。
(ああ、わたしはなにをやっているんだろう……?)
エステルは悲しげに首を横に振った。
「世の中が狂っていたって、その中で自分なりに真剣になるしかないんです」
彼女は絹のハンカチで目をおおった。
アロンは溜息をついた。
「これも百五十年前の内戦のせいなのか?」
「内戦?」
「ここに来る途中、羆のばあさんに聞いたんだ。それでここ百年くらい、衰退しているとか、何とか」
「百年も前のことでしょう。そんな大昔のこと、わたし知りませんわ」
エステルの眼差しは懐かしげに遠く、墓標手前の地面に落されていた。
10
「ところで幽霊地区はどうなんだ?」
気まずくなったらしいアロンは話題を変える。
宿で聞き及んだところでは。この国の外市には「幽霊」に割り当てられたエリアがある。不在の地区に棲む彼らには戸籍がないけれど、労働力としてはたしかに存在している。この国の社会は無数の「幽霊民」たちに支えられている。
貴族は平民を軽蔑し、平民は幽霊民の存在をさらに徹底的に無視する。同胞意識がまるきり欠落している。せいぜい支配と搾取のヒエラルキーで繋がれているだけだ。
アロンの生国たるアウストラシアではありえないことだった。
「幽霊地区ですか……」
エステルは少し考えるそぶりで答えた。ちょっと怒った顔になる。
「前にちょっと行ったことがありますけど、酷いところでしたね。ゴミ捨て場に病気の子が捨てられてるなんて、酷すぎるでしょう!」
彼女は悲しげに肩を落して語をつなげる。重苦しげな表情が眉をおおう。
「施療院に連れてったけど、死んじゃいました……もうあそこへは、行きたくありません」
意外なことにアロンは複雑ながらも、ほっとした顔になる。
「どうしてそんな顔するんです?」
エステルは怪訝そうに少し睨む。別に心安らぐ話をしたつもりはない。
「……あんたがイカレてなかったから、安心したんだよ」
11
あくる日の昼も、エステルはアロンを監視に訪ねた。
手焼きのクレープを携えて。
「アロンさんって、お野菜好きなんですか?」
不思議なことに。アロンは野菜の多いハムサラダ巻きを好んで平らげた。
「旅行中はどうしても肉が多くなるし。パンや野菜が恋しくなるのさ」
「お肉?」
「ウサギとか捕まえたり。たまに野草の食べられるやつとかで、香草焼きとか」
どうやら旅程中の食事の大半は、狩りで調達しているらしい。
「それじゃ、自分でお料理を? やっぱり焚き火の上で?」
娘らしい好奇心でうきうき訊ねる。あの山刀、包丁も兼ねるのだろうか?
「ま。頭切り落として、皮剥いで焼くだけだけど。そればっかり。蛇でもウサギでも」
エステルは図柄を想像し、とっさ「うえっ」と青ざめる。アロンは笑った。
「このクレープのハムだって、ここにあるってことは、誰かが作ったんだろ? 豚を殺して皮剥いで、切り身にして燻製にした人間がいなきゃ、勝手にできるわきゃないぜ?」
どうにもエステルとアロンには生活環境のギャップがあるらしい。
「だったら。甘いものは、恋しくならないんですか?」
「それも好きだけど、大量に食いたいとは思わないな。それに、チョコレートとかは携帯食に便利で、たいがい常時持ってるし」 エステルは興味深げに頷いた。
彼と話すのは楽しい。だからもっと話がしたい。
「携帯食ですか……てっきり嗜好品のお菓子だとばかり」
「そういえばカニもいるんだ。陸棲のカニが。甲羅が玉虫色で、生でも……」
もしも。
もしもアイザックと新婚夫婦になっていたら、毎日がこんなふうだったのだろうか?
生前アイザックには、いつのころからか、どこか打ち解けていないようなところが目立っていた。律儀なくせに、適当に距離をとろうとしているような節があったのだ。
(アイザックも、アロンさんくらい打ち解けてくれて、もっといっぱいおしゃべりしてくれたらよかったのに)
でも……アロンもまた遠からず、遥かな西の国へ帰ってしまうのだろう。