幽霊の国の狼娘/※耽美風ゴシック?中編+短編
12
それでもエステルの身に起きた出来事は、伯爵夫人のサロンでも注目の的となった。
仲間の誰かが恋することは、それこそ一大事の大事件。ことにサロンではお菓子と色恋沙汰が必需品なのだ。話題として重大なパーセンテージを占めるだろう。
風潮として浮気や不倫さえ日常茶飯事で、現に藩王もさる侯爵夫人と愛人関係にある。……けれどもエステルがいまどき珍しく、極めて真面目な部類だということは、キャサリンはよーく知っていた。
「ともかくよかったわ、元気になって……出家でもしちゃうんじゃないかって、みんな心配してたんだよ、ホントに……」
嬉しげなキャサリンに、エステルは軽く溜息する。
「いっくら幸せだって……」
エステルは柱時計の振り子に視線を釘づけにしている。時間の問題だ。
「どーせ、終わりが前提なのよ……」
これが亡霊たちのはからい、仮初の慰めなのだろうか? 痛みを和らげよと?
「そんなこといいだしたら、何だってそうじゃないの」
「むうー。幸せは幸せだけどさー」
呆れ顔のキャサリンに、エステルは苦悩ともノロケともとれる態度である。「幸せ」という言葉が自然に出たのが不思議だった。
(あれ?)
エステルは不可解さに思い至る。
次第に演技が自然体とごちゃ混ぜになって、自分でも何が本心なのかわからなくなっている。
自分は嘘を吐いている。
誰に?
傍らではパンダみたいなキャサリンがしげしげと見つめている(本人の名誉のため、一言せねばなるまい。彼女もまたれっきとした「狼」の娘である)。
「……」
「……」
目線がぶつかって沈黙が落ちる。
そこでエステルは取り繕うみたく、言葉をつないだ。
「終わっちゃったあと、どーするんだろーなーとか、悩むわけなのよ、ジッサイ。いっくら気になったからって、どこまで突き進んでいいものやら……。せめて時間があれば、ゆっくり納得がいくようにできるのかもしれないけど……」
アロンとの出会いで気が紛れ、苦痛がかなり和らいでいるのは事実だ。けれども昨日の今日の惨劇を、すぐに忘れるなど無理な話だった。
(復讐、どうしよう?)
あのアロンを人間爆弾や鉄砲玉にするのが段々に惜しくなってきている。
キャサリンが言った。
「いっそのこと、ついてっちゃえば?」
「そんな。婚約者が死んで、一月もたたないうちに駆け落ちなんて」
一笑に付そうとするエステルを、キャサリンは真剣な目で見つめた。
「わたしはおかしいとは思わないわ。幸せになるチャンスを逃すなんて、それこそバカのすることだし。死んだアイザックだって、あなたの幸せを望んでいると思うわ」
「でも……」
懊悩するエステルにラスティニャック伯爵夫人は穏やかに答えた。
「ま。人生は一期一会だわね。あなたは奥手だから……」
「奥様……わたしの人生、そればっかりなんです。アイザックもそうでした。きっとアロンさんだって、漸近線みたいに離れ去ってしまうんです」
エステルはもはや涙目である。うるうるとヴァイオレットの双眸をわななかせる。
不謹慎かもしれなかったが、理不尽に失った経験があるだけに切実である。
「だったら、せめて一生忘れられないようにしておあげ」
人生と策略の教師はある秘策を授けた。
エステルの中で何かがぷっつり切れた。
13
さらに翌日に。
アロンを訪れたエステルは、ずいぶんとエキセントリックな服装をしていた。
上と下がひとつながりになって、腰のところで細くくびれている。鮮やかに染められた光沢のある布地に包まれ、ボディラインがぴっちりと浮かび上がっている。ただでさえ襟ぐりの大きい大胆な胸元には縦に大きなスリットが臍まで入り、谷間の肌が大きく見えている。左右はボタンで止められていた。
「うわっ……なんか、スゴイ格好……」
アロンの反応は予想以上だった。悩殺されかかっているのは明白。
エステルは恥じらいつつも気を良くする。それが言動に拍車をかけた。
「この胸の留め金、本当は外すんですって。特にプライベートでは」
「お前……」
アロンは驚愕しつつも、目線は釘づけである。エステルは頬を赤らめてウインクした。
「これだって、ちゃんとしたファッションなんです」
「ファッションって……」
目のやり場に困りながらも、アロンは目をそらすことができない。エステルは頬を赤く火照らせながらも、努めて冷静に講釈した。
「たまに変わった格好が流行るんです。少し前の舞踏会でも、何人かの婦人方が身につけてみえたそうです。たしかなことですわ」
これが最新式のモードである。先日に侯爵夫人が宮殿の宴で侍女共々に着用して衆目を集め、次の晩には二ダースもの追随者が現れた。
「だからってお前……」
アロンは本能と理性の狭間で、ぐらついているようだった。
「上の方がなさることは、真似するのがマナーなんです。ですから、うちのサロンでもちょっとやってみましょうって、ラスティニャック夫人が。……どんなときだって、せめて仲間内の一人二人は『最新式』をやらないと、他のサロンに軽く見られてしまいますの」
上流社会の見得の張り合いも、なかなか大変なのである。
この手の流行は順番に、下位の者が上位者の真似をすることで波及していく。地位の低い者は、最新式の登場してから、しばらくの間は自粛するのが暗黙のルールだった。
王族の姫君から侯爵夫人くらいまでが第一グループ。彼女たちが最大の発案件を握っている。伯爵夫人から、一般の下級貴族の娘までが第二集団。早くに同じ装いをすることが許されるが、逆に「おつきあい」することがほとんど義務であったりする。出入りする小規模なサロンでの淑やかな相互監視もある。グループごとの競争心も。
つまりはエステルにお鉢が回ってきたというわけだった。
アロンはしどろもどろに抗議する。
「町の娘で、そんな格好の奴はいない」
「ここは外市ですもの。わたしが申し上げるのは、内市の貴族の習慣のことです」
エステルは興奮に目を妖しく輝かせながら、うわずった声音で答える。
お茶を注ぎ、小さなテーブルの席についた。
この小さな部屋に二人きりだ。
エステルはアロンの視線に鼓動が高まる。じんと素肌に視線が突き通ってくるようだった。はっきりしているようなまどろむような、足腰が宙に浮く心持ちになってしまう。
二人とも言葉少なにお茶を啜る。
ハーブティの誇らかな香りもよくわからなくなってしまう。
頭が真っ白になったエステルはついに告げた。
「もしもアロンさんが彼の、アイザックの敵討ちに協力してくださるなら……」
言い訳めいた申し出と裏腹、本当は楽になりたくて仕方がなかったのだろうか。
「敵討ち?」
エステルはかなり無茶苦茶と自覚しながら、さらに致命的な言葉を口にした。
「藩王様と、廷臣たちです。カタキを取ってくれるなら、その、わたし……」
「…………無理だ」
アロンは嫌味なほどに理性的な反応だ。
エステルは平静を装いながら深く傷ついた。
「へー、見た目より小心なんですね。……それに馬鹿正直もタメになりませんよ」
強がりが口を突く。エステルは目に涙を溜めて精一杯の皮肉を言う。
「でも……帰っても、わたしのこと、これで永久に忘れませんよね?」
「ああ」
アロンは苦虫を噛み潰して頬杖し、横を向く。
エステルは早足に部屋を出た。ちょっと涙が流れた。
(ああ、わたしは何をやっているんだろう……)
ストレスとフラストレーションで頭がどうにかなりそうで、帰りの馬車で涙と鼻水が止まらなくなってしまう。
それでもエステルの身に起きた出来事は、伯爵夫人のサロンでも注目の的となった。
仲間の誰かが恋することは、それこそ一大事の大事件。ことにサロンではお菓子と色恋沙汰が必需品なのだ。話題として重大なパーセンテージを占めるだろう。
風潮として浮気や不倫さえ日常茶飯事で、現に藩王もさる侯爵夫人と愛人関係にある。……けれどもエステルがいまどき珍しく、極めて真面目な部類だということは、キャサリンはよーく知っていた。
「ともかくよかったわ、元気になって……出家でもしちゃうんじゃないかって、みんな心配してたんだよ、ホントに……」
嬉しげなキャサリンに、エステルは軽く溜息する。
「いっくら幸せだって……」
エステルは柱時計の振り子に視線を釘づけにしている。時間の問題だ。
「どーせ、終わりが前提なのよ……」
これが亡霊たちのはからい、仮初の慰めなのだろうか? 痛みを和らげよと?
「そんなこといいだしたら、何だってそうじゃないの」
「むうー。幸せは幸せだけどさー」
呆れ顔のキャサリンに、エステルは苦悩ともノロケともとれる態度である。「幸せ」という言葉が自然に出たのが不思議だった。
(あれ?)
エステルは不可解さに思い至る。
次第に演技が自然体とごちゃ混ぜになって、自分でも何が本心なのかわからなくなっている。
自分は嘘を吐いている。
誰に?
傍らではパンダみたいなキャサリンがしげしげと見つめている(本人の名誉のため、一言せねばなるまい。彼女もまたれっきとした「狼」の娘である)。
「……」
「……」
目線がぶつかって沈黙が落ちる。
そこでエステルは取り繕うみたく、言葉をつないだ。
「終わっちゃったあと、どーするんだろーなーとか、悩むわけなのよ、ジッサイ。いっくら気になったからって、どこまで突き進んでいいものやら……。せめて時間があれば、ゆっくり納得がいくようにできるのかもしれないけど……」
アロンとの出会いで気が紛れ、苦痛がかなり和らいでいるのは事実だ。けれども昨日の今日の惨劇を、すぐに忘れるなど無理な話だった。
(復讐、どうしよう?)
あのアロンを人間爆弾や鉄砲玉にするのが段々に惜しくなってきている。
キャサリンが言った。
「いっそのこと、ついてっちゃえば?」
「そんな。婚約者が死んで、一月もたたないうちに駆け落ちなんて」
一笑に付そうとするエステルを、キャサリンは真剣な目で見つめた。
「わたしはおかしいとは思わないわ。幸せになるチャンスを逃すなんて、それこそバカのすることだし。死んだアイザックだって、あなたの幸せを望んでいると思うわ」
「でも……」
懊悩するエステルにラスティニャック伯爵夫人は穏やかに答えた。
「ま。人生は一期一会だわね。あなたは奥手だから……」
「奥様……わたしの人生、そればっかりなんです。アイザックもそうでした。きっとアロンさんだって、漸近線みたいに離れ去ってしまうんです」
エステルはもはや涙目である。うるうるとヴァイオレットの双眸をわななかせる。
不謹慎かもしれなかったが、理不尽に失った経験があるだけに切実である。
「だったら、せめて一生忘れられないようにしておあげ」
人生と策略の教師はある秘策を授けた。
エステルの中で何かがぷっつり切れた。
13
さらに翌日に。
アロンを訪れたエステルは、ずいぶんとエキセントリックな服装をしていた。
上と下がひとつながりになって、腰のところで細くくびれている。鮮やかに染められた光沢のある布地に包まれ、ボディラインがぴっちりと浮かび上がっている。ただでさえ襟ぐりの大きい大胆な胸元には縦に大きなスリットが臍まで入り、谷間の肌が大きく見えている。左右はボタンで止められていた。
「うわっ……なんか、スゴイ格好……」
アロンの反応は予想以上だった。悩殺されかかっているのは明白。
エステルは恥じらいつつも気を良くする。それが言動に拍車をかけた。
「この胸の留め金、本当は外すんですって。特にプライベートでは」
「お前……」
アロンは驚愕しつつも、目線は釘づけである。エステルは頬を赤らめてウインクした。
「これだって、ちゃんとしたファッションなんです」
「ファッションって……」
目のやり場に困りながらも、アロンは目をそらすことができない。エステルは頬を赤く火照らせながらも、努めて冷静に講釈した。
「たまに変わった格好が流行るんです。少し前の舞踏会でも、何人かの婦人方が身につけてみえたそうです。たしかなことですわ」
これが最新式のモードである。先日に侯爵夫人が宮殿の宴で侍女共々に着用して衆目を集め、次の晩には二ダースもの追随者が現れた。
「だからってお前……」
アロンは本能と理性の狭間で、ぐらついているようだった。
「上の方がなさることは、真似するのがマナーなんです。ですから、うちのサロンでもちょっとやってみましょうって、ラスティニャック夫人が。……どんなときだって、せめて仲間内の一人二人は『最新式』をやらないと、他のサロンに軽く見られてしまいますの」
上流社会の見得の張り合いも、なかなか大変なのである。
この手の流行は順番に、下位の者が上位者の真似をすることで波及していく。地位の低い者は、最新式の登場してから、しばらくの間は自粛するのが暗黙のルールだった。
王族の姫君から侯爵夫人くらいまでが第一グループ。彼女たちが最大の発案件を握っている。伯爵夫人から、一般の下級貴族の娘までが第二集団。早くに同じ装いをすることが許されるが、逆に「おつきあい」することがほとんど義務であったりする。出入りする小規模なサロンでの淑やかな相互監視もある。グループごとの競争心も。
つまりはエステルにお鉢が回ってきたというわけだった。
アロンはしどろもどろに抗議する。
「町の娘で、そんな格好の奴はいない」
「ここは外市ですもの。わたしが申し上げるのは、内市の貴族の習慣のことです」
エステルは興奮に目を妖しく輝かせながら、うわずった声音で答える。
お茶を注ぎ、小さなテーブルの席についた。
この小さな部屋に二人きりだ。
エステルはアロンの視線に鼓動が高まる。じんと素肌に視線が突き通ってくるようだった。はっきりしているようなまどろむような、足腰が宙に浮く心持ちになってしまう。
二人とも言葉少なにお茶を啜る。
ハーブティの誇らかな香りもよくわからなくなってしまう。
頭が真っ白になったエステルはついに告げた。
「もしもアロンさんが彼の、アイザックの敵討ちに協力してくださるなら……」
言い訳めいた申し出と裏腹、本当は楽になりたくて仕方がなかったのだろうか。
「敵討ち?」
エステルはかなり無茶苦茶と自覚しながら、さらに致命的な言葉を口にした。
「藩王様と、廷臣たちです。カタキを取ってくれるなら、その、わたし……」
「…………無理だ」
アロンは嫌味なほどに理性的な反応だ。
エステルは平静を装いながら深く傷ついた。
「へー、見た目より小心なんですね。……それに馬鹿正直もタメになりませんよ」
強がりが口を突く。エステルは目に涙を溜めて精一杯の皮肉を言う。
「でも……帰っても、わたしのこと、これで永久に忘れませんよね?」
「ああ」
アロンは苦虫を噛み潰して頬杖し、横を向く。
エステルは早足に部屋を出た。ちょっと涙が流れた。
(ああ、わたしは何をやっているんだろう……)
ストレスとフラストレーションで頭がどうにかなりそうで、帰りの馬車で涙と鼻水が止まらなくなってしまう。