桜花彩麗伝
第一章 欠けた月の雫
第一話
よく晴れた空を薄く透けた雲が覆い、柔らかな風が花香を運んだ。
麗らかな春日和だ。
舞い落ちる桜の花びらが、はらはらと芝の上に連なっていく。
────春は、何事もなく訪れた。
数年に渡り玻璃国を飲み込んでいた不幸など、とうに忘れてしまったかのように。
市井の外れにある小高い丘には、大きな桜の木が枝を広げていた。
淡い桃色の花が満開に咲き誇り、あたり一面を春模様に染め上げる。
重い足取りで芝を踏み締めた幼い彼は、その根元の部分に力なく座り込んだ。
……たった数年で、何もかもを失った。
母親は三年前に罪人として位を剥奪された上、宮外へ追われて処刑された。
いつだって味方をしてくれた、たった一人の兄も、同じく三年ほど前に亡くなっていた。
死に目にも遭えず、遺体と対面することすら叶わなかった。
こうして直に動いてみたところで、足跡のひとつも辿れない。
とうとう父親も病に倒れ、数日前にこの世を去ったところだ。
最後の肉親だったのに、たったの三日しか喪に服すことを許されなかった。
彼は、正真正銘のひとりぼっちになってしまったのだ。
頼れる者はおらず、涙を見せられる者もいない。
周囲にいるのは敵ばかりである。気を抜けば次は自分の番だ。
とてつもない孤独感と、今後のしかかるであろう重責の気配に怯え、抱えた膝に顔を埋める。
閉じた瞼の裏に、大好きな両親と兄の姿が浮かんだ。
(もう……会えぬのに)
暗闇の中、幻影が砂のように溶けていく────。
「どうしたの?」
はっと目を開ける。
突如として降ってきた声にびくりと肩が跳ねた。
恐る恐る顔を上げると、そこには見知らぬひとりの少女が立っていた。
まったく気配に気がつかなかった。いつからいたのだろう?
彼は咄嗟にごしごしと目元を擦り、慌てて涙を拭う。
「そなたは……」
少女は彼の深く沈んだような双眸がさらに翳ったのを見た。
口を噤んだその態度から、精一杯の警戒心をむき出しにしているのが分かる。
「あ、わかった。迷子なんでしょ?」
いたずらっぽく笑った少女は彼の画した壁をいとも簡単に崩し去り、ひとり分空けて隣に腰を下ろした。
迷子というわけではなかったが、わざわざ否定する気も起きなかった彼はただ怪訝そうに見返す。
「…………」
「そんな顔しなくてもだいじょうぶよ。……なーんて、わたしも迷子なんだけどね」
「……そうなのか?」
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