桜花彩麗伝

 (しゃが)れた声が不気味だった。嫌な予感を抱かずにはいられない、確実に何かを企んでいるであろう笑みである。

 容燕が(きびす)を返して歩き始めると、条件反射的に煌凌の足も動いた。
 顔色の悪い彼の額に冷や汗が滲むのを見た清羽は、不安気に眉を寄せる。

「陛下……」

 その泣きそうな表情は煌凌よりも年上とは思えず、迷子の子どものようであった。

「……大丈夫だ」

 煌凌は囁くように言う。清羽を安心させるためというよりは、自分自身に言い聞かせている部分が大きかった。

 大人しく追随(ついずい)してくる王の姿を確かめた容燕はほくそ笑み、夜明け前の記憶を辿る────。



     ◆



「容燕さま……?」

 触れ文の実行犯として捕らえられた男は、地下牢の格子(こうし)の向こうに容燕の姿を認めた。
 漂う不穏な空気に身を強張らせる。

 怒りのような、焦りのような、迂闊(うかつ)に触れれば大火傷を負わされそうな、妙な雰囲気をまとっていた。

「証言を覆せ。王の前で、すべてはそなたひとりで企て実行したことだと申すのだ」

「え……!?」

 男は目を見張った。
 そんなことをしたら命の保証はない。即刻、処刑されることになるだろう。

「なに、恐れることはない。刑が執行される際は替え玉を用意する。そなたのことは人知れず逃がし、家へ帰してやろう。無論、報酬を倍にする話も忘れてはおらん」

 謝悠景を首謀者に仕立てるよう言われた折も、このような約束を交わした。
 実際、証言したあとは拷問されることもなく、ただ拘留(こうりゅう)されているだけであった。

「これが最後の仕事だ」

 容燕の言葉は信ぴょう性も説得力も十分である。
 今回もそれを信じれば、恐らく生きてここを出られるはずだ。

「……分かりました。感謝します、容燕さま」

 男は冷たく血塗られた床に両手をつき、深々と(こうべ)を垂れる。

 ────これまで彼は稼ぎが悪く、ならず者として悪事を繰り返す以外に生きる術がなかった。
 今回はとんだ目に遭わされたものである。

 これに懲りて、もう愚行(ぐこう)からは手を引こう。きちんと家族を(かえり)みて平穏な生活を送るのだ。
 そう決意した男は、いっそどこか清々しい気持ちでそのときを待つことにした。
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