桜花彩麗伝
ぽつりと呟くようではあったが、莞永の声は往来の喧騒に飲み込まれることなく春蘭の耳に届いた。
「優しくて、優しすぎて、それゆえに弱い。でも……同時に強くもあります」
孤独と戦い、脅威に晒されながら、いつも翳った表情をしている王。
深い悲しみと絶望をひとりで背負っている彼の瞳は、海の底みたく重く暗く沈んでいる。
蕭家に刃向かえないという点では、確かに弱いと言わざるを得ない。
それでも必死で王座を守り続けてきた。
容燕の毒牙に怯むことはあっても、決して逃げ出すことなく。
即位した当時、彼は“王”という位を担うにはあまりに幼かった。
しかし、その頃から変わらず王たる自覚だけは誰より持ち合わせている。
玉座に固執し、その座を守り抜く必要性をよく理解している。
その宿命を受け入れたからこそなのだろう。
「…………」
春蘭にはその言葉の意味があまりよく分からなかった。
世間では“名ばかりの王”などと評されているという彼を“強い”と言った理由も。
しかし、そばで守っている羽林軍の莞永がそう言うのだ。
すなわち少なからず、王にも戦う意思があるということなのではないだろうか。
剣を交えるだけが戦いではないのだ。
ただ、じっと耐え忍んで待つこと────それが王なりの戦いなのかもしれない。
あるいは本当にただ恐れているだけなのかもしれないが。
それくらいに鳳蕭両家の力は肥大化していた。王の臣下でありながら、王が制御できないほどに。
「では、我々はこれで失礼します。次の高札に向かわないと」
莞永の声に、春蘭ははたと我に返った。
「妃選び、頑張ってくださいね! 俺も健闘を祈ってるんで」
眩しいくらいの笑顔で言い、旺靖は親指を立てる。
当然ながら悪意はないのだろうが、またしても苦い気持ちになった。
「……ありがと。ご苦労さま」
ふたりと別れた春蘭は停めていた軒車の方へ戻る。
外で待っていた紫苑はどことなく不安そうな面持ちで迎えた。
「どうなさるのですか?」
何について尋ねているのかはすぐに見当がつく。いたずらっぽく笑ってみせた。
「聞いてたの?」
「聞こえたのです」
「……どうもこうもないわ。身上書の提出は義務だもの」
貴族の子女はもれなく妃候補者となるため、身上書を提出して妃選びに参加しなければならない。一家につきひとり、必ずである。
鳳家直系のひとり娘である春蘭が、免れられるはずがなかった。
「覚悟をお決めに?」