桜花彩麗伝
突然のことに驚いて身を強張らせたものの、加減しているのか力は決して強くなく、その気になれば簡単に振りほどける。
はっと見張った双眸には、寂しげな顔の煌凌が映っていた。
「どう、したの」
戸惑う春蘭よりも煌凌の方がさらに困惑していた。自分自身でも思いもよらない行動だった。
「いや……すまぬ。……捕まえておかねば、消えてしまうと思って」
しなやかな手がするりとほどかれる。温もりが消えると、春蘭の指先から花びらが逃げていった。
ふと顔を逸らし、膝を抱えた煌凌の横顔を見つめる。色が白いお陰で、さした影がひときわ濃く感じられた。
「────昔」
気づけば煌凌はぽつりと口を開いていた。
そんな意図はなかったのに、理性があれこれ介入してくるより先に勝手に言葉がこぼれていく。
「わたしがまだ幼かったとき、父も母も兄も……みな亡くなった。大切な人をすべて失って、わたしはひとりぼっちになった」
唐突に語られ出した彼の凄絶な過去に、春蘭は咄嗟に言葉が出なかった。
ただ黙って耳を傾ける。
「わたしを置いて遠くへいってしまったみなを、恨めしく思ったこともある。いっそわたしも連れていってくれと願ったりもした」
「…………」
「それでも叶わず、夢ですら会えぬところを見ると、どうやらわたしには同じところへゆく資格すらないようだ。……本分を忘れるな、と叱ってくれているのかもしれぬが」
煌凌は落とした視線の先で、微かに震える自身の手を見つめた。
「わたしは……夜が怖い」
墨のように黒い闇が、何もかもを飲み込んでしまう夜。
気を抜けば、自分まで深淵に溶かされてしまいそうで恐ろしかった。
あるいは、底知れない暗闇から無数の手が伸びてきて、自分を引きずり込もうとするのではないかと、毎晩震えて眠りにつくのだ。
その中には両親や兄の手もあるような気がしてしまう。
ひとりだけ生き延びた自分は、それこそ恨まれているかもしれない。
生きる価値も死ぬ資格も、自分にはないのだ。
「!」
そっと、春蘭が煌凌の手を優しく掴んだ。不意に触れた温もりに驚き、彼は小さく身を震わせる。
「……大丈夫よ。夜っていつまでも続かないから」
ゆらゆらと揺れる瞳で不安気に春蘭を見つめた。
「悲しいのも苦しいのも辛いのもそう。いつまでも続いたりしない。朝が来るのと同じように、いつか必ず心から笑える日が来るわ」