桜花彩麗伝
春蘭の瞳が揺れた────。
自分から鳳姓を取ったら何が残るだろう。てのひらは空っぽで、何も持っていない。何者でもない。
「…………」
「王妃に選ばれること、それは何も家のためというのがすべてじゃない。己が力を持つ手段のひとつだ」
そうして得られる力をすなわち“権力”と呼ぶ。
それは支配力などとは質を異にしている。伴う責任を全うし、本分さえ見失わなければ足をすくわれることはないだろう。
己を縛りつける枷でも無差別に人々を押さえつけるものでもなく、大切な誰かを守るための武器となりうる。
そんな本質を忘れ、利己主義に走ったのが蕭家であると言えた。
「それだけが、いまのおまえにできる蕭家への抵抗だ。戦うか、諦めるか……自分で決めろ」
────答えは一瞬にして導き出された。いまさら迷うことなど何もない。
「戦います」
きっぱりと宣言してみせる。背筋を伸ばし、強い決意の宿る双眸で朔弦を見返す。
「わたしは……人を握り潰すんじゃなく、不当を暴いて正したい。もう簡単に誰かを失ったりしないように守りたい。そのための力が欲しいです」
不本意な現実を受け入れ、諦めをつけるための口実を探していた。
仕方のないことだと、割り切るに至る前に彼が連れ出してくれてよかった。
そんな心持ちでは、妃選びに臨んだところでまたしても蕭家に屈する羽目になっていただろう。
揺らいでいた覚悟が決まった。本当の意味で、鳳姓を背負う自覚が芽生えた。
凜然たる春蘭の言葉と眼差しを受け、朔弦は静かに頷く。
昨晩より、よほどいい顔になった。
「……上出来だな」
はっと息をのんでしまう。鉄の理性を有する氷のような彼が、肯定的な言葉を口にするところを初めて見た。
「話を進めよう。これから三日に渡り、おまえを試させてもらう」
「試す……?」
「王妃になりたい、そう願う娘が国中にどれほどいることか。望むだけでなれるものではない」
その座の重みは想像以上のものだろう。
“家柄”という第一条件でまず篩にかけたとしても、華々しい多くの令嬢たちが勝ち残る。その中で選ばれるのはたったのひとりだけだ。
「……悪いが、わたしはまだ手を組むかどうか決めかねている。だから、おまえが信じさせてみろ」