桜花彩麗伝

 心を占めるのは感謝の念のほかにない。
 本意がどうあれ、いまの王と手を携えてくれるのは彼ら以外にいないだろう。

 重く沈んでいた煌凌の表情がわずかに晴れた。
 深淵(しんえん)の暗い海底に、揺れる水面から光が射し込んだように。

「……まだ始まってもいません。簡単に礼など言わないでください」

 朔弦はあくまで王に甘い態度を取ることはなかった。
 彼の心に寄り添い、その孤独を埋めてやるのは朔弦の役目ではない。また、王のご機嫌取りも御免(ごめん)である。

(……今回のことは、お互いさまか)

 勝手に突っ走った彼を責める資格を、実のところ朔弦はそもそも持ち合わせていなかった。
 春蘭を信用していない上、煌凌の推測通り王に何の期待もしていないのだから。

「そうだな、すまぬ。……して、余は何をすれば?」

 朔弦はやや(きょ)をつかれた。
 この王は実に何の抵抗もなく、目下の者に礼を言うし謝罪もする。威厳も何もあったものではない。

 欠点でしかないと思っていたそんな一面は、しかし案外そうでもないのかもしれなかった。
 誇り高いのと傲慢(ごうまん)なのは似て非なるものである。

 無意識の人心掌握(じんしんしょうあく)術。暗君(あんくん)たらしめない実直な聡明さを垣間(かいま)見た朔弦は素直に感心した。
 いまのところ評価できたのはその点のみであるが。

「陛下は文官たちを味方につけてください。どんな手を使っても構いません。“王が妃選びに関与すること”に、彼らを納得させてください」

 さらりとかなり難しいことを言われた。煌凌は思わず固まってしまう。

「何ゆえだ……?」

「“根拠”になるからです」

「根拠?」

「文官たちが陛下の主張に賛同すれば、それは客観的な立場からも支持を得たことを意味します。連中も無視できなくなるでしょう。つまり、説得の材料になるのです」

 王の妃選びへの関与────過去前例のないその主張が王個人の意見(わがまま)ではなく、(おみ)たちの総意となる。

 そうなれば容燕や太后とて無視できなくなるだろう。
 朝廷百官(ひゃっかん)の言葉にはそれだけの重みがあり、黙殺(もくさつ)したとなれば外聞(がいぶん)に関わる。

「全員とは言いません。ひとりでも多くの者を味方につけてください」

「……分かった。やってみる」
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