桜花彩麗伝

 ────戦う、と凜然たる眼差しで宣してみせた春蘭のことを思い出す。

『わたしは……人を握り潰すんじゃなく、不当を暴いて正したい。もう簡単に誰かを失ったりしないように守りたい。そのための力が欲しいです』

 彼女の心持ちや信念を疑うわけではないが、権力というものは時として人を変える。
 栄耀栄華(えいようえいが)に魅せられ我を失った果ては、堕落(だらく)のほかにない。

 ともかく、王が春蘭に対して恋心を抱いていないのは幸いと言えた。

「……ん?」

 そんな朔弦の心情など知る(よし)もない煌凌はふと頭をもたげる。

(安心とはどういう意味だ? 何ゆえ安心など……?)

「!!」

 まさか、と不意にひらめいて息をのむ。雷に打たれたかのごとく衝撃が身体を貫いた。まさか、春蘭のことを……?

 はなはだしい勘違いのもと呆然(ぼうぜん)としてしまう煌凌を無視し、朔弦は淡々と言う。

「では、わたしは失礼します。成果を伺いにまた参りますので」

「…………」

 すっかり驚愕に明け暮れ、返事はおろか瞬きすらも忘れ去っていた。



     ◇



 薄雲が月を覆い判然(はんぜん)としない深更(しんこう)、二頭の馬が疾風(しっぷう)のごとく駆け抜けていった。
 馬蹄(ばてい)の音がわずかに遅れてついていく。

 瞬く間に柊州手前へ差しかかった紫苑と櫂秦は下馬し、最寄りの厩舎(きゅうしゃ)を借りた。
 歩いた方が目立たないだろう。また、万一の逃走手段を確保しておくためでもある。

「はー、やっぱ馬はいいな。速ぇし、風も気持ちいい」

 櫂秦は青毛の馬を撫でる。

「さすがは鳳家ってとこか? どいつもこいつも駿馬(しゅんめ)ばっかだ」

「そうだな。……さて」

 短く答えた紫苑は空を仰いだ。

 鳳邸を出た頃よりさらに雲が増え、月明かりはますます(おぼろ)なものへと変わっている。好都合だ。
 ここまで暗ければ侵入も隠密も難しくないだろう。奇襲にも用心しなければならないが。

「いい感じに視界が悪いな」

「……戦うのは最後の手段にしよう」

「ああ。こっそり忍び込んでこっそり配る、それが最善だよな」

 紫苑と櫂秦は頷き合った。
 それぞれ布を巻いて顔の下半分を覆い隠し、音を立てないよう忍びながら柊州へと足を踏み入れる────。
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