桜花彩麗伝

 予想に反し、一面粛然(しゅくぜん)としていた。

 野蛮な武者集団だという紅蓮教の連中が制圧しているため、見張りという名目で教徒たちが警邏(けいら)しているものだとばかり思っていたが、意外なことに人の気配はない。

 思わず顔を見合わせた。櫂秦にとっても怪訝(けげん)な状況だ。
 どことなく違和感を覚えながら民家の並ぶ町の方へ進んでいく。

 どの家も明かりが消えており、就寝しているのかそもそも不在なのか分からないが、一帯は不自然なほど閑静なものであった。

「……妙だな」

「ああ。何か……作為的なものを感じないか?」

「まさか罠とか」

「それはないだろう。我々が今夜ここへ来ることは知る(よし)もないだろうし」

「……だよな。根城(ねじろ)の近くならともかく、こんな人里────」

 不意に櫂秦が言葉を切る。

 あばら家の陰を、黒い何かが横切っていくのを視界の端で捉えたのだ。考えるより早く、咄嗟に身体が動く。

 黒い人影を追い、敏捷(びんしょう)な動きで襟首を引っ張って捕まえた。
 人影の両腕を背中に回してまとめ上げるように押さえつけると、あとから駆けてきた紫苑が素早く刀身を(あらわ)にして人影に向ける。

「ひ……っ!」

 人影は怯えたように息をのんだ。切っ先を見つめ、おののいて()()る。

「すみません! もうしません! 二度と()は破りませんから、どうか殺さないでください!」

 いかにも気弱そうな男の声に、やや拍子抜けしてしまう。

「誰だ」

「あ、ぼ、僕は……。そ、その……」

 彼の言葉を無視する形で紫苑が問うが、返答は歯切れの悪いものだった。
 櫂秦は男を押さえつける力を強める。彼は「いてててて!」と喚き、観念したように答えた。

「し、蕭榮瑶(えいよう)です! 決して怪しい者では……っ!」

 はっと瞠目(どうもく)する。衝撃のあまり腕から力が抜けそうになった。
 紫苑もさすがに動揺してしまう。

「蕭って……あの?」

「そ、そうです! “あの”です! 僕は蕭容燕の息子です!」

 こくこくと勢いよく首を縦に振って頷く榮瑶。
 よほどふたりの気迫と白刃(はくじん)が恐ろしかったらしく、己の素性を包み隠さず打ち明けた。

「マジかよ……」

 にわかには信じ難いが、こんな大それた嘘をつくとは思えない。蕭姓を(かた)るのは万死に値する大罪であるのだから。

「蕭容燕の息子がここで何してんだよ? 監察(かんさつ)か? ……いや待てよ、あいつらと癒着してんなら────」

「そんな、ちがいますよ! 癒着なんてしてません」

「嘘つくな」

「痛い痛い! 本当ですってば! ぼ、僕は臨時の州牧なんです。父に命じられて……」
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