桜花彩麗伝

 表立って動けない朔弦の代わりに自分が手足となればいい、そう莞永は思った。

 朔弦は固く口端を結んだまま見返す。
 いかにも人畜無害(じんちくむがい)そうに見えて存外使える男だと、改めて感心してしまった。

 朔弦の意向を知るなり、指示などなくとも自ずと適切な行動をとる。求める仕事を察して動いてくれる。

 自分のすべきこと、自分にできること、自分の役目とそうでないことを瞬時に取捨選択し、出過ぎた真似をすることは決してなかった。

 手厳しい朔弦が唯一、全幅(ぜんぷく)の信頼を置く部下というのは、伊達(だて)ではない。

「……いや、いい」

 しかし、朔弦は彼の申し出に首を縦に振らなかった。
 確かに的を射てはいるものの、くだんの件に関してはひとまず様子見といきたい気持ちも小さくなかったためである。

 春蘭の嘘の背景に、手に負えないような“何か”が潜んでいないとも限らない。
 不意に知って後戻りできなくなっては困る。いまの状況で片棒を担がされるのは不本意極まりない。

「本当によろしいのですか?」

「ああ、あくまで“一旦”置いておくだけだ。おまえも首を突っ込みすぎるな」

「……はい」

 とはいえ、莞永のお陰で割り切るに至った。
 わざわざ口にこそしないが、彼の存在には常々感謝している。



     ◇



 春蘭は寝台(しんだい)の上で書を読んでいた。
 体調はすっかり回復したのだが、紫苑が「お休みください」の一点張りで頑なに譲らなかったのだ。

 それぞれ柊州での邂逅(かいこう)や茶会での出来事を報告し終えるなり、問答無用で部屋に閉じ込められてしまったため、諦めてのことだった。

 いつの間にか日が暮れ、丸窓の向こうに見える空は藍に染まっている。
 はら、と舞い込んだ桜が床に落ちたとき、扉の方から小さな音が聞こえた。

「……紫苑?」

 書を閉じて寝台から下りる。
 彼が水を持ってきてくれたのかもしれない、と思ったが、返ってきたのは思わぬ人物の声だった。

「入っても構わないか?」

 はっと息をのむ。

(さ、朔弦さま……!?)

 取り次ぎもなしに迎え入れるとは、彼はよほど紫苑から厚い信頼を得ているのかもしれない。

 手早く身なりを整えながら「どうぞ」と慌てて答える。
 ほどなくして扉が開き、平服姿の朔弦が姿を現した。
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