桜花彩麗伝

 春蘭という存在は、鳳家にとっても王にとっても頼みの綱である。
 蕭家側が潰しにかかってもおかしくはない。

 だからこそ、静観(せいかん)を決め込んで連中を()()させておく必要があった。
 鳳姫(ほうき)など取るに足らない、蕭姫(しょうき)が正妃に内定しているのだから、と。

 警戒されなければ少なくとも放っておいてくれるだろう。
 ─────煌凌は特に、その(ことわり)をよく分かっている。

「では、あえて油断を招くのですね」

「……うむ。大船に乗っていて欲しいものだ」

 その大船を、最終的に転覆させる。
 それが王である煌凌に任された役目であった。



     ◇



 ────数日後、鳳邸に一通の(ふみ)が届いた。

 その内容を目にした元明は、いつもは穏やかなその顔に謹厳(きんげん)な表情を浮かべていた。
 ややあって紫苑に向き直ると、普段通りの微笑みをたたえる。封に戻したそれを手渡した。

「春蘭に渡しなさい」



 書翰(しょかん)を預かった紫苑は、春蘭の部屋へと急いだ。

「お嬢さま、失礼します」

 長椅子に腰かけていた彼女のもとへ歩み寄ると、卓子の上にそれを置いた。
 封には“通知書”と記してある。
 春蘭はやや緊張気味に中身を改めた。

「いかがですか……?」

 恐る恐る尋ねる。内容は知り得ないが、何となく察しはついていた。
 恐らくは妃選びにおける第一関門────書類審査の結果だろう。
 これを通過しなければ、そもそも妃選びに参加することができない。

「紫苑」

 書翰を持つ彼女の手に力が込もる。
 ぱっ、と顔を上げ、紫苑を見やった。その表情は花開くように晴れやかだ。

「やったわ、通過した……! 一次審査に進めるって!」

 ひらりと(ふみ)(ひるがえ)して掲げる。
 確かにそのように記されていることを確かめた紫苑も、ほっと安堵して顔を綻ばせた。

「おめでとうございます、お嬢さま」

 ようやく、一歩前へと進むことができたのだ。
 しかし、そうして踏み込んだ道は数多(あまた)に分岐し、そこら中に危険が潜んでいることだろう。
 一歩でも踏み間違えようものなら、途端に奈落(ならく)の底へと落ちていく。────それでも。

「わたし、負けないわ」

 蕭家との戦いは、まだ始まってもいない。
 春蘭は強い覚悟の滲む眼差しで、凜然(りんぜん)と宣言してみせた。
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