桜花彩麗伝
遺体の顔面を指した。
その指先を覗き込んだ朔弦はわずかに瞠目する。
遺体の下敷きになっている側の額部分に傷があった。
髪に覆われており完全には見えないが、間違いなくそこから血が流れている。
後頭部からの出血とは別だ。
「こっちが致命傷か」
ぽつりと呟いた朔弦は莞永に向き直る。
「よく気づいたな」
無表情、平板な声、というのは相変わらずだが、感心しているような雰囲気であった。
何となく褒められたように感じたのは、きっと勘違いではないだろう。
「事故じゃないってことだよね」
「そうだな。後頭部の方は何とも言えないが、額の方は確実に誰かに殴られてる」
彼は立ち上がった。莞永もそれに倣う。
「そして、屋敷への出入りに関して不審な目撃情報もなし。犯人はあの中にいるようだ」
屋敷の主、その娘。それから奉公人の女とその娘、若い男。
五人の中に、この貴族の男を殺害した犯人が間違いなくいる。
「……目星はついてるの?」
やや緊張しながら尋ねたが、朔弦は是とも否とも答えなかった。
悠然と後ろで手を組む。
「少なくともひとり、何かを隠している人物がいる」
だからと言って“犯人である”という結論を導くのはやや短絡的であるが、何らかの形で関わっていることは間違いないだろう。
そうでなければ、嘘をつく必要もない。
「あの令嬢は何のために嘘をついているのか……」
「そもそも、その“嘘”っていうのは何なのかな?」
莞永にはそんな前提部分を推し量ることも難しく、早々に観念すると単刀直入に聞いた。
呆れられるか、馬鹿にされるかと覚悟していたものの、意外なことに質問に対する反応はなかった。
代わりに、朔弦は淡々と言を紡いでいく。
「嘘というか、違和感だ。だから相対的に嘘をついてるんだろう、と結論づけたわけだが」
そんな前置きを踏まえ、莞永は続きを待つ。
「あの令嬢には不審な点ばかりがある。たとえば、あの衣ひとつ取ってもそうだ。普通、婚約者を亡くして一夜明けた今日、喪に服すこともなく、あのように派手なものを選ぶか」
確かにかの令嬢は華やかな赤い衣を身にまとっていた。
憔悴した様子ではあったものの、髪も整っており、化粧もしていた。髪飾りや耳飾りまで惜しまず飾り立てていた。
婚約者を亡くした直後にしては、不自然であると言わざるを得ない。
「本当だ、確かに変だね。そんな衣装、まるで何かをお祝いするみたい────」
莞永は言葉を切った。少しちがう、と言いながら自分で気がついた。
“お祝い”というより、まるで────。
「婚礼衣装……?」
鮮やかで深い赤色と、煌めく金色の装飾を思い出す。
衣の裾に施された、鳳凰や牡丹、瑞雲といった繊細かつ豪勢な刺繍。
愛する恋人の死に直面したとは思えない。
まさか結ばれることのない運命を嘆きながら、死んだ恋人と婚礼を挙げたつもりでもあるまい。
恐らく、話はもっと単純だ。
莞永は顔を上げた。
たどり着いた結論は残酷だが、信じられないことでもない────。
意を決し、口を開く。
「本当は……被害者の彼を、愛してなんかいなかった?」
思わず遺体を見下ろした。
半襟の染みが脳裏に焼きついていく。
「そういうことだろうな。この男が死んだことで、真に愛する男と婚姻できる可能性が生まれたわけだ」
「じ、じゃあ……まさか、彼女が?」