桜花彩麗伝

 しかし、春蘭はあえて尋ねることはしなかった。

「……はい」

 決然と答える。試されているような気がしたのだ。
 言葉の意味、すなわち彼の真意を捉えることも、課せられた課題のひとつであろう。

「今日から、おまえは候補者たちの宿舎に入ることになる。審査の結果が出るまで屋敷には帰れない。……心得たら、窓を閉めろ」

 朔弦は周囲への警戒を怠らないまま厳しい口調で言った。
 どこから矢が飛んでくるか、あるいは刺客が飛び出してくるか分かったものではない。
 頷いた春蘭は、そっと小窓を閉めた。



 それからしばらくすると、馬蹄(ばてい)の音が止み、軒車の揺れがおさまった。

「着いたぞ」

 淡々とした朔弦のひとことに、閉じていた目を開ける。
 帷帳(いちょう)を上げ、開かれた戸から外へ出た。
 軒車を降りた春蘭は、目の前にそびえる宮門を見上げる。
 宮廷そのものは初めてではなかったが、今日はいつにも増していっそう厳然と感じられる。

 宮前にはほかにも数多(あまた)の軒車が停まっており、華やかな衣装をまとう令嬢たちの姿も多く見られた。
 いずれも妃候補者だと、一見して分かる。

(こんなに……)

 思わず圧倒されてしまう。
 これほど多くいる中の頂点へ上り詰めなければならないのだ。

「────春蘭」

 不意に凜とした声で朔弦に呼ばれる。

 一瞬、時が止まったかのように感じられた。
 はっと驚愕の表情で顔を上げた春蘭は、開いた口が塞がらないまま彼を見やる。

「い、いま、わたしの名前を……?」

 これまで(がん)として一度たりとも呼んでくれなかったものを、突然どういう風の吹き回しだろうかと困惑に明け暮れた。

 す、と頭に伸びてきた手が髪飾りに触れる。
 曲がっていたそれを持ち上げ、直してくれたようだ。

「……気を抜くな。もう始まっている」

 言われてその視線を追えば、城壁の裏から窺うように顔を覗かせている女官の姿があった。

「常に見られていると思え。一挙手一投足、それから口にする言葉すべてが、おまえを測るものさしになる」

 春蘭はいつにも増して深く真摯に受け止めた。
 名を呼んでくれた、すなわち自分を認めてくれたことへの喜びを、勇気と度胸に昇華(しょうか)させる。
 これから起こる一切に集中し、心して挑まなければ。

「王妃に選ばれることが目標じゃない。それはあくまで前提だ。忘れるな」

「はい、朔弦さま。……行って参ります」

 凜然と告げてみせる。
 力強く頷き返してくれた彼の見送りを受け、春蘭は宮殿へと足を踏み入れた。
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