桜花彩麗伝
 言いかけた言葉は途切れ、先が続けられることはなかったが、言わんとすることを察した清羽は努めて明るい声で言った。

僭越(せんえつ)ながら、春蘭お嬢さまはそのようなことで陛下をお嫌いになんてならないと、わたくしは思います」

 煌凌はその言葉を真摯に受け止める。
 少なくとも()()()接した春蘭を見た限り、損得勘定で動いたり人を見かけや身分で()り分けたりするような人物でないことは断言できた。

「……分かった。余もそう信じる」

 泰明殿を目指し歩き出した王のあとに、清羽と菫礼は随行(ずいこう)した。
 そうは言いつつもまだ不安気なその背を見やり、ふたりは顔を見合わせる。
 杞憂に過ぎないだろう。清羽は再び密かに笑った。



     ◇



 春蘭は殿内を見回し、嘆息する。
 泰明殿は通常、王と(おみ)たちが会議をしたり冊封(さくほう)式などで使われたりする場であると朔弦に聞いている。
 豪華ながらも雅趣(がしゅ)に富んだ内装に、いっそう気が引き締まった。

 令嬢たちの大半はそれぞれ談笑したり、端に用意された長椅子に腰かけたりしていた。
 部屋を取り囲むように配されている女官や内官の姿は気にも留めていないようだ。

 絨毯の敷かれた床を見下ろせば、小さな紙がそれぞれ規則正しく並んでおり、文鎮(ぶんちん)により押さえられていた。
 よく見ると、それぞれ名前が記してある。
 定位置について待っているべきなのだろう。
 しかし、一次審査の開始時刻まで時間がある上に王や太后もまだ姿を現していないため、令嬢たちは暇を持て余しているようだ。

 春蘭は大人しく“鳳春蘭”という名札の横に立った。
 背筋を伸ばし、両手を(へそ)の前あたりで重ねて姿勢を正す。

『……気を抜くな。もう始まっている』

 朔弦の言葉を思い出した。

『常に見られてることを忘れるな。一挙手一投足、それから口にする言葉すべてが、おまえを測るものさしになる』

 周囲の女官や内官が何のために既にこの場にいるのか、それを考えれば朔弦の言葉通りであろうことは明白であった。

 ────もうひとつ、脳裏を掠める。
 “よく見ておけ”という()()

「…………」

 春蘭はそれとなく周囲を見回した。

 長椅子に腰かけている帆珠が目に入る。
 随分と気を抜いているらしく、肘かけにかなり体重を預けて砕けた姿勢で座っていた。
 ほかの令嬢たちはそれぞれおよそ数人で固まり、おさえた声で話している。
 その視線は帆珠の方へ向いたり、ときには春蘭の方へ向いたりしていた。

 それによって悟る。
 自分はいま、鳳家の“顔”なのだ、と。
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