桜花彩麗伝

 ふたりのやり取りを聞き、春蘭は神妙な面持ちになる。

 朔弦は思案した。
 一次審査の結果が出たあとであれば、羨望(せんぼう)が逆恨みとなり、春蘭を狙う動機となりうる。
 しかし、あの時点で有力だと言われていたのは帆珠だ。
 その理由で狙うのであれば、内定者だと噂されていた彼女の方だろう。

「淑徳殿でのことで危機感を覚えたとか」

 親密そうな王と春蘭の様子を見て、真に王妃として有力なのは春蘭だと考えた令嬢がいたかもしれない。
 驚愕と嫉妬の結果、卑劣な手段に出た可能性もある。
 春蘭が気づかず漆入りの水で顔を拭っていたら、かぶれるのは手だけでは済まなかった。

「それは否定できませんが、可能性は低いでしょう」

「……わたしに、あらかじめ悪意を持ってたってことですよね」

 ぽつりと呟くと、一拍置いて朔弦は頷く。

「……そうだ。その場で敵意を覚えたとしたら、あまりに周到すぎる」

 女官を抱き込み、漆水を用意し、首尾よく仕込んで春蘭に差し向けた。
 あの場で思いついてできることではないだろう。

 計画的で手抜かりのないところを見ると、春蘭の言う通り、もともと害する気があったと考えるのが妥当である。

「確かにそれなら、太后さまか帆珠殿が筆頭だな。どちらも春蘭殿をよく思ってない」

 春蘭自身もはじめは帆珠を疑った。
 あれほどことあるごとに難癖をつけられ続けたのだ。犯人として有力だろう。……しかし。

「帆珠は、淑徳殿に煌……王さまがいらしたことにかなり衝撃を受けてました。それ以降は大人しくなって、話しかけられることもなくて。そんな状態で仕掛けてくるなんて不自然だと思うのですが……」

 春蘭の言葉に悠景は渋い顔をし、朔弦は眉を寄せた。

「……ならば、太后さまか」

 やがて悠景が結論を口にする。朔弦も否定しなかった。
 彼女のその言葉にはかなり信憑性があった。

 淑徳殿で悪目立ちした帆珠が、その直後に同じ(てつ)を踏むことはさすがにないだろう。
 王からも疎まれるであろうし、さすがの太后も庇いきれなくなる。
 また、女官を意のままに操っているところを見ても、太后の仕業と考えて差し支えないだろう。

「一次審査の結果を知れば、太后は激昂(げきこう)するだろうな。春蘭殿、警戒を怠るな」

 悠景の忠告に、春蘭は強く頷く。

「帆珠殿の方もうまく躱せ。適当にあしらえばいいから」

 彼は苦い表情でそう続けた。
 ……手を組んだのが春蘭でよかった、と思わずにはいられない。
 ここにいるのが帆珠であったら、苦労は計り知れない。

「分かりました」

 春蘭は眉を下げ、苦笑を浮かべつつ頷く。
 それから背筋を伸ばし、悠景に向き直った。

「王さまにお伝えしてくれませんか? 来てくれてよかった、ありがとう、って」

 春蘭が直接会って話す機会はない。
 しかし、勇敢にも太后や帆珠に立ち向かってくれた煌凌には、どうしても礼を伝えたかった。
 そのお陰で救われたのだから。

「ああ、任せとけ」

 悠景は豪快な笑顔で快諾する。
 小さく息をついたが、朔弦も否定的な態度ではなかった。

 ────春蘭は思う。
 顔も名も知らない名ばかりの弱き王というのは、民や(おみ)の、不安や不満が作り出した虚像なのではないか、と。
 煌凌は、決して弱くなんてない。

 同時に“よかった”と思う。
 ……望んだ婚姻ではなくとも、嫁ぐ相手が煌凌であるならば。
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