桜花彩麗伝

「ちょっと待って! こんなの嘘よ」

 毅然(きぜん)と顔を上げた春蘭は、触れ文を掲げながら民衆の方へ歩み出ていった。

「お嬢さま」

「お嬢さま……!」

 紫苑と芙蓉は慌ててあとを追う。彼女は怖いもの知らずにもほどがある。

「嘘だ? 何でそんなこと言えるんだよ」

「それは……だって、民の規範(きはん)となるべき王室がそんなことするはずないでしょ?」

「どうだかな! 危機が及べば保身に走るもんだろ」

 彼らは一様に猜疑心(さいぎしん)(あらわ)にしていた。冷笑には失望まで滲んでいる。

「それに、お役人さまがこうして糾弾(きゅうだん)してんだぞ?」

 ばっ、と春蘭の手から触れ文をふんだくった。

「この内容が事実ってことだろ!」

 その点に関しては反論の余地もない。
 内容を否定したのは心象(しんしょう)に過ぎず、そもそも根拠は薄弱どころか無に等しいのだ。

 国の(ろく)()む役人がなぜ王室を(おとし)めるような内容の触れ文をしたのか、実際に妙な事態ではあった。

「やっぱ王室が独占してるんだな。俺たちを嘲笑いやがって……」

「貧しい民の命なんざどうでもいいってことか!」

 鎮まったはずの騒動が熱をぶり返し、彼らは再び暴挙に出た。
 怒号に金切り声、破壊音が響き渡り、春蘭の声はひとつとして届かなくなる。

「……参りましょう、お嬢さま」

 混沌(こんとん)としたそんな光景をなす術なく見つめた春蘭は唇を噛み締め、ぎゅ、と両手を握る。

「…………」

 黙したまま踵を返した春蘭に、芙蓉は慌ててついていった。
 悔しげな横顔を認めた紫苑もまた、追随(ついずい)しながら口を開く。

「何をお考えで?」

 軒車まで戻ってくると、ぴたりと足を止めた。
 顔を上げた春蘭の顔からは凜然(りんぜん)たる色が窺える。

「……わたし、宮殿に忍び込むわ」

「えっ!? なにをおっしゃってるんです!」

「そうですよ、どうか冷静になってください。お嬢さま自身のためにも」

「こんな状況、見て見ぬふりなんてできないでしょ。本当に薬材を独占してるとしたらあまりに救いがないわ。もしそうだったら、くすねてでも取り返して配給する」

 そんな言葉を受けた芙蓉は、不安そうに紫苑を見上げた。
 同じような心持ちで秀眉(しゅうび)を寄せた紫苑も憂う。

「ですが……あまりに危険ですし、無謀では? もしバレたら鳳家そのものの信用に関わるのでは────」

「だから」

 春蘭は紫苑の両腕を掴み、迷いも曇りもない眼差しを向けて懇願(こんがん)する。

「バレないように協力して欲しいの」
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