桜花彩麗伝
第三話
────黒煙のような雲が流れ、白い月が姿を現す。
夜半、春蘭の部屋から漏れる明かりを庭先で紫苑は眺めていた。
「本当に大丈夫なのですか? お嬢さま……」
室内では春蘭が、芙蓉の手伝いを得ながら医女の装いに着替えているところだった。
扮装に際し、紫苑の用意した衣である。
その腰紐を結びながら案ずるように眉を下げた芙蓉に、こともなげに笑い返す。
「大丈夫よ! うちは広いから、抜け出してもお父さまにバレる可能性は低いし」
「そ、そういうことではなくて」
「分かってる、うまくやるわ」
雪や塩のごとく真っ白な医女服に身を包み、得意気に言ってのける。
明朗な姿は頼もしい限りだが、それで不安が晴れるわけではない。
「でも、もし出かけたことをお父さまに勘づかれそうになったら、何とか誤魔化しといてくれる? お願い」
「……はい。それくらいでしたら」
そう答えながら、最後に白い髪紐を結んでやる。
鏡台の前から立ち上がった春蘭を確かめた。装いは完璧に医女である。
扉を開けると、待っていた紫苑が一礼した。
その手を借りながら沓を履き、春蘭も庭へ下りる。
しだれ桜から舞い落ちた花びらが絨毯のように地面を染め、池には花筏が漂っていた。
門の方へ向かうふたりを芙蓉は套廊から見送る。
紫苑は佩した剣の鞘を握り、春蘭に目をやった。
「宮殿までお供します」
「ひとりで大丈夫よ。その方が目立たないでしょ?」
「だめです。夜道にお嬢さまひとり放り出せると思いますか」
宮廷へ潜入するというくらいなのだから、軒車ではなく徒歩で向かうことになる。
昼間の暴動を目の当たりにした以上、尚さらたったひとりで歩かせるわけにはいかない。
「だけど……」
「本当は宮中まで付き添いたいところなのですが……。あ、いっそ門番を昏倒させてしまうのはどうでしょうか」
さらりとものものしい提案をする。
春蘭は目を見張った。
「まさかその衣を拝借して成り代わる気?」
「ええ、それもありますが……手形が偽だとバレたら厄介なことになります」
袖口から取り出した通行手形を見やり、紫苑は眉を寄せる。
“それも”などと言っているが、実のところそちらの理由の方に重心が偏っているように思える。
「心配しすぎよ、紫苑も芙蓉も。この格好なら手形なしでも宮門を突破できそうなくらいだわ」
彼の手から手形を取り、春蘭は言う。
気づけば宮門前の大路にさしかかっていた。ふたりは一旦足を止める。