桜花彩麗伝

 蒼白な顔で見返す春蘭とは打って変わり、帆珠は笑みを絶やさなかった。
 蓄積(ちくせき)した鬱憤(うっぷん)が晴れていくようで、何とも爽快な気分である。

 鳳邸から出かけることはまず不可能だが、訪問者を迎えるにしろ、すべて兵に見張られているというわけだ。
 錦衣衛を動かしたのは、兵部尚書である航季であろう。

 こたびの事件において、(おおやけ)には何ひとつとして明らかになっていないというのに、なぜ父が罪人のような扱いを受けなければならないのか。
 春蘭は目眩がするようだった。
 憤ればいいのか、驚けばいいのか、絶望すればいいのか、分からない。
 感情も思考もぐしゃぐしゃにかき乱され、どこか他人事のように思えてしまう。

「王さまもさすがに庇えないわよね、殺人犯のことなんて。謝家の連中もそう。あんたも父親も見捨てられるわ」

 吐き捨てるような声色と、まるで温度のないせせら笑いだった。
 憎々しげに春蘭を捉える双眸(そうぼう)は、それでも深く澄んでいる。
 その敵意と憎悪(ぞうお)は紛いものではなく、春蘭が何を言おうと、そしてほかの誰が何と言おうと、覆ることはないのだろう。

「そんな……」

 春蘭は掠れるような細い声でこぼした。
 帆珠の笑みがますます深まる。

 そのとき、不意に建物内が騒がしくなった。悲鳴のような金切り声が響き渡る。

「事件発覚かしら。あのふたりも冷静じゃいられないわよね」

 声は珂雲か璃茉のものであろう。
 実家に起きた悲惨な出来事を女官から聞き、取り乱しているにちがいない。

「……っ」

 春蘭は唇を噛み締めた。目の前の帆珠を精一杯睨みつける。

「……あなたたちの仕業なの?」

 声が震えないよう意識したら、いつもより少し低くなった。
 しかし帆珠に怯んだ素振りはない。
 その問いはまるで予想通りだと言わんばかりに、笑顔も態度も崩さない。

「だったら、何?」

 帆珠は春蘭の言葉を認めた上で開き直った。
 多くの人の命を不当に奪い、犠牲にしたことを何ら悪びれていない。
 そもそもそれを、悪だとも認識してもいない。

 立ち上がって帆珠に歩み寄ると、思わず右手を振りかざした。

 しかし、下ろす前にぴたりと動きを止める。
 ……いまここで帆珠の頬を打っても、何にもならない。

「…………」

 帆珠は一瞬身構えたものの、春蘭が苦悶するように表情を歪め、腕を下ろしたのを見て、ふっと再び笑った。

「何それ、脅しのつもり? どうせなら殴りなさいよ。その場合、本当に救いようがなくなるけど」

 ああ、と春蘭は思う。
 朔弦は嘘をついたのだと気がついた。
 彼ほど聡明ならば、恐らくあの段階で分かっていたはずだ。
 すべてを仕組んだ黒幕の正体が、蕭家であることを。

 こうして春蘭が感情的な行動に出ないよう、あえて黙っていたのだ。
 ……それを棒に振るところだった。春蘭は自身の右手を左手で握り締めた。
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