桜花彩麗伝

 帆珠を打てば、彼女はそれを大事にするだろう。
 本来はほんの些細ないざこざであっても、暴力沙汰というところにまで話を発展させるかもしれない。
 そうなれば否応なしに春蘭が悪者になる。
 家族も、悠景や朔弦も、煌凌だって、春蘭を庇いきれなくなる。

「……っ」

「ま、あんたがこらえても意味ないかもしれないけど」

 帆珠がひときわ冷たく言い放った。
 その直後、建物の扉が勢いよく開かれる。
 (まり)が転がるように、誰かが階段を駆け下り、東屋の方へ走ってきた。

 それが誰なのかを認識する間もなく、思いきり頬に平手打ちを浴びた。
 春蘭は打たれた頬を押さえ、瞠目(どうもく)しながら目の前の人物を見やる。珂雲であった。
 彼女は肩で息をしながら充血した目に涙を溜め、険しい表情でこちらを睨みつけている。

「どうして……! どうして、わたしの家族を……っ」

 ぽろ、と涙が落ちた。
 眉を寄せ、顔を歪めている。

 家族の無惨な死を(いた)む余裕もなく、膨張した感情の対処法も分からず、怒りに変え春蘭にぶつけるしかなかった。
 あまりに突然訪れた深い絶望とやるせなさに翻弄(ほんろう)される。

「ま、待って。わたしの父は────」

「聞きたくない!!」

 春蘭の言葉を遮る。
 どんな言葉を投げかけても、跳ね()けられ届かないことを悟る。

 帆珠はそんな光景を目の当たりにし、満足そうに口角を上げた。
 想像以上の展開で、非常に痛快だった。

 ────そのとき、再び屋舎(おくしゃ)内から悲鳴が聞こえてきた。
 珂雲のような慟哭(どうこく)とは異なっていたため、璃茉ではなく、女官のものだろう。

 はっとした春蘭は弾かれたように駆け出す。
 ただならぬ予感がした。騒ぎの渦中(かちゅう)を探し出し、急いで駆け寄る。

 女官たちが何かを取り囲んでいた。
 その中心にいるのは、璃茉であった。

「……っ!」

 春蘭は息をのむ。
 早鐘(はやがね)を打つ心臓が痛い。衝撃と動揺で視界が揺れる。
 璃茉を()()()()まま、硬直してしまった。

「あーあ……死んじゃったの」

 背後で帆珠が呟く。

「ひ……」

 珂雲は短い悲鳴を上げ、腰を抜かした。
 その視線の先で揺れる影────璃茉は、首を吊っていた。

 珂雲よりも先に実家の惨状を知らされ、ふらふらとした足取りで自室へと戻った彼女。
 女官たちの目を盗み、(はり)に引っかけた薄手の布団で首を吊って自害したようだ。

 あまりの惨劇に、家族の死に、耐えきれなかったのであろう。
 絶望に飲み込まれ、死を選ぶしかなかった。

「女官たちはみな下がりなさい。候補者の方々は、それぞれご自分の部屋へお引き取りを」

 騒然とする人だかりを一刀両断するように、凜とした声が響いた。宮官であった。
 彼女は死体を見ても一切動じない。
 相変わらずの冷静沈着ぶりである。

「錦衣衛を動員します。瑛花宮外で起きている事件も含め、全容が明らかになるまで、みなさまにはどなたとの面会も禁じます」
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