桜花彩麗伝
     ◇



 官服(かんふく)に着替えた元明は庭院(ていいん)へ下りた。
 数日の間、鳳邸に閉じ込められているが、宮殿の状況には何となく察しがついている。

 蕭派の訴えに、煌凌が不安と困苦(こんく)に明け暮れているであろうことも容易に想像がつく。
 自分のことで彼を苦しめてしまっているというのに、このまま素知らぬふりをしているわけにはいかない。

 宮殿へ赴けば、元明は錦衣衛に捕らわれるかもしれない。
 それでも、行かなければならない。
 陰謀の末に(あや)められただけでなく、死してなおその事実を利用された緋茜や、瑛花宮に閉じ込められている春蘭のためにも。

 沈黙を貫いていれば、いいように歪曲(わいきょく)された真実に取り込まれる。
 容燕の思い通りになどさせてたまるか。

「旦那さま……」

 硬く強張ったような声に振り向けば、不安気に眉を下げる紫苑が立っていた。

 彼とて気が気でないだろう。
 この異様な状況を、冷静に受け止められるはずがない。

「おはよう、紫苑。きみはいつも早いね」

 元明は普段通りの微笑をたたえた。
 お陰で紫苑の緊張はいくらかほどけたようだ。しかし、反対に悪い予感は膨れていく。

「宮殿へ行かれるのですか」

 ちがうと言って欲しい、と紫苑は願った。
 参内(さんだい)すれば、元明が罪人であると決めつけている錦衣衛の兵に、容赦なく捕縛(ほばく)されるはずだ。
 そのことは、元明も分かっているであろう。

「……うん。どうか、留守を頼むよ」

 その声色はどこまでも穏健(おんけん)で、紫苑は何だか泣きたい気持ちになった。
 何を言っても引き止められない。
 この頑固さは春蘭と同じだ。
 “誰かのため”という強い思いに突き動かされているからこその頑固さなのだ。
 容易に覆せるわけがなかった。

 元明は小さく笑い、紫苑に向き直る。

「そんな顔しないで。大丈夫、何てことないから。すぐに戻る」

 紫苑は感情をおさえ込むように、口端を引き結んだ。
 そうしてもなおあふれてこようとするため咄嗟に俯く。

「……分かりました」

 引き下がってくれた彼に元明が頷いたそのとき、勢いよく門が叩かれる音が響き渡った。
 ふたりはそちらを向く。

 奉公人(ほうこうにん)が開門すると、そこにはひとりの役人が立っていた。
 元明に頭を下げるが、そこに畏敬(いけい)の念はなく、単に形式的なものであった。
 淡々と彼は言う。

「宰相、鳳元明殿。“至急参内せよ”との王命(おうめい)です」

 少しだけ、元明は意外に思った。
 煌凌が自分を手放す決断をしたのだ。
 ただ、少し驚いただけであった。怒りも哀しみも湧かなかった。

 もとより、煌凌に擁護(ようご)を求める気もなかった。
 ……これでいい。ここで元明を切り捨てる決断は、王として正しい。
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