桜花彩麗伝

 その言葉は確かに正しいが、この場においては決して相応しいとは言えなかった。
 ぴり、と空気が痺れて張り詰める。
 容燕は鋭い表情で射るように春蘭を見据えた。

「何だと……?」

 それでも彼女は怯まなかった。
 煌凌とはまったくちがう。根底に、容燕に対する恐怖心がないのであろう。
 恐れという感情は、容燕にとって最も汎用性(はんようせい)の高いものであった。
 相手で誰であれ、恐怖心を植えつけることが支配の始まりなのだ。

 恐れるから従順になる。言いなりになる。屈する。
 それでも折れない者は、ことごとく排除してきた。
 そんな事実がますます周囲の恐怖心を煽ってくれた。

 しかし、春蘭も容易に折れる気はないようである。
 思い通りに操れない。思うままの態度を()いることができない。
 実に生意気だ。
 その事実に尚さら腹が立つが、それをぶちまけたところで、結局服従させることはできないだろう。
 押さえつけるのではだめだ。春蘭を苦しめ、後悔させるには、別の方法を模索(もさく)しなければ。

 容燕は眉間の皺を解いた。
 憤れば、余裕のなさにつけ込まれる。あえて口角を持ち上げた。

「そうだな。では、(まつりごと)の話をしよう────」

 (まつりごと)、という言葉に煌凌はどきりとした。
 何を吹っかけるつもりだろう。妙な胸騒ぎがする。

「主上。我が娘、帆珠を……正一品の側室に迎えられよ」

 ふたりして瞠目(どうもく)し、息をのむ。思わぬ展開である。
 しかし、無理な話でもなかった。
 本来、後宮を管轄(かんかつ)しているのは太后だ。
 王が自ら妃を迎え入れない場合でも、太后は一存により好きな者を側室に任命する権利を有している。

 ……とても、歓迎できない状況になった。
 太后は蕭家と癒着(ゆちゃく)している────立て直しを狙う鳳家への対抗手段として、帆珠を側室に迎えるのは、ごく自然な判断であろう。
 しかも正一品となれば、側室の中では最高位である。

「そんな────」

 春蘭は思わず口を開いた。
 勝手な、と続けようとしたが、容燕が素早く春蘭に首を巡らせ制する。

「これは(まつりごと)の話だ。側室ごときに口出しはできん」

 春蘭は唇を噛み締め、拳を握り締めた。
 容燕の言葉は正しい。単なる妃が、(まつりごと)に介入する権利はない。
 彼を(いさ)めたのと同じ理論で封じ込められた。

 恐らくは、はじめから帆珠の後宮入りを()いるつもりでいたのだろう。
 妃選びが中止され、春蘭が側室となった以上、容燕に取れる選択肢はそれのみだ。

 春蘭はもしや墓穴(ぼけつ)を掘ったのではないか、と肝を冷やした。
 自分の言動が容燕に隙を与えたのではないか、と。
 不安気に俯いた春蘭を庇うように、煌凌が一歩前へと出た。

「余は……側室であろうと、春蘭以外を妃に迎える気はない」
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