桜花彩麗伝

第十五話


 一夜明け、桜花殿にふたりの新兵が配された。
 主への挨拶に訪れた彼らを、橙華が迎え入れる。
 餌籠(えさかご)を抱え、池のほとりに立っていた春蘭のもとへ、ふたりを連れた橙華が歩み寄った。

「婕妤さま」

 その呼びかけに振り向くと、彼らの姿に目を見張った。
 傍らに控えていた芙蓉も思わず同じような表情を浮かべる。

 兵のひとりが、右手で作った拳を左胸に当て、(うやうや)しく礼を尽くす。

「婕妤さまにご挨拶申し上げます。わたくし、紫苑────本日より婕妤さま専属の護衛として、身命(しんめい)(なげう)つ覚悟でお守りいたします」

 顔を上げた彼と目が合った。春蘭はこれまでと変わらない屈託のない笑顔を返す。
 これほどに心強い護衛はほかにいない。

 その表情に紫苑はほっと小さく安堵した。
 気持ちの部分が、だいぶ現実に追いついてきたようである。

「……ったく、大げさだなー。おまえのやることはいままでと何も変わんねぇだろ」

 呆れたように言ったのはもうひとりの兵、櫂秦であった。

「でも、俺も」

 彼は不意に表情を引き締める。
 禁軍兵の装束(しょうぞく)を着崩してはいるものの、謹厳(きんげん)な面持ちは凛々しく様になっている。

 春蘭の方へ向き直ると、紫苑がそうしたように右の拳を左胸に当てた。
 に、と口端を持ち上げ、堂々と笑う。

「おまえを守りにきた」

 春蘭はやや意外そうに見た。
 何かにつき従うことを(いと)い、権威にも興味を示さない櫂秦のことだ。
 既に怪我も完治しているため、商団の復興に心血(しんけつ)を注ぐか、あるいはこれまで通りの奔放(ほんぽう)な放浪生活に戻ることも選べたはずである。

 しかし、櫂秦は残ることに決めた。
 彼なりの報恩(ほうおん)や親愛の情があるのかもしれない。あるいは、好奇心が。

 と、紫苑が櫂秦の頭に手刀(しゅとう)を食らわせた。

「痛てっ」

「いい加減、言葉遣いを改めろ」

「いまさらこんなことで春蘭は怒らねぇよ。な?」

 しばかれた頭頂部を擦りながら同意を求める。
 春蘭は思わず笑った。

「そうね。それでこそ櫂秦だもの」

 予想通りの言葉ではあったが、紫苑は落胆した。嘘でも味方して欲しかったところだ。
 でないと、礼儀知らずな櫂秦がますますつけ上がる。
 その証拠に「ほらな」とでも言いたげに、紫苑に向かって一瞬だけ舌を出してきた。

 仲睦まじげな三人を橙華は興味深そうに眺め、芙蓉は楽しげに頬を緩ませている。
 春蘭はどこか清々しく懐かしいような気持ちになった。
 ただでさえ鳳邸に似た桜花殿に、紫苑と櫂秦まで来ると、本当に屋敷にいるような気がしてしまう。
 これも朔弦の(はか)らいなのであろうか。
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